お問い合わせをお待ちしております
TEL. 075-922-3041
営業時間 AM10:00 ~ PM21:00
京都府のご先祖調べ
令制国の山城国の全域、丹波国の東半分、丹後国の全域に相当します。
京都市中心部には794年の桓武天皇による平安京遷都以来明治維新まで、皇室の御所があった所です。
平安時代以降の京都市域を中心とする姓氏の歴史は苗字についてや
姓氏とルーツの故郷 京都も参照してください。
■戦国期以前の京都府とその名字
戦国期以前より勢力を振るった在地領主の一族をみてみましょう。
以下は京都府に関係する名字です。
ただし名字の出自や由緒には諸説あり、すべては網羅できておりません。参考の一つにしてください。
山城国は有力公家や社寺の領地が多く、大きな武士団が形成されることはありませんでしたが、
室町時代になると南山城の国人衆が結束し山城国一揆がつくられています。
南山城の国人衆には綴喜郡の田辺氏・井手氏、相楽郡の別府氏・和束氏・相楽氏・井上氏・椿井氏・狛氏・木津氏がありました。
その他に主な勢力としては、葛野郡の革島氏、乙訓郡の神足(こうたり)氏・物集女(もづめ)氏・鶏冠井(かいで)氏、
宇治郡の宇治氏・真木島氏・大道寺氏・山角氏があります。
丹波国は京に近いうえ、山陰道からの入口に位置することから、都の政局に巻き込まれやすく、
とくに丹波国亀岡は足利尊氏(六波羅探題攻め)と明智光秀(本能寺の変)が挙兵した時代変革の舞台として知られています。
守護は細川京兆家がつとめ、多紀郡の守護代内藤氏が支配しました。戦国時代になると多紀郡の波多野氏が勢力を増し丹波国諸豪族をまとめる位置にありました。
室町時代には桑田郡に釈迦牟尼仏(にぐるべ)氏、心学で知られる石田梅岩の石田氏、赤沢氏・小林氏・人見氏・中川氏・宇津氏、秦氏の後裔川勝氏があり、
皇室領であった山国庄には窪田氏・鳥居氏・水口氏・比果(ひか)氏・身人部(むとりべ)氏・江口氏がありました。
船井郡には八木城主の内藤氏・井上氏・須知氏・塩貝氏・片山氏が知られています。
天田郡では細見氏(辻城)・金山氏・塩見氏(横山城)・荒河氏(荒河城)・夜久(やく)氏があり、
何鹿郡には小畠氏・大槻氏・綾部氏・籾井氏・上林氏があります。
丹後国には有力な武士団は発生せず小土豪がほとんどで、丹波や若狭など周辺から入ってきた氏族も少なくありませんでした。
室町時代には守護一色氏が丹後の領国化をすすめますが、戦国時代になると一色氏は若狭国守護の武田氏と対立し、信長の命を受けた細川藤孝により滅ぼされます。
京都府の苗字ベスト20位は以下の通りです。
1田中 2山本 3中村 4井上 5吉田 6西村 7山田 8木村 9松本 10林
11小林 12高橋 13山口 14中川 15谷口 16上田 17伊藤 18岡本 19清水 20藤田
長く都があった地域なので、「~藤」など公家をイメージさせる名字が多いと想像しますが、田中・山本・中村といった西日本を代表する名字が上位にきます。
しかし、少数ながらも◯条氏・◯辻氏・◯小路氏・◯大路氏など、京の地名に由来する名字も見受けられます。
徳川家康が江戸に幕府を開いたことにより、政治の中枢は江戸へ移ります。しかし天皇が住まう都は京都であることに変わりはなく、幕府は二条城を築き、京都所司代・京都町奉行を設置して直接支配を行いました。
以降の京都は文化・工芸の中心地として、江戸・大坂に次ぐ都市として繁栄していきます。諸藩も京都を重視し、藩屋敷を構えて朝廷及び各藩間の外交を行いました。しかし幕府は諸藩が朝廷に近接することを快く思わず、参勤交代する西国大名が京都に入ることを禁止しています。
幕末期には京都守護職を設置し、治安維持のため新撰組や見廻組を動かし過激攘夷派・倒幕派の摘発を行っています。
京都の町行政をみてみます。
町奉行所のもとで町行政を担ったのが町代(ちょうだい)です。上京12、下京8の町組に1名ずつ置かれ、元禄期以降は松原・安藤・梅村・山内・早川・田内・石垣・奥田・山中・古久保・中井・早川などの家が就きました。
洛中を除く地域は、四条室町を基点に東西南北に四分割し、北西地域は五十嵐家、北東地域は荻野家、南西地域は松村家、南東地域は松尾家が管轄しました。この4家を上雑色(ぞうしき)といいます。 上雑色を補佐した下雑色には、五十嵐家のもとに中井・黒川・山村、荻野家のもとに稲田・湯浅・栗坂・岡本、松村家のもとに永田・小島、松尾家のもとに西村・沢・村上・津田がありました。
→京の貴族社会
→京の武家社会
江戸時代の京都府は多くの藩領・天領・旗本領・寺社領にわかれていましたが、「京」に近いため譜代大名が配置されていました。
廃藩置県時に京都府に存在した藩と幕府領は以下の通りです。
藩名 | 城下町 | 主な藩主の変遷 |
淀藩 | 京都市 | 稲葉氏 |
福知山藩 | 福知山市 | 朽木氏 |
亀山藩 | 亀岡市 | 松平(形原)氏 |
園部藩 | 南丹市 | 小出氏 |
綾部藩 | 綾部市 | 九鬼氏 |
山家藩 | 綾部市 | 谷氏 |
宮津藩 | 宮津市 | 京極氏→松平(本庄)氏 |
田辺藩 | 舞鶴市 | 京極氏→牧野氏 |
峰山藩 | 京丹後市 | 京極氏 |
代官・奉行 | 陣屋地 | 管轄地 |
幕府領 久美浜代官所 |
京丹後市 | 熊野郡53村・中郡10村・竹野郡48村・与謝郡10村・加佐郡4村 |
幕府領 伏見奉行 |
京都市 | 紀伊郡9村 |
「江戸時代は武士」との伝承があれば、まずは藩士名簿である「分限帳」を確認することをお勧めします。詳しくは各藩の項を参照してください。
江戸時代の街道と宿駅
京都府の主な街道と宿駅・拠点をみてます。
宿駅は宿場ともいい、旅人の宿所が置かれ、荷物運搬の人馬を中継ぎする施設がありました。 公家や武家の宿泊・休息は本陣・脇本陣が、庶民の宿所には旅籠・木賃宿が利用されました。 人馬の継立は問屋場が管轄し、通行人を目当てに茶屋や商店などが建ち並びました。
山陰道 | 三条大橋(京都市)〜小郡宿(山口市) | |
樫原 | 京都市 | |
亀山 | 亀山市 | |
園部 | 南丹市 | |
須知 | 京丹波町 | |
檜山 | 京丹波町 | |
菟原 | 福知山市 | |
福知山 | 福知山市 | |
周山街道 | 京都〜高浜(高浜町) | |
周山 | 京都市 | |
美山 | 南丹市 | |
鶴ケ岡 | 南丹市 | |
笠置街道 | 奈良〜伊賀上野(伊賀市) | |
木津 | 木津川市 | |
加茂 | 木津川市 | |
笠置 | 笠置町 | |
若狭街道 | 京都〜小浜(小浜市) 「鯖街道」ともいう。 | |
大原 | 京都市 | |
西国街道 | 京都〜下関(下関市) | |
山崎 | 大山崎町 |
■京都府の家紋
京都府の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典』によると、京都府の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 片喰 2位 鷹の羽 3位 木瓜 4位 柏 5位 目結
6位 梅鉢 7位 橘 8位 藤 9位 蔦 10位 菱・花菱
日本の十大家紋と比べると、茗荷紋と桐紋がランク外となり、かわりに目結紋と菱紋がランク入りしています。
都があった京都市域は現在の東京と同じく地方からの移住者が少なくありません。 それにともない地方の家紋が移入しており、目結紋などは近江からの移住者との関係が推測されます。
梅鉢紋は北野天満宮の神紋として知られており、天神信仰との関係も推測されます。
■京都府の寺院
京都府の寺院の歴史みてみましょう。
平安京遷都以前、推古天皇御代に渡来系氏族の秦河勝が蜂岡寺(広隆寺)を建立しています。 六角堂(頂法寺)は、聖徳太子が四天王寺建立の用材を求めて訪れた時、霊告によって御堂を建てて守護仏観音像を安置したことに始まると伝えられています。 八坂の五重塔で知られる法観寺にも聖徳太子開基説があります。
平安時代に入ると、最澄が延暦寺を創建し、空海が東寺(教王護国寺)を下賜され、仏教の新しい時代を迎えます。 大覚寺・貞観寺・醍醐寺など次々寺院が建立されます。
平安時代の仏教は、鎮護国家の国家宗教から、呪術的な加持祈祷による現世利益を求める仏教(密教)への関心が高まり、貴族の間でも広く受け入れられました。 平安時代半ば 摂関政治の衰退やうちつづく天災地変による社会不安がつのった。そこから、末法思想が広 まり、人々は浄土教の信仰に救いを求めるようになった。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、京都府の宗派別の割合は以下の通りです。
京都・山城 (京都・宇治) |
丹波 (亀岡・福知山) |
丹後 (舞鶴・宮津) |
|
天台宗 | 4% | 1% | 0% |
真言宗 | 8% | 13% | 12% |
曹洞宗 | 3% | 33% | 30% |
臨済宗 | 12% | 22% | 26% |
浄土宗 | 37% | 9% | 6% |
浄土真宗 | 16% | 12% | 15% |
日蓮宗 | 11% | 6% | 8% |
その他 | 9% | 4% | 3% |
とくに県中部・北部の丹波丹後地域は半数以上が曹洞宗・臨済宗の禅宗系寺院です。
一方、京都市域は浄土宗寺院の多さが際立っています。ここは西山浄土宗の本拠地といえる地域です。 また他地域に少ない日蓮宗寺院も多いようです。
丹波丹後地域は禅宗系寺院が多いこともあり、比較的に古い墓石が残されています。
調査においては大きな味方になってくれます。
■京都府の神社
山城国一之宮は葵祭で知られる上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)です。 古代氏族賀茂氏の氏神ですが、古来より皇室に崇敬を集め、伊勢神宮に次ぐ権威を持っていました。
伝説では、玉依媛命が賀茂川を流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、生まれたのが賀茂別雷大神と伝えています。
上賀茂神社の主祭神はその賀茂別雷大神(かもわけいかづちおおかみ)、 下鴨神社の主祭神は玉依媛命(たまよりひめのみこと)と父親の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)です。
上下賀茂社の社家は賀茂県主の子孫が勤め、両社家には次の家名があります。
上賀茂神社…賀茂・岡本・松下・林・森・藤木・大池・梅辻・鳥居大路・富野など
下鴨神社…鴨・鴨脚・泉亭・梨木・滋岡・南大路・北大路・御矢川・下田など
丹波国一之宮は出雲の神を祭る出雲大神宮です。
主祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)と妃神の三穂津姫命(みほつひめのみこと)です。
元明天皇和銅年中に出雲国出雲大社(古くは杵築大社という)から勧請したとされ、出雲国と大和国の接点にあった丹波に「国譲り」により祀られたともいわれています。 社家は田所氏です。
丹後国一之宮は元伊勢といわれる籠神社です。
社伝によれば豊受大神(伊勢神宮外宮の祭神)は奥宮のある「真名井原」に鎮座していたといい、 伊勢神宮創建以前の4年間天照大神の神霊が遷されたこともあり「元伊勢」と呼ばれています。
主祭神は彦火明命(ひこほあかりのみこと)です。
社家は海部氏で、『海部氏系図』(竪系図)は国宝に指定されています。
■京都府の紳士録・人名録
国立国会図書館のデジタルコレクションにある紳士録・人名録を一部紹介します。
『日本全国商工人名録[明治25年版]』日本全国商工人名録 明治25年(1892) 職種別と商号
『大日本篤農家名鑑 [第1冊]明治43年5月』大日本篤農家名鑑編纂所 明治43年(1910) 村名
『京都商工人名録』合資商報 明治38年(1905) 職種別と所在地と屋号
『京都府加佐郡商工人名録』余部実業協会 明治45年(1912) 職種別と所在地
『日本紳士録 8版』交詢社 明治35年(1902) 職業
『日本紳士録 26版』交詢社 大正10年(1921) 職業
『京都市及接続町村地籍図附録』京都地籍編纂所 大正元年(19121)
※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。 参考の一つにしてください。
また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。