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綾部藩家臣のご先祖調べ
九鬼水軍を率いて。織田信長や豊臣秀吉に仕えて活躍した九鬼嘉隆は、志摩国を与えられました。
父嘉隆から家督を継いだ九鬼守隆は「関ヶ原合戦」で東軍徳川方に与して、鳥羽藩の初代藩主となります。
その後、「大坂の陣」や江戸城の築城でも九鬼水軍を率いて活躍しました。
寛永9年(1632)守隆の歿後、三男九鬼隆季と五男九鬼久隆の間で家督争いが起こり、
幕命により九鬼久隆が家督を継ぎましたが、摂津国三田藩に移封されました。
一方の九鬼隆季は寛永10年(1633)丹波国綾部藩が与えられました。
綾部藩の藩政は、洪水や旱魃などの自然災害で度々飢饉が発生し、藩政当初から財政は厳しい状況に置かれていました。
藩札発行や倹約令、家臣団の給米減封などの財政改革の効果はあまり見られず、9代藩主九鬼隆都の代に農学者佐藤信淵らを招聘して藩財政改革に取り組み、
木綿会所を創設して専売制を実施し、藩財政をいくらかは再建することに成功しました。
幕末期の当初、綾部藩は佐幕派であったが、元治元年(1864)京都警備を任じられ、10代藩主九鬼隆備は孝明天皇に拝謁、
「禁門の変」での御所警備頃から官軍側に与するようになり、慶応4年(1868)1月には西園寺公望を通じていち早く新政府側に恭順していました。
藩庁 | 綾部陣屋(綾部市) | |
江戸屋敷 | 上屋敷(千代田区霞が関 財務省ほか) 下屋敷(墨田区横網町) |
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石高(表高) | 1万9千石 | |
江戸城控間 | 柳間 | |
格付け | 陣屋 | |
爵位 | 子爵 |
■綾部藩の歴代藩主
九鬼氏 | 家紋:七曜紋 本姓:藤原北家坊門家流? |
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菩提寺:臨済宗隆興寺 (綾部市神宮寺町) |
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代数 | 氏名 | 官位 | 在職 |
1 | 九鬼隆季 (たかすえ) |
従五位下・ 式部少輔 |
寛永10年(1633) ~ 延宝2年(1674) |
2 | 九鬼隆常 (たかつね) |
従五位下・ 大隅守 |
延宝2年(1674) ~ 元禄11年(1698) |
3 | 九鬼隆直 (たかなお) |
従五位下・ 長門守 |
元禄11年(1698) ~ 正徳3年(1713) |
4 | 九鬼隆寛 (たかのぶ) |
従五位下・ 大隅守 |
正徳3年(1713) ~ 明和3年(1766) |
5 | 九鬼隆貞 (たかさだ) |
従五位下・ 式部少輔 |
明和3年(1766) ~ 安永9年(1780) |
6 | 九鬼隆祺 (たかよし) |
従五位下・ 大隅守 |
天明元年(1781) ~ 天明7年(1787) |
7 | 九鬼隆郷 (たかさと) |
従五位下・ 式部少輔 |
天明7年(1787) ~ 文化5年(1808) |
8 | 九鬼隆度 (たかのり) |
従五位下・ 河内守 |
文化5年(1808) ~ 文政5年(1822) |
9 | 九鬼隆都 (たかひろ) |
従五位下・ 大隅守 |
文政5年(1822) ~ 文久元年(1861) |
10 | 九鬼隆備 (たかとも) |
従五位上・ 大隅守 |
文久元年(1861) ~ 明治4年(1871) |
⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)