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家伝系図について
「系図」とは、系線を使って一族の系統を図示したものをいいます。
そのなかで特定の家の家督相続者の系統を記したものを「家系図」といいます。
そして、「家系図」に人物の詳細な経歴を書き加えたものを「家譜」といいます。
「家系図」は家の継承を示すものであるため、必ずしも血筋(血統)と同じではありません。
ほとんどの家系は養子が入り血筋が全く異なっています。
しかし「家系図」に記される人物は家の先祖であり、墓石を建立し、
法要を行ない代々供養してきました。
「系図」の歴史は古く記紀の時代にさかのぼります。
最も古い形態は文章系図といわれるもので、記紀をはじめ「先代旧事本紀」「上宮記」などに見られます。 「高橋氏文」などの氏文(うじぶみ)や「大中臣氏本系帳」などの本系帳(ほんけいちょう)もその一種です。
やがて文章系図の親子を系線でつなぐ竪系図があわれます。
現存する最古の系図は、京都府宮津市の籠神社の社家に伝わる「祝部氏系図」(海部氏系図)です。 また、園城寺所蔵の「和気系図」(円珍俗姓系図)も有名です。
その後、系線の途中を折り曲げて左側に書きつないでいく、横系図が平安時代頃に発明されます。
これが今日一般的に見られる系図の様式です。 京都下鴨神社の社家に伝わる「下鴨系図」が横系図の最古のものと考えられています。
平安時代律令制が崩壊すると、官職は私物化され特定の氏族が独占するようになります。 それが代々子孫へ受け継がれ、官職や任務は「家業」として認められるようになります。
公家では藤原氏一族をはじめ嵯峨源氏や村上源氏が中心であり、武家は清和源氏、桓武平氏、 利仁流藤原氏、秀郷流藤原氏をはじめとする武門の家柄がつとめ、文官においても中原氏(明法道)、大江氏(文章道)など特定の家が継承しました。
このことは学問や文化・芸能の世界でも同様です。
「その氏族につながる者でなければ家職をつぐことが出来ない。」という考え方が定着すると、自身の家系や出自を示す必要性が生じてきました。
そこで家系の証明書ともいえる「家系図」の重要性が増してきます。
源氏のみに許される征夷大将軍職を切望した豊臣秀吉は、将軍足利義昭の養子になれるように画策しています。 徳川家康は清和源氏新田氏流の系図を創作したといわれています。
江戸時代においても武士が仕官する時や、庶民が苗字帯刀を許される時など家の由緒を証明するものとして「家系図」が必要とされました。
高遠藩臣下代々録 (弊社所蔵) |
家系図の重要性が高かったことがわかります。
しかし、ほとんどの家には「家系図」などありません。よって断片的な記録や伝承などを基に「家系図」を作るしかありません。
この時に、没落した名家の系図を買い取るとか、同じ苗字の名家との関係を創作し結びつけるなどして、系図を作る者があらわれました。 『文正記』には応仁の乱頃、「凡下之者」が系図を買い侍になったと記述されています。
さらに江戸時代後期になると、「系図書き」を商売とする者もあらわれ、豪農や商家を回り系図を作りました。 ある地域に特徴が似た家伝系図が残っているのはそのためです。
■家伝系図の復権
「国史体系」収録 尊卑分脉 (弊社所蔵) |
系図研究の基礎史料となっている『尊卑分脉』でも、藤原氏と清和源氏の一部以外は信憑性が低いと考えられています。
しかし近年、系図を再評価する動きがあります。
佐々木哲氏は佐々木六角氏の研究を通じて、偽系図作者の代表とされてきた沢田源内の価値を高めています。
私は家伝系図にこそ郷土史を研究する上においても、注目すべきものがあると考えています。
まず、なによりも家伝系図は子孫繁栄を願って先祖から継承されたものであり、家や個人の生き方を支えてきた家宝であるということです。 仮に新事実が発見され多くの誤りが分かったとしても、大切に保存し伝えていかねばなりません。
また上代部分には疑問点が多くても、記述内容が増える系図の後半部分においては信憑性のある重要な記述が含まれています。 これを他の諸文献と比較検討し、一つ一つ裏づけをとることにより新しい発見がみえてきます。
とはいえ一般庶民においては史料が乏しいのが現実です。
そういう時には創造性を働かせ仮説を立てることも必要です。 その仮説に至った理由を記し、判断材料や史料も添付して、後世への宿題として残しておくのです。
こうしている今も新史料が発見され歴史の定説が覆されています。 このことは系図研究においてもいえることです。
全く関係ない所から系図史料が見つかることもあります。
これがまたルーツ探検の醍醐味といえるでしょう。
■家伝系図のチェック・ポイント
特に、中世系図の真偽を見極めることは簡単ではありません。 歴史学者と呼ばれる方でも、その多くは一般に流布している通説に従い学説を立てておられます。
地方自治体が編纂している市史・町史をみると、必ず地元の豪族・名族を取り上げています。 当然、出自や系図が紹介されるのですが、伝承や通説、そして異説を紹介するに留まっています。
なかには既存の史料の他に新しい史料を示し、それを別の視点で考察し新説をとなえている郷土史家の先生もいます。少数派でしょう。
そういう私も家伝系図に出会うと嬉しさ・感動とともに、プレッシャーを感じます。
多くの家伝系図の上代部分は直系男子のみで、実名と通称名が記されている程度です。 それが、家を興した家祖あたりから記述内容が次第に増え、兄弟や女子も記されてきます。 そして戦国末期から江戸初期の部分から命日や戒名が記され、経歴や母親・妻の出身地などが詳しく書かれてきます。
家伝系図を調べるにあたり最も重要なのが、いつ、誰が製作し、原資料は何かなど、系図史料伝来の由来です。しかし、それが明確に伝わっていない場合が多いようです。
次に『尊卑分脈』などの基礎的な系図史料や同族の系図史料と比較検討するわけですが、その他にも以下の点に注目するとよいでしょう。
●実在を確認できるか
諸文献で確認できれば良いのですが、
庶民の場合、墓石や古文書などがなければ確認することは容易ではありません。
●生存年代に矛盾がないか
歿年月日・享年から生存年代がわかります。
前後の親子関係や記事の年号に矛盾がないかをみます。
親子の年齢が近くても養子や婿養子の可能性もあります。
また婚姻・縁組関係の記述を、入手可能であれば、
該当する家の系図と比較すると良いでしょう。
●実名の変遷に不自然さがないか
平安末期以降、先祖代々の一字を受け継ぐ「通字」の傾向があります。
通称名に特徴があることもあります。
ただし主従関係や政治的関係から例外もあります。
●家督相続者に不自然さがないか
長子のみが家督を継いだ系図もありますが、
兄弟順を入れ替えて書いている場合があります。
●官位・官職名や活動時期の事績に矛盾がないか
●事件や地名の誤りはないか
歴史的な大事件での先祖の功績が書かれている場合が多い。
●居住地の移動に不自然さはないか
ほとんどの家伝系図には先祖の居住地に移動が記されています。
時代背景を考えて不自然な大移動には注意が必要です。
■基本的な系図集
尊卑分脈 『国史体系』収録 |
室町初期に洞院家の事業として系図集の編集が行われ、室町末期の学者が考証を加え、江戸時代に普及しました。内容は藤原氏系図(第一・二篇)と清和源氏系図(第三篇)を主体に各流源平両氏や諸道諸職の古代姓氏も収められています。系図の宿命上考証の余地はあるようですが、現存している系図のなかでは高く評価されています。 |
群書系図部集 (続群書類従完成会) |
『群書類従』正編・続編の系図415編を収録しています。各系図の成立時期は室町から江戸初期のものが多いようですが、いずれにしても貴重な史料です。 |
系図纂要 (名著出版) |
皇室・公家・釈家の系図で、内容は藤原氏・紀氏・平氏・宇多源氏・村上源氏・清和源氏と古代氏姓中心の諸氏に分かれています。 『尊卑分脈』『諸家系図纂』『藩翰譜』『寛政重修諸家譜』『諸家伝』『地下家伝』などを広く検討しています。系図上にあらわれる称号・苗字は60姓777家ですが、各人とも官位・幼名・通称・法名・没年月日などの記事が豊富に記載されています。 |
寛永諸家系図伝 (続群書類従完成会) |
幕府の第一次系譜事業として寛永20年に成立した大名や旗木の系譜で1400余家を収録、わが国初の武家系図集です。 |
寛政重修諸家譜 (続群書類従完成会) |
前書から170年後の文化9年に完成した幕府編集の系図集です。 『寛永伝』との異同を考証しており、両者の系図を比べると時間的推移を感じさせます。内容は大名や旗本の本.支流や由緖、家紋が記載されていますが、直接関係する大名・旗本でなくとも、各氏の出自が参考になります。 |
系図綜覧 (名著刊行会) |
『諸家系図纂』及び東京大学史料編纂所蒐集の系図などを基に編集したものです。 『武蔵七党系図』が収録されています。 |
古代氏族系譜集成 (古代氏族研究会) |
明治の系譜学者鈴木真年氏の収集系図を底本とし、従米知られなかった古代氏族 につらなる諸氏の系図が収録されています。 |