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和歌山県のご先祖調べ
令制国の紀伊国に相当します。
古くは木国と呼ばれていました。雨が多い森林地帯であることから命名されたという説があります。
名草・海部・那賀・伊都・有田・日高・牟婁(むろ)の7郡で構成されています。
■戦国期以前の和歌山県
平安時代後期に熊野三山(熊野本宮・熊野新宮・熊野那智)への信仰が盛んになると、上皇の熊野御幸が頻繁に行われるになりました。(後白河院は34回)
これに伴い在地勢力として熊野別当家が成立、熊野街道も次第に整備され熊野詣が流行するようになります。
熊野と浄土信仰の繋がりが強くなると、熊野信仰は次第に民衆の間にも広まり、「蟻の熊野詣で」と呼ばれるほどに盛んになります。
熊野への参拝者は、各地の修験者(先達)によって組織され、契約の御師が宿舎を提供し案内したといいます。
この熊野信仰へ伝播の過程で鈴木氏は全国に広がったとも考えられています。
その他、空海の高野山金剛峯寺・真言宗紀三井寺・真言宗根来寺など大寺が建てられ、大きな勢力を持つに至ります。
南北朝の合一後は畠山氏が守護職にありましたが、僧兵を持つ寺社勢力の根来衆や地侍(国人)集団の雑賀衆など支配力を強め、強力な戦国大名が登場できませんでした。
元亀元年(1570)石山合戦が起こると、雑賀衆は本願寺方に付き、小牧長久手の合戦では反秀吉として戦います。
天正13年(1585)3月秀吉は紀伊国へ侵攻し、雑賀衆と根来衆は掃討され、紀伊国に戦国時代は終焉を迎えます。
では在地領主として勢力を持った氏族を郡別にみてみましょう。
名草郡からは神崎氏・園部氏・栗栖氏・田井氏・田屋氏・平田氏・和佐氏・湯橋氏・岩橋氏・山東氏・田所氏など
那賀郡からは津田氏・田林氏・猿川氏・庄司氏・荒見氏・丹生屋氏・名手氏・妹背氏・田中氏・根来氏など
海部郡からは向井氏・木本氏・湊氏・雑賀氏
有田郡からは武士団湯浅党を形成する湯浅氏をはじめ、貴志氏・宮崎氏・白樫氏・二川氏
伊都郡からは隅田氏・生地(おうち)氏・贄川氏
日高郡からは湯川氏・逸見氏・寒川氏・龍神氏・岩代氏・愛洲氏・野辺氏・玉置氏・山地氏があります。
牟婁郡は熊野国と呼ばれた地域で、紀伊国南部の山岳地帯です。
まず熊野三山(熊野本宮・熊野新宮・熊野那智)の社家一族が勢力を持ちます。
新宮社家には穂積氏から出た鈴木氏・亀井氏、その他に社家榎本氏・宇井氏があります。
また社家とは別に政治的な責任者として熊野別当があります。
那智社社家には潮崎氏・米良氏・橋爪氏・西氏があります。
その他牟婁郡域で知られる諸豪に、山本氏・清水市・色川氏・高川原氏・和田氏・泰地氏・真砂氏・栗栖氏・安宅氏・野長瀬氏があります。
ではどのような苗字が分出したか、主要な氏族をみてみましょう。
ただし名字の出自や由緒には諸説あり、すべては網羅できておりません。参考の一つにしてください。
湯浅氏流・・・崎山・山田・大町・森・柿本・星尾・酒志・広・須原・修理川・得田・田中・丹生図・芳養・糸我・祗陀・石垣・保田・青枝・貴志・宗像・楠本・河俣・吉原・長岡・宮原・藤並・梶原・福室・船戸
武士団雑賀党・・・鈴木・太田・岡崎・土橋
熊野新宮社家・・・石垣・永田・長田・泰地・鵜殿・鳥居・横山・楠・石垣・神倉・新宮・芝・宮崎・瀧本・矢倉・中曽・簑島
熊野別当系・・・尾呂志・宮・野田・藤川・金谷・山内・岡本・江田・中・平岡・中岩・丸山・稗田・政所・請川・安井・宇田川・吉田・大岡・田辺・山崎・岸上・堀・田所・目良・堀内
和歌山県の苗字ベスト20位は以下の通りです。
1山本 2田中 3中村 4松本 5前田 6林 7谷口 8岡本 9宮本 10木村
11吉田 12山田 13坂本 14鈴木 15橋本 16井上 17森 18玉置 19山崎 20久保
和歌山県の名字は県北部に西日本タイプの傾向が強く、南部は独特の名字傾向がみられるといいます。
基本的には「田」の付く名字が多く、「山」「谷」「林」「森」などの自然地名や、集落をしめす「村」の付く苗字が多くみられます。 農耕社会の文化や山間地が多い地形の影響を受けた苗字です。
特徴的な苗字としては14位の鈴木氏です。 この日本を代表する大姓鈴木氏の主要な発祥地は和歌山県熊野地方です。
鈴木氏は熊野神社に奉仕する神官であり、名草郡白湊(和歌山県海南市)に移り王子社の神官となります。 やがて熊野水軍などの海上活動や熊野神社の勧進活動によって鈴木氏は全国的へ分散していったと考えられていきます。
18位の玉置氏は特に日高川沿いの日高地方に多く分布しています。
■江戸時代の和歌山県
江戸時代の初期には浅野氏、のちに御三家の紀州徳川家の紀州藩が置かれます。
そして附家老の安藤氏が田辺に、水野氏が新宮に入りました。
安藤氏は松平家に仕えた三河国の土豪です。元亀3年(1572)「三方ヶ原の戦い」で安藤基能が討死し、 その子直次は徳川家康の側近となり、家康の十男・徳川頼宣の附家老を任じられました。
元和5年(1619)徳川頼宣が紀伊国に入封すると、同国田辺に所領3万8千石を与えられ、幕末まで存続しました。
水野氏は宗家が家康の母伝通院の実家にあたる将軍外戚家です。 水野重央が徳川頼宣の附家老となり、紀伊国に入封にともない同国新宮を与えられました。主に江戸詰家老役にあり基本的には江戸に居住しました。
■和歌山県の家紋
和歌山県の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典』によると、和歌山県の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 木瓜 2位 片喰 3位 橘 4位 鷹の羽 5位 桔梗
6位 柏 7位 桐 8位 巴 9位 梅鉢 10位 茗荷
日本の十大家紋と比べると、藤紋と沢潟紋がランク外となり、かわりに巴紋と梅鉢紋がランク入りしています。
このなかで和歌山県の代表する家紋は木瓜紋です。
古代より紀伊国で勢力を持つ紀氏が「紀」は「木」と同訓であることから木瓜紋を用いるようになったとの説があります。 ちなみに紀氏が社家である日前国懸両神宮の神紋は九枚笹紋といいます。
和歌山県では橘紋も多い家紋です。橘氏流が橘紋を使っているというイメージがあるが、実は他流も多い。 ちなみに河内・和泉で勢力を持った橘氏流(?)という楠木氏は菊水紋です。
■和歌山県の寺院
和歌山県の寺院をみてみましょう。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、和歌山県の宗派別の割合は以下の通りです。
県全体 | |
天台宗 | 2% |
真言宗 | 34% |
曹洞宗 | 5% |
臨済宗 | 11% |
浄土宗 | 23% |
浄土真宗 | 19% |
日蓮宗 | 3% |
その他 | 3% |
和歌山県は真言宗高野山のお膝元であるため北部地域を中心に真言宗寺院が多くあります。
高野山は弘仁7年(816)に嵯峨天皇より空海に下賜され、以後伽藍・諸堂が整備され、真言宗の修禅道場の中心地として興隆しました。 有力者の庇護もあり、最盛期には二千もの堂舎が立ち並んだといいます。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋です。
真宗以上に浄土宗寺院が多く、全国的に多い曹洞宗寺院が少なく臨済宗寺院が多いことも特徴的です。
■和歌山県の神社
紀伊国一之宮は日前(ひのくま)神宮・國懸(くにかかす)神宮です。
主祭神は日前大神宮・國懸大神。
1つの境内に2つの神社があり、総称して日前宮(にちぜんぐう)と呼ばれます。
社伝によれば、神武東征の後、紀国造家(紀氏)の祖神・天道根命(あめのみちねのみこと)が、 日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の神体として奉斎したことに始まるといいます。
社家は紀国造家の末裔紀氏。
日前・国懸神宮と比肩される古社に丹生都比売(にうつひめ)神社があります。
主祭神は丹生都比売大神。
社家は丹生氏・丹羽氏・松島氏・坂上氏。
■和歌山県の紳士録・人名録
国立国会図書館のデジタルコレクションにある紳士録・人名録を一部紹介します。
『日本全国商工人名録[明治25年版]』日本全国商工人名録 明治25年(1892) 職種別と商号
『大日本篤農家名鑑 [第1冊]明治43年5月』大日本篤農家名鑑編纂所 明治43年(1910) 村名
『和歌山県名誉家及商工人名録』報道館 明治27年(1894) 職種別と所在地
『和歌山県商工人名録』和歌山商工会議所 昭和8年(1933) 職種別と所在地
『熊野紳士録 上巻(西牟婁郡の部 上)』牟婁実業新聞社 明治43年(1910) 職業と所在地と略歴
※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。 参考の一つにしてください。
また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。