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佐賀県のご先祖調べ
律令制における肥前国の東部に相当します。明治の府県制成立で佐賀県と長崎県に分立しました。
『魏志倭人伝』に見える「末廬国(まつらのくに)」は唐津地方にあったとされ、弥生時代の大規模環濠集落吉野ヶ里遺跡があり、
朝鮮半島に近い地理的条件から、先進的な文化・技術が入り、活発な交流があったと考えられています。
■戦国期以前の佐賀県
南北朝時代の肥前国は、南北朝期前半は幕府方の九州探題、南朝方の征西将軍宮、足利直冬の三勢力が鼎立する混乱期でした。
その後、北朝に帰順した少弐氏が守護職に就きましたが、今川了俊が九州探題となると肥前国守護職を兼務し、
南朝勢力は衰退し、今川氏解任の後は九州探題となった渋川氏が守護職となります。
筑前少弐氏に敗れた渋川氏が衰退すると、周防・長門の豪族大内氏の勢力が進出してきます。
「応仁の乱」に乗じて、筑前少弐氏が肥前国東部へ勢力を広げますが、大内氏に敗れて減退します。
大内氏は肥前守護代に千葉氏を任じ、肥前国を掌握します。
戦国時代になると、少弐氏の被官であった国人領主龍造寺氏が台頭してきます。
享禄3年(1530)水ケ江城主龍造寺家兼が周防大内勢を敗走させたことで戦国大名への野心を持ち始めます。
しかし少弐氏重臣馬場氏らの謀略により、一族郎党の多くを殺害され、龍造寺氏は壊滅状態となります。
筑後蒲池氏の援助を受けて、馬場頼周を討って佐賀を奪還します。
家兼の跡を継いだ龍造寺隆信は肥前国を制圧し、豊後大友氏が島津氏に大敗すると、
その混乱に乗じて筑後国に侵攻し、北部九州に一大勢力を築き上げます。
しかし恩義ある蒲池氏を攻め滅ぼしたことで筑後国人衆が離反し、天正12年(1584)「沖田畷の戦い」で島津氏に大敗し龍造寺氏は衰退します。
龍造寺政家の後見人であった鍋島直茂は豊臣秀吉に接近し、九州征伐に参陣します。
その活躍を評価された鍋島直茂は政家に代わって国政を担うよう命じられ、鍋島氏が実権を握ることとなります。
戦国期以前より勢力を振るった在地領主の一族をみてみましょう。
以下は佐賀県(一部長崎県も含む)発祥の名字です。この苗字であれば比較的ルーツを探しやすいと思われます。
平安末期から鎌倉期にかけ松浦半島周辺に武士団松浦党が勢力を張ります。 松浦党は、嵯峨源氏の流れをくむ松浦氏を惣領とし、血縁同族以外の氏族も含まれています。
松浦党は上松浦党(佐賀県唐津市・伊万里市周辺)と下松浦党(長崎県平戸市・松浦市・佐世保市周辺)とに大別されます。ここでは上松浦党について記します。
上松浦党の首領は岸岳城主波多氏、龍造寺氏や島津氏につき戦国末期まで肥前北部の豪族として活躍しました。
上松浦党・・・相知・黒岩・向・牟田部・築地・佐里・鶴田・内田・中村・江利・厳木・日高・ 桃川・志津田・平野・大河野・曲田・徳永・荒久田・塩津留・庄崎・井手・波多・岸山・得末・大坪・馬渡・青木・ 呼子・鴨打・二俣・石田・木島・石志・河崎・山本・中村・大椙・上大杉・下大杉・武有・清水・黒川・川副・川添・ 寒水井・神田・飯田・大石・風早・古館・神田原・和多・千々賀・小田・山田・佐志・長田・大島・佐志森・菖蒲・諸浦・ 有浦・赤木堤・下津・南里・田代・相賀・寺田・奈古屋・渡辺・相浦・芦浦・値賀
大宰府官人とされ、佐賀郡高木村に起こるの高木氏から多くの苗字が分出します。
藤原姓高木氏流・・・草野・河上・於保・笠寺・八戸・龍造寺・国分・益田・長瀬・富崎・藤井・ 村上・三上・小山・此村・村田・松井・多久
佐賀藩主となる鍋島氏は佐賀郡鍋島に起こり、藤原姓少弐氏流といいます。
その他、各郡には以下の氏族が栄えます。
基肄郡からは曽禰崎氏、古飯氏。
養父郡からは板部氏、轟氏、山浦氏、倉上氏、
中津隈氏、犬塚氏。
三根郡からは馬場氏、横岳氏、宮原氏。
神埼郡からは本告氏、三瀬氏、服巻氏。
佐賀郡からは横大路氏、賀瀬氏、与賀氏、諸富氏、
小田氏、川副氏、蠣久氏。
小城郡からは下総国から下向した千葉氏、多久氏。
杵島郡からは白石氏、平井氏、渋江氏、中村氏、
後藤氏。
藤津郡からは藤津氏、原氏、岩永氏、納富氏、嬉野氏。
佐賀県の苗字ベスト20位は以下の通りです。
1山口 2田中 3古賀 4松尾 5中島 6池田 7中村 8井上 9吉田 10江口
11前田 12古川 13山田 14松本 15山下 16宮崎 17森 18山崎 19原 20坂本
西日本に多い苗字がランクインしていますが、第1位の山口は長崎県でも1位で肥前に多い苗字です。 第3位の古賀と第4位の松尾は福岡県にも多くあります。
■江戸時代の佐賀県
江戸時代の佐賀県には佐賀藩と唐津藩が置かれました。佐賀藩には蓮池藩・鹿島藩・小城藩の支藩がありました。 その他、対馬府中藩(厳原藩)の飛び地や幕府領がありました。
藩名 | 城下町 | 主な藩主の変遷 |
佐賀藩(鍋島藩) | 佐賀市 | 鍋島氏 |
蓮池藩(佐賀藩支藩) | 佐賀市 | 蓮池鍋島氏 |
鹿島藩(佐賀藩支藩) | 鹿島市 | 鹿島鍋島氏 |
小城藩(佐賀藩支藩) | 小城市 | 小城鍋島氏 |
唐津藩 | 唐津市 | 土井氏→水野氏→小笠原氏 |
佐賀藩は肥前国の戦国大名龍造寺氏の家臣でしたが、龍造寺氏の衰退後に鍋島直茂が継承して成立した藩です。 戦国期以来の領主が明治維新まで続くという稀有な藩の一つです。
それとは対照的に唐津藩は藩主が5度もかわり、長期的な藩政が行われなかった藩でした。
■佐賀県の家紋
佐賀県の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典 西日本編』によると、佐賀県の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 片喰 2位 鷹の羽 3位 梅鉢 4位 木瓜 5位 藤
6位 菱・花菱 7位 橘 8位 桐 9位 巴 10位 茗荷
日本の十大家紋と比べると、蔦紋、沢瀉紋、柏紋がランク外となり、かわりに菱紋、巴紋、梅鉢紋がランク入りしています。 梅鉢紋は菅原道真を祀る太宰府天満宮の神紋、天満宮信仰の影響もあると思われます。
戦国大名・豪族の家紋をみてみましょう。
高木氏(藤原姓)が日足紋、その高木氏流の龍造寺氏が十二日足紋、於保氏が八つ日足紋、
千葉氏(桓武平氏良文流)が月星紋、その千葉氏流の徳島氏(桓武平氏)が五葉の根笹紋、
江上氏(大蔵氏族)が梅鉢紋、
鍋島氏(藤原姓少弐氏流)が杏葉紋、
横岳氏(藤原姓少弐氏流)が寄懸り目結紋、
馬場氏(藤原姓少弐氏流)が隅立四つ目結紋、
小田氏(藤原姓宇都宮氏流)が寄り掛目結紋、
神代氏が三つ巴紋、
渋江氏(橘姓)と、その分流中村氏が橘紋、
嬉野氏が丸に一文字紋、
嵯峨源氏松浦党波多氏が二つ引両に三つ星紋、
鴨打氏が三つ星二つ引両紋、
伊万里・鶴田・山代・有田・有浦の諸氏が三つ星紋、
執行氏(伴氏兼道流)が三つ盛桔梗紋。
■佐賀県の寺院
佐賀県の寺院をみてみましょう。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、宗派別の割合は以下の通りです。
県全体 | |
天台宗 | 4% |
真言宗 | 10% |
曹洞宗 | 23% |
臨済宗 | 14% |
浄土宗 | 8% |
浄土真宗 | 28% |
日蓮宗 | 7% |
その他 | 6% |
一方、福岡県に多い浄土宗が少ないのが特徴的です。
■佐賀県の神社
肥前国一之宮は與止日女(よどひめ)神社です。河上神社ともいい、佐賀市大和町に鎮座しています。
主祭神は神功皇后の妹とされる與止日女命(よどひめのみこと)です。
欽明天皇25年(564)11月1日が創祀され、荒ぶる川の神を鎮めたとの説話もあり、水の神様として崇敬されています。
三養基郡みやき町に鎮座する千栗(ちりく)八幡宮も一之宮として崇敬されています。
主祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后です。
神亀元年(724)、肥前国養父郡司壬生春成が八幡神の神託をうけ、千根(ちこん)の栗が生えている地に創祭したといいます。 承平年間(931~938)に宇佐八幡宮の別宮になり、九州五所八幡別宮の一つとして崇敬されました。
■佐賀県の人名録
国立国会図書館のデジタルコレクションにある人名録を一部紹介します。
『日本全国商工人名録[明治25年版]』日本全国商工人名録 明治25年(1892) 職種別と商号
『大日本篤農家名鑑 [第1冊]明治43年5月』大日本篤農家名鑑編纂所 明治43年(1910) 村名
『佐賀商工人名録』佐賀商業会議所 大正14年(1925) 職種別と所在地
※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。 参考の一つにしてください。
また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。