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宮崎県のご先祖調べ

令制国の日向国にあたります。大宝2年(702)に薩摩国、和銅6年(713)に大隅国が分立しています。 日向国の国府は西都市大字右松付近と推定されています。

戦国期以前の宮崎県
 鎌倉時代の日向国は、北東部地域(延岡市辺り)を土持氏、西部の山間地域(高千穂町辺り)を大神氏流三田井氏が勢力を持ち、 中部地域には鎌倉御家人伊東氏が入って次第に基盤をつくり、南部地域には日向・大隅・薩摩にまたがる日本一広大な荘園・島津荘に地頭職を得た島津氏が根を張ります。

 南北朝時代になると、北朝方足利尊氏は一門の畠山直顕が日向国に派遣し、南朝勢力に対峙させます。 一方の南朝方は懐良親王を下向させ、肥後菊地氏を味方に征西府を樹立、北朝方(武家側)との対決姿勢を鮮明にします。
その後、日向国も足利尊氏方・直冬方・宮方の三つ巴の争いに巻き込まれ、群雄割拠の状況になっていきます。
 室町時代中期には、北部の土持氏、中央部の伊東氏、南西部の北原氏、南東部の島津一族を中心となり、各地の国人領主を吸収しながらの勢力争いが展開されます。

 戦国時代になると、伊東氏が日向国中部南部(那珂郡・児湯郡・宮崎郡・臼杵郡・諸県郡)を掌握、佐土原城(宮崎市)を本拠に伊東四十八城で領内を統治し最盛期を築き上げました。 しかし急速に勢力を拡大させる島津氏との抗争が激化、元亀3年(1572)5月「木崎原の戦い」で伊東氏は大敗し、主要な臣下を多数失います。
 伊東義祐は豊後の大友義鎮に助けを求めましたが、「耳川の戦い」でも敗北し、日向国は島津氏が支配することになります。
 島津氏の勢力拡大とその挫折については鹿児島県のご先祖調べを参照してください。

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宮崎県の名字
 戦国期以前より勢力を振るった在地領主の一族をみてみましょう。 以下は宮崎県ゆかりの名字です。
ただし名字の出自や由緒には諸説あり、すべては網羅できておりません。参考の一つにしてください。

 臼杵郡は、三田井(高千穂町)の豊後大神氏流三田井氏(高千穂氏)が起こり、河内・田原・岩戸・芝原・向山・桑野内・興梠(こうろぎ)などの諸氏が分出します。
 田部姓土持(つちもち)氏は延岡市域の縣土持氏と高鍋町辺りの財部土持氏が有力で、「土持七頭」と呼ばれる財部(たからべ)・臼杵・大塚・清水・都於郡(とのこおり)・瓜生野(うりゅうの)・飫肥(おび)の諸氏を輩出します。 その他に富高氏、馬原氏、柳瀬氏があります。
 門川に起こる門川氏は伊東氏流、支族に佐々宇津・小松・日知屋・宮崎・曽井・飯田・清武・山之城・平賀・石塚・池尻などがあります。
 児湯郡は、米良荘に菊地氏流米良氏が起こります。
 日下部氏は児湯郡都万神社(西都市)の祠官から在地領主となり、子孫から伊東氏の有力武将となった郡司氏が出ます。 日下部氏流には、吉野・岩切・嵐田・弘原・山尾・薄田・打橋・海江田・刑部・金丸・杉田・門田があります。
 那珂郡には、伊東氏族田島氏図師氏垂水氏があります。
 宮崎郡には、日下部氏流那珂氏長谷場氏があります。
 諸県郡はそのほとんどが島津荘に含まれます。島津荘は島津氏発祥の地、惟宗忠久が文治2年地頭職に補任されたことに始まります。 忠久は日向・大隅・薩摩三カ国の守護に任じられています。
 諸県郡には島津氏族が成長します。北郷(ほんごう)氏樺山氏は有力で、とくに北郷氏は都城を築き、現・都城市域を統治しました。 また大隅の肝付氏族も進出しており、梅北氏安楽氏北原氏があります。とくに北原氏は飯野城を本拠に現・えびの市や小林市・高原町を勢力下に置き、飯野・須江・野口・花北の諸氏を分出しています。
 最後に日向国の大族伊東氏をみてみます。
 伊東氏工藤祐経が日向の地頭職を与えられ、庶家を下向させたことに始まります。それらは田島氏門川氏木脇氏を名乗ります。
 本家伊東氏の下向は、建武2年(1335)足利尊氏の命を受けた伊東祐持とされ、宮崎平野を中心に勢力を拡大していきます。 やがて守護島津氏と対峙するようになり、抗争を繰り返しながら版図を広げていきます。
 伊東氏の全盛期、以下の伊東四十八城をもって領内統治が行われました。
城名 所在地 城主
塩見城 日向市塩見 右松氏
日知屋城 日向市日知屋 福永氏
山陰城 日向市東郷町 米良氏
坪谷城 日向市東郷町 米良氏
門川城 東臼杵郡門川町 米良氏
水志谷城 東臼杵郡美郷町 奈須氏
神門城 東臼杵郡美郷町 小崎氏
雄八重城 東臼杵郡美郷町 米良氏
田代城 東臼杵郡美郷町 箟尾氏
入下城 東臼杵郡美郷町 入下氏
高知尾城 西臼杵郡高千穂町 三田井氏
佐土原城 宮崎市佐土原町 佐土原氏
那珂城 宮崎市佐土原町 郡司氏
紫波洲崎城城 宮崎市折生迫 川崎氏
都於郡城 西都市都於郡 伊東氏
平野城 西都市平郡 米良氏
三納城 西都市三納 飯田氏
穂北城 西都市穂北 長倉氏
富田城 児湯郡新富町 湯地氏
財部城 児湯郡高鍋町 落合氏
高城 児湯郡木城町 野村氏
新納石城 児湯郡木城町 長友氏
宮崎城 宮崎市池内町 肥田氏
石塚城 宮崎市浮田 平賀氏
曽井城 宮崎市恒久 八代氏
清武城 宮崎市清武町 長倉氏・上別府氏
田野城 宮崎市田野町 長倉氏
倉岡城 宮崎市糸原 野村氏
穆佐城 宮崎市高岡町 落合氏
飯田城 宮崎市高岡町 河崎氏
内山城 宮崎市高岡町 野村氏
瀬平城 日南市富士 上別府氏
飫肥城 日南市飫肥 伊東氏
酒谷城 日南市酒谷乙 長倉氏
目井城 日南市南郷町 川崎氏
木脇城 東諸県郡国富町 福永氏
本庄城 東諸県郡国富町 河崎氏
八代城 東諸県郡国富町 伊東氏
守永城 東諸県郡国富町 内田氏
綾城 東諸県郡綾町 佐土原氏
漆野城 小林市野尻町 漆野氏
紙屋城 小林市野尻町 米良氏
戸崎城 小林市野尻町 肥田木氏
野尻城 小林市野尻町 福永氏
三ツ山城 小林市細野 平良氏
野首城 小林市東方 米良氏
那佐木城 小林市須木 肥田木氏
須木城 小林市須木 米良氏
高原城 西諸県郡高原町 福永氏

 宮崎県の苗字ベスト20位は以下の通りです。
1黒木 2甲斐 3河野 4日高 5佐藤 6長友 7田中 8中村 9児玉 10山下
11井上 12高橋 13谷口 14吉田 15矢野 16後藤 17横山 18山本 19岩切 20山口

 西日本を代表する中村・田中、東日本を代表する佐藤が上位にありますが、黒木・甲斐・日高など他府県では上位にない苗字が見られます。
 黒木氏は筑後国上妻郡黒木荘の発祥とされ、日高氏は紀伊国日高郡の発祥とされています。
 島津藩領である宮崎県南部は、鹿児島県と同様に松元・岡元など「元」が付く苗字が多くあります。

江戸時代の宮崎県
 江戸時代の日向国に大きな大名は置かれず、幕府領と小藩に分割されていました。 南部の諸県郡は薩摩藩が領有し、臼杵郡の一部は人吉藩領となっていました。
 廃藩置県時に宮崎県に存在した藩と幕府領は以下の通りです。
藩名 城下町 主な藩主の変遷
延岡藩 延岡市 内藤氏
高鍋藩 高鍋町 秋月氏
佐土原藩 宮崎市 島津氏
飫肥藩 日南市 伊東氏
代官・奉行 陣屋地 管轄地
幕府領
富高代官所
日向市 西国筋郡代の出張所
臼杵郡5村・那珂郡15村・児湯郡24村・宮崎郡2村・諸県郡4村

 諸県郡を領した薩摩藩北郷氏(都城島津氏)が領主となり、薩摩本藩と同じく外城制で支配しています。

宮崎県の家紋
 宮崎県の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典』によると、宮崎県の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 鷹の羽 2位 桐 3位 片喰 4位 橘 5位 藤
6位 梅鉢 7位 菱・花菱 8位 柏 9位 木瓜 10位 巴

 日本の十大家紋と比べると、沢潟紋茗荷紋蔦紋がランク外となり、 かわりに梅鉢紋菱・花菱紋柏紋がランク入りしています。 鷹の羽紋の多さは肥後菊池氏の影響が考えられ、梅鉢紋は天神信仰に由来すると思われます。
 戦国領主の伊東氏は庵木瓜紋、土持氏は唐花紋、北原氏は尻合せ三つ雁紋、三田井氏は左三つ巴紋、 米良氏は並び鷹の羽紋、島津氏族の北郷氏・新納氏は十字紋を使用しています。

宮崎県の寺院
 宮崎県の寺院をみてみましょう。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、宮崎県の宗派別の割合は以下の通りです。
  県北部
(延岡・日向)
県中央部
(宮崎・西都)
県南部
(日南・都城)
天台宗 2% 3% 6%
真言宗 12% 21% 11%
曹洞宗 42% 13% 6%
臨済宗 2% 7% 7%
浄土宗 4% 7% 7%
浄土真宗 28% 33% 51%
日蓮宗 7% 10% 11%
その他 3% 6% 1%
 宮崎県全体を通して真言宗・曹洞宗・真宗寺院が多くあります。これは全国的に変わりません。
 旧薩摩藩領の県南部地域は真宗寺院が際立って多い傾向にあります。これは幕末維新期の断行された廃仏毀釈運動が大きく関係しています。
 詳しくは鹿児島県のご先祖調べ<薩摩藩の廃仏毀釈>を参照してください。

宮崎県の神社
 日向国一之宮は都農(つの)神社です。児湯郡都農町にあります。
 主祭神は大己貴命(おおむなちのみこと)、大国主命のことです。
 社伝では、神武天皇が東征に向かう際、この地に立ち寄り、鎮祭したことに始まるといいます。

宮崎県の人名録
 国立国会図書館のデジタルコレクションにある人名録を一部紹介します。
『日本全国商工人名録[明治25年版]』日本全国商工人名録 明治25年(1892)  職種別と商号
 『大日本篤農家名鑑 [第1冊]明治43年5月』大日本篤農家名鑑編纂所 明治43年(1910)  村名
『宮﨑市商工人名録』宮崎市 昭和2年(1927)  職種別と所在地


※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。 参考の一つにしてください。
 また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。


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