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鹿児島藩(薩摩藩)家臣のご先祖調べ

 薩摩国大隅国の2か国(現在の鹿児島県全域)および日向国諸県郡(現在の宮崎県南西部)を領有し、 琉球王国(現在の沖縄県)を支配下に置きました。
 藩主島津氏は、鎌倉時代初期に初代島津忠久が薩摩・大隅・日向国の守護職に任ぜられて以来、 南九州の守護大名・戦国大名として発展し、全盛期には九州をほぼ制圧するほどになります。
 「関ヶ原の戦い」で西軍に付きましたが、井伊直政の取りなしで本領を安堵され、島津義弘の三男島津家久が藩主と認められました。
 ここに鹿児島藩が始まります。

鹿児島藩(通称:薩摩藩)
 版籍奉還後に定められた正式名称は鹿児島藩、薩摩藩は通称です。
  藩庁 鹿児島城 (別名:鶴丸城)  
  江戸屋敷 上屋敷(千代田区内幸町) 中屋敷(港区芝)  
  石高(表高) 77石 (実際の玄米高は約半分)
  江戸城控間 大広間
  藩校 造士館 安永2年設立
  格付け 国主
  爵位 公爵

鹿児島藩の歴代藩主
島津氏 家紋:丸に十の字
本姓:惟宗氏
菩提寺:曹洞宗福昌寺
 (鹿児島市)
代数 氏名 官位 在職
島津家久
(いえひさ)
従三位・薩摩守
中納言
慶長6年(1601) ~
寛永15年(1638)
島津光久
(みつひさ)
従四位上・薩摩守
左近衛中将
慶長15年(1638) ~
貞享4年(1687)
島津綱貴
(つなたか)
従四位上・薩摩守
左近衛中将
貞享4年(1687) ~
宝永元年(1704)
島津吉貴
(よしたか)
正四位下・薩摩守
左近衛中将
宝永元年(1704) ~
享保6年(1721)
島津継豊
(つぐとよ)
従四位上・大隅守
左近衛中将
享保6年(1721) ~
延享3年(1746)
島津宗信
(むねのぶ)
従四位上・薩摩守
左近衛中将
延享3年(1746) ~
寛延2年(1749)
島津重年
(しげとし)
従四位下・薩摩守
左近衛少将
寛延2年(1749) ~
宝暦5年(1755)
島津重豪
(しげひで)
従四位上・薩摩守
左近衛中将
宝暦5年(1755) ~
天明7年(1787)
島津斉宣
(なりのぶ)
正四位上・薩摩守
左近衛中将
天明7年(1787) ~
文化6年(1809)
10 島津斉興
(なりおき)
正四位上・薩摩守
参議
文化6年(1809) ~
嘉永4年(1851)
11 島津斉彬
(なりあきら)
従四位上・薩摩守
左近衛中将
嘉永4年(1851) ~
安政5年(1851)
12 島津茂久
(もちひさ)
従一位・大隅守
参議
安政5年(1851) ~
明治4年(1871)

鹿児島藩の支配体制と家臣団
幕末期の薩摩藩士の家格と、その家数は以下の通りです。
 一門家(4家)…島津本家の二男家または准二男家
  加治木家・垂水家・重富家・今和泉家
 一所持(21家)…島津本家の三男以下の創立家、
  もしくは格別由緒家
  一郷を持つ領主、日置・花岡・宮之城・都城など
 一所持格(41家)…数村を持つ領主
 寄合(54家)…組頭や番頭に任じられる家格
  一所持や一所持格の二男・三男が創立した家、
  平士のなかで大番頭や大目付を勤める家など
 寄合並(10家)… 同上
以上が上級武士である大身分の上士です。
 小番(760家)…騎馬侍である馬廻り
 新番(24)…100石以上のもの
 小姓与(3094家)…他藩でいう徒士、
  新番以上の城下士を除いた諸士
  鹿児島士や城下士と呼ばれた。
以上が平士です。
 その下に、各役所(座)に付属された武士である与力、在郷居住の武士である郷士があり、ここまでが士分でした。 さらにその下に准士分の足軽がいました。
ちなみに明治維新の立役者西郷家・大久保家の家格は御小姓与です。
 薩摩藩の場合、約80%が郷士で、約20%が鹿児島城下に居住していました。在郷に住む郷士城下士では待遇に大きな差があり、持高も城下士が優遇され、郷士は下に見られていました。

 <外城制度>
 薩摩藩は近世以前の支配体制を継承した外城制を敷き、領内の農山漁村や町場の統治を行いました。
 外城制では、地頭仮屋を中心に半農半士の武士(郷士)が集団居住(麓集落)し、さらに農村にも居住して普段は農民と同じく農作業を行います。 外城行政の長は鹿児島城下の居住する地頭ですが、実質的は上級郷士(郷士年寄・組頭・横目の麓三役)が担いました。
 麓三役の下には、普請見廻・郡見廻・山方見廻・はぜ方見廻・書役・郷士触役・高調役・部当・野廻・牧司・主取・庄屋などがあり、すべて郷士の役職でした。
 郷士のなかにも以下の家格差がありました。
 高持士…禄高を持つ郷士
 一ケ持士…屋敷だけを持つ郷士
 無屋敷士…屋敷なしの無高郷士
 外城は、薩摩国に49ヶ所、大隅国に41ヶ所、日向国に21ヶ所あり、領内に多くの武士が分散居住していたことが分かります。 全国平均の武士人口比が約5%とされるなか、薩摩藩の武士は人口比26%(明治4年調査)といいますから武士の多さが際立ちます。
      ⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)

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鹿児島城下
 武家屋敷は鶴丸城近くにあり、それに連なって町屋敷・近在がありました。
 屋敷地は「町が3分、武家が7分」といわれ、倍以上の面積を武家屋敷地が占めていました。人口は、武士が町人の3倍以上、家来や与力・足軽を含めると8倍以上に達したといいます。
 武家屋敷は、鶴丸城本丸(写真右)の前から東を上方限(かみほうぎり)、二之丸前から西を下方限(しもほうぎり)といいます。現在の鹿児島市役所辺りが境目です。 町屋敷は大きく3つに区分されます。鶴丸城の北東方海岸寄りを上町、南方海岸寄りを下町、甲突川西側を西田町といいました。そして周辺に続く農村部を近在といいます。 武家屋敷と町屋敷は堤防をつくるなど区分され、町の入り口には「町門」がつくられたといいます。

 上級武士である上士は鶴丸城近くに居住し、下級武士になるに従い城から遠くに居住します。よって現在の鹿児島市庁舎別館には一門家のひとつ加治木家、その近くには宮之城島津家・入来院家・喜入肝付家・吉利小松家などの上士武家屋敷が集まっていました。 千石馬場(現・西千石町)には千石取りの上級武士の屋敷地であったことに由来します。上士の屋敷移動はほとんどなかったようです。 平士の屋敷地は甲突川東岸の下方限に最も多く集中し、加治屋町付近からは幕末維新期に活躍する人物が現れます。
 鹿児島城下の開発は地形上、南や西に広がっていきます。それまで農地であった場所が屋敷地となっていきます。 多くの下級武士は、これら荒田・武・西田などの近在に居住することになります。 文政年間(1818~30)の武家屋敷分布状況をみると、上方限に約31%、下方限に約47%、周辺部に約22%となります。

鹿児島藩の家臣
『薩州島津家分限帳』(高野 和人/編纂)より藩士家名
あ) 愛甲・芦谷・赤松・赤塚・赤崎・赤井・有川・有馬・有田・有村・有川・安藤
い) 伊集院・伊勢・伊地知・伊東・伊藤・伊木・岩下・岩元・岩本・岩崎・岩山・ 岩城・市来・市田・石黒・石川・石原・池田・池山・今井・今藤・入来院・ 入江・入佐・稲田・稲津・藺弁田・家村・稲富・碇山・猪股・飯隈山
う) 宇宿・梅田・梅北・鵜木・臼井・内山・内田・上原・上村・上田・植村
え) 頴娃・頴川・海老原・榎元・江田
お) 大野・大田・大迫・大山・大窪・大脇・大河平・大重・大原・大嶋・大場・ 大橋・小倉・小笠原・小田・折田・鬼塚・面高・押川・岡本・尾上

か) 鎌田・樺山・桂・川田・川上・川口・川北・川辺・川野・川村・河野・ 海江田・蒲生・加治木・鹿嶋・加納・加藤・片野坂・亀山・掛橋・汾陽・勝部・柏
き) 肝付・喜入・基太村・木脇・木藤・岸・岸良・貴嶋・菊地・霧島
く) 久保・桑山・隈元・黒岩・黒田・倉山
こ) 木場・小林・小嶋・小森・小松・小久保・郡山・古後・児玉・國分・近藤・ 江夏・郷原・郷田・五代

さ) 相良・讃良・迫水・迫田・佐久間・佐多・左近充・税所・崎元・坂口・坂本・ 坂元・斎藤
し) 嶋津・渋谷・渋江・篠崎・志和地・下河辺・清水・志岐・重久・白石・椎原・柴・柴田
す) 諏訪・須磨・鈴木
せ) 関山・瀬川・千田
そ) 園田・曽山

た) 種子島・種子嶋・高橋・高崎・高城・高田・財部・田向・田村・田原・田中・ 田尻・田畑・田宮・谷山・谷村・谷川・竹原・竹下・竹内・宅間・中馬・武
ち) 中馬・知識
つ) 津留・堤・図師崎
て) 寺山・寺尾・弟子丸
と) 土岐・土持・友野・東郷・時任・富田・得能・徳田・徳永・鳥丸・道嶋

な) 名越・中村・中江・中野・中神・中山・中西・中原・長沼・長野・長山・ 長崎・永沼・南雲・永江・永井・永田・永山・奈良原
に) 新納・二階堂・西・西田・仁禮・入田
の) 野村・野沢・野本・野崎

は) 畠山・長谷場・半田・林・早川・橋口・萩原・原田・土師・伴
ひ) 菱刈・比志嶋・平田・平城・平山・平崎・平瀬・肥後・久留・日高・肱岡
ふ) 福山・藤野・福嶋・福崎・淵邊・藤井・藤田・藤山・古川
へ) 日置
ほ) 北郷・本田・本城・本郷・本庄・堀・北条・細瀧

ま) 町田・松崎・松井・松本・前田・前谷・益満・益田・牧野・丸目・丸野・丸田
み) 宮之原・宮里・宮内・三原・三雲・美代・満尾・峯崎・水間
む) 村田・村野・村尾・村上・向井
め) 米良
も) 森・森川・森山・毛利・餅原

や) 山田・山沢・山岡・山元・山下・山内・山本・山之内・山口・山路・薬丸・ 矢野・矢木・八木・柳元・簗瀬
ゆ) 弓削
よ) 義岡・吉利・吉田・吉井・吉川・横山・四元
わ) 鷲津・脇田

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