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兵庫県のご先祖調べ
令制国の但馬国・播磨国・淡路国の全域と、摂津国の有馬郡・川辺郡・武庫郡・菟原郡・八部郡、丹波国の多紀郡・氷上郡に相当します。
畿内・山陰・山陽・南海の四道にまたがる面積が広い県です。
■戦国期以前の兵庫県とその名字
戦国期以前より勢力を振るった在地領主の一族をみてみましょう。
ただし名字の出自や由緒には諸説あり、すべては網羅できておりません。参考の一つにしてください。
但馬国は古くは日下部氏一族が広がり、武士団が形成していました。
その日下部氏は朝来郡・養父郡の郡司をつとめ、多くの庶流が生じます。
主な名字をあげると以下の通りです。
養父・糸井・三江路(みえじ)・柏尾・小和田・東河(とが)・西・東・田中・高田・小野山・福井・三方・大屋・石禾(いさわ)・
軽部・山本・広谷・中尾・今村・石和田・広瀬・太田垣・林田・建屋・長町・三谷・法貴・稲津・下津田・大谷・釜田・田公(たきみ)・
朝倉・小佐(おさ)・守本・土田・八木・太田・木原・山田・魚住・宿南・内藤・寺木・奈佐・輪金寺(りんきんじ)・七美(しちみ)・
朝来・竹田・磯部・手巻・石部・勢坂(せいざか)・直田・天満・伊田・北・原・奥・長井・新垣・北村・釘貫・立脇・山口・
多々良岐・八代・筒井・井上・一方・一方上・白井・加津・加須美・小谷・末石
朝倉氏は越前国へ移り戦国大名となっています。
次いで但馬国守護となり山陰地方の大大名となった、清和源氏新田氏族の山名氏一族が勢力を拡大させます。
山名時氏の代には11ヵ国の守護職を獲得し「六分一所殿」と呼ばれ、強大な権力基盤を築き上げます。
しかしこれを脅威とみた足利義満は山名氏を挑発、「明徳の乱」を契機に勢力を減退させています。
ただ赤松氏の成敗した「嘉吉の変」での戦功により、再び数ヶ国の守護職を獲得、管領細川氏の対抗勢力として復活します。
山名持豊を西軍大将にと東軍細川勝元方と争った「応仁の乱」により、
次第に勢力を減退させ、天正年間秀吉軍によって滅ぼされました。
主な山名氏族の名字をあげると以下の通りです。
海老名・宮田・南条・渡辺・志賀・三上・岸・八橋・草山・行松・馬来
その他に主な勢力としては、朝来郡の物部氏・与布土(よぶと)氏・田路(たじ)氏、
出石郡の外垣氏・家城氏・桑垣氏・西垣氏、二方郡の塩冶(えんや)氏、
美含郡の佐津氏、城崎郡の長(ちょう)氏・上山氏・石谷氏・篠部氏・田和氏などがあります。、
播磨国では村上源氏とされる赤松氏一族が勢力を拡大します。
赤松則村が足利尊氏に従い播磨国守護となると、以後代々守護職をつとめ、赤松義則・満祐が四職家の一つに数えられます。
しかし赤松満祐が将軍足利義教を謀殺、嘉吉元年(1441)追討を受けて惣領家は滅亡します。
その後、満祐の弟赤松義雅の系統が守護職として復権しますが、守護代浦上氏の追われ、赤松氏は歴史の表舞台から消えていきます。
主な赤松氏族の名字をあげると以下の通りです。
宇野・間島・上月(こうづけ)・柏原・別所・三枝・太田・作用・釜内・豊福・中島・中山・得平・福原・水田・赤木・安室・
英賀(あが)・相野・一色・伊豆・魚住・江見・小川・大石・奥・岡・神出・蔭山・片山・神崎・喜多野・木山・能見・小松原・
孝橋(こうばし)・小寺・肥塚・佐川・新免・進・城山・高田・谷沢・垂井・千原・戸倉・長畑・長砂・中村・野口・春名・広山・
平井・日畑・広岡・船曳・蓬莱・本位田・前川・円山・松原・御野・村上・妻鹿(めが)・山崎・横野・若林・有馬・小林・淡河・
加古・櫛橋・鯰・依藤・衣笠・本郷・有年(うね)
なかでも宇野氏は播磨国守護代をつとめ、別所氏は三木城を居城に東播磨を治める国人領主として成長し、
小寺氏は姫路御着城を居城に国人領主となり、のちに福岡藩主となる黒田氏を配下におきました。
有馬氏は豊臣秀吉・徳川家康に従い久留米藩主として明治維新を迎えています。
その他に、明石郡の石井氏・河原氏、美嚢郡の渡瀬氏・藤田氏、賀古郡の梶原氏・細田氏、
印南郡の大塩氏、賀茂郡の粟生(あわう)氏・松尾氏・久米氏・田尻氏、神崎郡の恒屋氏・後藤氏、
飾磨郡の英保(あぼ)氏・三木氏・田寺氏・構内氏、揖保郡の福井氏・五百井(いおい)氏・姿見氏・男上氏・高瀬氏・円尾氏・塩津氏、
赤穂郡の内海(うつみ)氏、宍粟郡の三森氏・田路氏があります。
丹波国では、守護細川氏の守護代内藤氏が多紀郡を中心に勢力を拡大させます。
細川氏の衰退とともに内藤氏が勢力を失うと、多紀郡八上城の波多野氏が勢力を増し丹波国諸豪族をまとめる位置にありました。
波多野氏の家臣団には以下の諸氏があります。
長沢・江田・大館・小林・荒木・赤井・荻野・須知・足立・波々伯部(ははかべ)・野尻・平林・三田・渋谷・渡辺・広沢・三草
なかでも荒木一族の武士団は村雲党とよばれ、本庄・芋毛(くもげ)・大芋・今庄・新庄・平庄・宍人・園部・園田・和田・福住・本目の諸氏がありました。
その他、多紀郡には中山氏・中沢氏・酒井氏・小野原氏・畑氏・籾井(もみい)氏・脇屋氏が現われます。
氷上郡では久下(くげ)氏、荻野氏、蘆田氏、赤井氏、佐治氏、庄田氏、余田氏が出ています。
摂津国では清和源氏源満仲が川辺郡多田庄を領し、この系統を摂津源氏といいます。
この系統は諸国に広がりますが、摂津国からは多田・能勢・倉垣・馬場などの名字が出ています。
その他、川辺郡から伊丹氏、有馬郡から赤松氏流の有馬氏が出ています。
淡路国では由良城の安宅(あたぎ)氏、志知城の野口氏、洲本の菅氏、郡家の田村氏などが勢力を持っていました。
兵庫県の苗字ベスト20位は以下の通りです。
1田中 2山本 3井上 4藤原 5松本 6小林 7中村 8吉田 9前田 10山田
11橋本 12藤本 13岡本 14山口 15高橋 16大西 17岡田 18藤田 19山下 20藤井
兵庫県は田中・山本・中村といった西日本を代表する名字が上位にきます。
「田」が付く苗字は6個あり、古くから稲作地域であったことが分かります。
特徴的には4位に藤原がランクするなど「藤」が付く苗字が多くあります。
一説には出自の藤原姓を意識し、その系統を区別するため名乗ったともいいます。
「京」「大坂」に近い摂津国・丹波国は藩領・天領・旗本領に細かく分かれ、播磨国・但馬国は小藩がひしめき合う様に配置されていました。 淡路島は徳島藩領でしたが、稲田騒動が遠因となり兵庫県に編入されています。
廃藩置県時に兵庫県(淡路島を除く)に存在した藩と幕府領は以下の通りです。
藩名 | 城下町 | 主な藩主の変遷 |
柏原藩 | 丹波市 | 織田氏 |
篠山藩 | 篠山市 | 青山氏 |
三田藩 | 三田市 | 九鬼氏 |
尼崎藩 | 尼崎市 | 松平(桜井)氏 |
豊岡藩 | 豊岡市 | 京極氏 |
出石藩 | 豊岡市出石町 | 仙石氏 |
三草藩 | 加東市 | 丹羽氏 |
小野藩 | 小野市 | 一柳氏 |
明石藩 | 明石市 | 松平(形原)氏 |
安志藩 | 姫路市安富町 | 小笠原氏 |
山崎藩 | 宍粟市 | 本多氏 |
三日月藩 | 作用町 | 森氏 |
林田藩 | 姫路市林田町 | 健部氏 |
龍野藩 | たつの市 | 脇坂氏 |
姫路藩 | 姫路市 | 酒井氏 |
赤穂藩 | 赤穂市 | 森氏 |
代官・奉行 | 陣屋地 | 管轄地 |
幕府領 大坂町奉行 |
大阪市 | 美嚢郡28村・印南郡1村・加東郡31村・多可郡61村・加西郡42村・神東郡2村・飾西郡1村・揖西郡1村・宍粟郡42村 |
「江戸時代は武士」との伝承があれば、まずは藩士名簿である「分限帳」を確認することをお勧めします。詳しくは各藩の項を参照してください。
■兵庫県の家紋
兵庫県の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典』によると、兵庫県の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 片喰 2位 鷹の羽 3位 木瓜 4位 柏 5位 桐
6位 茗荷 7位 橘 8位 蔦 9位 梅鉢 10位 巴
日本の十大家紋と比べると、藤紋と沢潟紋がランク外となり、かわりに巴紋と梅鉢紋がランク入りしています。
関西圏特有の片喰紋の多さが目立ちます。
3位の木瓜紋は但馬の名族日下部氏の家紋、日下部一族がよく使用しています。 10位の巴紋は播磨の名族赤松氏の家紋、その他赤松氏は朝廷より賜わった桐紋、将軍家より下賜された引両紋も使っています。 但馬の名門山名氏は清和源氏新田氏流の関係から引両紋も使っています。
■兵庫県の寺院
兵庫県の寺院をみてみましょう。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、兵庫県の宗派別の割合は以下の通りです。
但馬・丹波 (豊岡・篠山) |
播磨・摂津 (姫路・神戸) |
淡路 |
|
天台宗 | 6% | 5% | 0% |
真言宗 | 13% | 18% | 68% |
曹洞宗 | 26% | 10% | 1%以下 |
臨済宗 | 16% | 8% | 2% |
浄土宗 | 11% | 10% | 7% |
浄土真宗 | 21% | 37% | 6% |
日蓮宗 | 6% | 8% | 14% |
その他 | 1% | 4% | 3% |
しかし丹波地域に限れば、京都府同様に曹洞宗・臨済宗の勢力圏といえます。
一方、淡路は真言宗系寺院が70%にせまる多さで、際立っています。
■兵庫県の神社
ここでは但馬国と播磨国の一之宮について記します。
但馬国一之宮は、『古事記』『日本書紀』の天日槍伝説で知られる出石神社(豊岡市)です。
『日本書記』によると「新羅国の王子天日槍は垂仁天皇の御代に日本に聖王がいると聞き、播磨国にやってきた。 その時に「八種の神宝」を奉じたので、天皇から好きなところに住むことを許された。 そこで宇治川を遡って近江国に入り、若狭国を巡り、但馬国に来て出石に居所を決めた」とあります。
祭神は天日槍命(あめのひぼこのみこと)と、八種の神宝の神霊を祀った出石八前大神(いづしやまえのおおかみ、出石八前大神)です。 社記では、谿羽道命(たにはみちのみこと)と多遅麻比那良岐命(たじまひならきのみこと)が祖神の天日槍を祀ったことに始まると伝えています。
出石神社の社家は天日槍の子孫出石君氏、のちに大倭国造の祖倭直長尾市の後裔長尾氏、糸井造姓の神床氏が勤めています。
播磨国一之宮は出雲の神を祭る伊和神社(宍粟市)です。
主祭神は大己貴神(おおむなちのかみ)です。
大己貴神は播磨国を御巡歴し国造りをなされ、伊和里(神社のある地)に至り、国造りは終えて「おわ」と仰せられてお鎮まりになったといい、人々がその御神徳を慕い、社殿を営んで奉斎した。これが神社の創祀といいます。
その社殿造営が、成務天皇14年または欽明天皇25年(564)と伝えられています。 伊和神社の社家は伊和姓の安保氏が神主、高井氏は大井祝を務め、のちに大井氏・安黒氏・英保氏が継いでいます。
淡路国一之宮はイザナギ・イザナミの神を祭る伊弉諾神宮(淡路市)です。
祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)です。
国産み神話で、最初に産んだ淡路島多賀の地に鎮まったとされ、これが起源とされています。
■兵庫県の紳士録・人名録
国立国会図書館のデジタルコレクションにある紳士録・人名録を一部紹介します。
『日本全国商工人名録[明治25年版]』日本全国商工人名録 明治25年(1892) 職種別と商号
『大日本篤農家名鑑 [第1冊]明治43年5月』大日本篤農家名鑑編纂所 明治43年(1910) 村名
『兵庫県商工人名録』共益社 大正3年(1914) 職種別と所在地
『神戸紳士録』神戸紳士録発行所 明治44年(1911) 職業
『姫路市飾磨郡神崎郡大正紳士録』木内英雄 編 大正1年(1912) 職業
『明石紳士録』岩崎章 著 大正2年(1913) 職業と略歴
『姫路市 : 附・商工人名録』田中慎造 編 大正10年(1921) 職種別と所在地
※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。 参考の一つにしてください。
また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。