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徳島県のご先祖調べ

令制国では阿波国と呼ばれていました。
古代、徳島県北部は粟の産地だったために「粟国(あわのくに)」、南部を「長国(ながのくに)」といいましたが、 大化の改新の後に「粟国」に統一され、和銅6年に「阿波」に変更されした。 鎌倉時代は佐々木氏・小笠原氏が、室町時代は幕府管領細川氏が支配し、 戦国時代には小笠原氏流の三好氏が勢力を張り、京の中央政界に進出します。
京に影響力を及ぼせる地が阿波なのです。

戦国期以前の徳島県
 南北朝時代の阿波国では、細川氏が阿波国守護となり、勝瑞城(板野郡)を守護所とします。 阿波細川氏は嫡流管領家細川氏に継ぐ名門で、管領家が「上屋形」と敬称されたのに対して「下屋形」と呼ばれました。
 守護細川頼春は伊予・備後・日向守護を兼ね、幕府の重鎮として活躍します。 この頃、阿波の南朝方として、一宮城の一宮氏、剣山周辺の三木氏・菅生氏、 木屋平など山岳武士、淡路の海賊がいました。
 次の細川頼之は幕府管領に加え、七ヵ国の守護となり、大きな権勢を持ちます。
 細川義之の代には、佐々木氏武田氏を守護代に任じています。 これ以後も細川氏が代々阿波国守護に任じられます。

 戦国時代になると、管領細川政元の暗殺で後継者争い(両細川の乱)が起こり、 管領細川氏の権威は失墜し、これにかわって阿波細川氏有力被官の三好氏が台頭してきます。
 三好氏の台頭は守護細川澄元の後見として三好之長が上洛したことに始まります。 そして三好長慶の代になると、将軍足利義輝と管領細川晴元を京から追放し、 しかし権勢を誇った三好氏も天正元年織田信長により滅ぼされます。
 この間、阿波守護は細川持隆・細川真之が就きますが、実権は長慶の弟三好義賢が握りました。

 天正年間に入ると、阿波は土佐の長宗我部氏の侵攻を受けるようになります。 長宗我部元親は進撃を続け、三好氏方の拠点を征服していきます。 形成不利を悟った三好存保は織田信長に援軍を求めましたが、阿波は長宗我部氏によって平定されます。
 四国統一を成し遂げた長宗我部元親でしたが、10万の秀吉軍の前に降伏し、阿波国は蜂須賀家政に与えられました。

 この他の主な勢力には、天日鷲翔矢命の後裔忌部氏田口氏板東郡撫養氏・大代氏・薬師寺氏・篠原氏・四宮氏板西郡西条氏・武田氏・笠木氏名東郡の大粟明神祠官家一宮氏・久米氏・馬詰氏麻殖郡の忌部神社大宮司家麻殖氏・柿原氏阿波郡秋月氏・伊沢氏・小野寺氏三好郡大西氏美馬郡脇氏勝浦郡福良氏那賀郡新開氏海部郡海部氏・浅川氏・牟岐氏・日和佐氏・由岐氏があります。

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徳島県の名字
 徳島県の苗字ベスト20位は以下の通りです。
1佐藤 2近藤 3吉田 4森 5田中 6山本 7林 8大西 9山田 10阿部
11中川 12河野 13藤本 14岡田 15井上 16宮本 17松本 18高橋 19森本 20三木

 徳島県の名字の特徴は、東日本を大名する佐藤氏が第1位となり、20位までに阿部・高橋がみえます。 一方、西日本の代表格田中・山本もランクインしています。
東日本型・西日本型が混在するのが徳島の特徴です。これは四国のおける東の玄関が阿波であったことを示しています。
第2位の藤原姓近藤氏は鎌倉前期に荘官として土着した一族が知られており、 第8位の大西氏は近藤氏流との説(小笠原氏・阿波忌部氏説もある)があります。 第12位の河野氏は伊予越智氏流です。

江戸時代の徳島県
 江戸時代の阿波国は蜂須賀家が治める徳島藩25万石だけでした。
藩主蜂須賀家は、尾張国海東郡蜂須賀村(愛知県海部郡美和町蜂須賀)に発祥する清和源氏足利氏流といわれています。 藩祖蜂須賀小六正勝が豊臣秀吉に仕えて近世大名に上り詰めます。
 蜂須賀家は淡路島も治め、蜂須賀家の家老稲田家が領知しました。 明治維新に蜂須賀家の家臣と稲田家の家臣との間で騒動があり、淡路は兵庫県に編入されました。
 城下町は徳島市です。

 藩庁が置かれた城下町には、大名家の移動にともない家臣や町人、寺院も移動します。よって前の領地との関係も考える必要があります。
「江戸時代は武士」との伝承があれば、まずは藩士名簿である「分限帳」を確認することをお勧めします。詳しくは各藩の項を参照してください。

徳島県の家紋
 徳島県の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典』によると、徳島県の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 片喰 2位 桐 3位 鷹の羽 4位 柏 5位 藤
6位 菱・花菱 7位 茗荷 8位 橘 9位 木瓜 10位 巴

 日本の十大家紋と比べると、蔦紋梅鉢紋がランク外となり、かわりに巴紋茗荷紋がランク入りしています。
前述のように、徳島県からは戦国期に京の中央政界で影響力を持った名族・三好氏が出ており、使用する代表紋は三階菱です。
その影響からか菱紋が比較的多くみられます。
ちなみに藩主蜂須賀家は万字紋です。

徳島県の寺院
 徳島県の寺院をみてみましょう。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、徳島県の宗派別の割合は以下の通りです。
  北東部
(徳島・鳴門)
西部
(三好・美馬)
南部
(阿南・海部)
天台宗 1% 0% 0%
真言宗 67% 75% 70%
曹洞宗 2% 1% 10%
臨済宗 5% 1% 1%
浄土宗 3% 1% 5%
浄土真宗 14% 18% 10%
日蓮宗 2% 0% 1%
その他 5% 4% 3%
 徳島県全体を通して真言宗の寺院が圧倒的に多くありますが、これは弘法大師空海上人の影響です。
 空海は、宝亀5年(774)讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で生まれます。父は郡司佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)です。 京に上り大学寮で学びますが、19歳頃から山林での修行に入り、それが吉野の金峰山や四国の石鎚山などであったとも伝えられています。
四国の八十八ヶ所お遍路は、弘法大師の足跡をたどり、その霊場を巡拝することです。当然、真言宗寺院が影響力を増すことになります。
 一方、他地域で多い禅宗系、特に曹洞宗寺院が少ないことが特徴的です。

徳島県の神社
 阿波国一之宮は大麻比古(おおあさひこ)神社です。 神武天皇の御代、天太玉命の御孫の天富命が阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住み、麻・楮の種を植えてこの地を開拓しました。 その祖神の天太玉命(大麻比古神)を祀ったのが起源と考えられています。
 主祭神は大麻比古神 - 天太玉命(あめのふとだまのみこと)
 社家は阿波忌部氏が勤めています。

徳島県の人名録
 国立国会図書館のデジタルコレクションにある人名録を一部紹介します。
『日本全国商工人名録[明治25年版]』日本全国商工人名録 明治25年(1892)  職種別と商号
 『大日本篤農家名鑑 [第1冊]明治43年5月』大日本篤農家名鑑編纂所 明治43年(1910)  村名
『徳島県商工人名録』共益社 大正4年(1915)  職種別と所在地


※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。 参考の一つにしてください。
 また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。


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