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千葉県のご先祖調べ
令制国の上総国と安房国、そして下総国の一部にあたります。
上総国は親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は上総介です。
平野と起伏の少ない丘陵が大半を占め、年間通して温暖な気候です。
■戦国期以前の千葉県と名字
平安時代中期、地方に活路を見出した中小貴族が土着し在地領主化します。
特に桓武平氏平忠常は常陸・上総・下総国で勢力を持ち、その強大な武力を背景に反乱「平忠常の乱」を起こします。反乱は鎮定されましたが房総地域は「亡国」と言われるほど荒廃しました。
平忠常の子孫は房総平氏といい、後に鎌倉幕府御家人となる千葉氏・上総氏が出ています。
千葉氏は下総国千葉郡千葉荘におこる坂東八平氏の一つに数えられる豪族です。
千葉氏からは相馬氏・武石氏・大須賀氏・国分氏・東氏・葛西氏・椎名氏・臼井氏・海上(うながみ)氏・匝瑳(そうさ)氏・原氏・栗飯原(あいばら)氏・鷲尾氏・飯高氏・遠藤氏・白井氏・高城氏・三谷氏・遠山形氏などが分出しています。
千葉氏は源頼朝の挙兵に従い鎌倉幕府創業に尽力し、その功績により千葉常胤は下総国の守護となり上総国にも勢力を進出し、さらに東北や九州にも勢力を拡大します。
室町時代になると、鎌倉公方と室町幕府の対立、そこに関東管領の上杉氏も加わり戦乱が続きます。この戦乱に関東の諸豪は振り回されることになります。
千葉氏も一族の内紛により勢力を減退させ、急速に台頭した小田原北条氏に攻め込まれ、従属することを余儀なくされます。
この頃上総国では上総武田氏(のち真里谷氏)が台頭し、足利義明を小弓公方として擁立し勢力を拡大します。
そして永正年頃、安房里見氏は上総国へ進出、久留里城を本拠に小田原北条氏と対立していきます。一時上杉謙信と結び下総国へ侵攻しますが、小田原北条氏との覇権争いは続きました。
安房国では上野新田氏流の里見氏が台頭し、永正年頃には館山を本拠として安房国を制圧します。
一時小弓公方の足利義明に臣従しますが、足利義明の敗死とともに勢力を盛り返し、越後上杉氏や甲斐武田氏とも結び、上総国へ侵攻します。
その後も小田原北条氏と房総をめぐる覇権を争いは続くことになります。
里見氏の家臣には正木氏・上野氏・安西氏・薦野氏・真田氏・丸氏・加藤氏・秋元氏・角田氏・忍足氏・小谷氏・黒川氏などがいました。
天正18年(1590)豊臣秀吉により小田原北条氏が滅亡すると、戦国大名として覇権を握った千葉氏は所領を失い、里見氏は安房一国を安堵されます。
その後、徳川家康が関東に移封されると、上総・下総国には譜代家臣団が配置され、里見氏も江戸時代初めに改易されことになりました。
では在地領主として勢力を持った氏族を国別にみてみましょう。
安房国からは安房国一ノ宮安房神社の社家忌部氏の一族が勢力を振るい、神余(かなまり)氏・安西氏・東条氏などが分出します。
安房の戦国大名里見氏は上野国碓氷郡里見郷(高崎市)に起こる清和源氏新田氏流で、結城合戦後に安房国へ移った里見義実に始まります。
その他、安房郡沼から沼氏、朝夷郡丸厨から丸氏、平群郡正木郷に正木氏が起こります。
上総国からは平忠常の末裔上総氏が起こります。
上総氏流には伊北(いほう)氏・印東氏・天羽氏・金田氏・周東氏・周西氏・庁南氏・大内氏・潤野氏・椎木氏・綱田氏・庁北氏・米満氏・多名気氏などがあります。
康正2年(1456)には上総守護代として甲斐武田氏流の武田信長が上総国へ入り、同時期に信濃村上氏族の村上持清も上総へ入っています。
その他、秋元氏・土岐氏・酒井氏・小林氏・佐々氏などがあります。
下総国からは上記の千葉氏族が広がります。その支流のいくつかを見てます
ただし名字の出自や由緒には諸説あり、すべては網羅できておりません。参考の一つにしてください。
椎名氏流・・・醍醐・野手・井上野・松山・山桑・小見(おみ)・飯倉・長岡・太田・福岡・小田辺・柴崎
大須賀氏流・・・田部多・荒見・奈古谷・成毛(なるけ)
国分氏流・・・松沢・関戸・大戸・村田・横山・桜田・山辺・矢作
東氏流・・・辺田・高上・松本・馬場・粟野・木内・風早・小見・虫幡・油田・田部
三谷氏流・・・立沢・平田・中沢
遠山形氏流・・・神崎・小松・宮和田・南城・石出
白井氏流・・・鏑木・鳴矢木・長吉・油良(ゆら)・円城寺・金田・坂戸
千葉氏以外では葛飾郡下河辺荘に起こる藤原姓秀郷流の下河辺氏があります。
千葉県の苗字ベスト20位は以下の通りです。
1鈴木 2高橋 3佐藤 4渡辺 5伊藤 6石井 7田中 8中村 9小林 10斎藤
11加藤 12吉田 13林 14小川 15山口 16山本 17山田 18山崎 19松本 20木村
上位には東日本を代表する苗字が占めています。なかでも1位の鈴木氏は県人口の2%を越える多さです。紀伊より海路で房総半島へ辿りついた鈴木一族の活動を伺わせます。
一方、田中・中村・山本といった西日本を代表する苗字も上位に登場しています。
江戸時代の千葉県は「江戸」に近いこともあり、藩領・天領・旗本領・寺社領に細かくわかれていました。
廃藩置県時に千葉県に存在した藩と幕府領は以下の通りです。
藩名 | 城下町 | 主な藩主の変遷 |
佐倉藩 | 佐倉市 | 堀田氏 |
関宿藩 | 野田市 | 久世氏 |
高岡藩 | 成田市 | 井上氏 |
小見川藩 | 香取市 | 内田氏 |
多胡藩 | 多古町 | 松平(久松)氏 |
生実藩 | 千葉市 | 森川氏 |
鶴牧藩 | 市原市 | 水野氏 |
飯野藩 | 富津市 | 保科氏 |
一宮藩 | 一宮町 | 加納氏 |
佐貫藩 | 富津市 | 阿部氏 |
久留里藩 | 君津市 | 黒田氏 |
大多喜藩 | 大多喜町 | 松平(大河内)氏 |
勝山藩 | 鋸南町 | 酒井氏 |
館山藩 | 館山市 | 稲葉氏 |
代官・奉行 | 陣屋地 | 管轄地 |
幕府領 布佐代官所 |
我孫子市 | 長狭郡1村・朝夷郡19村・平郡10村・安房郡32村・天羽郡1村・周淮郡31村・望陀郡24村・市原郡27村・ 夷隅郡11村・埴生郡2村・長柄郡31村・山辺郡51村・武射郡42村・千葉郡49村・印旛郡99村・埴生郡27村・香取郡125村・匝瑳郡26村・海上郡19村・相馬郡49村 |
「江戸時代は武士」との伝承があれば、まずは藩士名簿である「分限帳」を確認することをお勧めします。詳しくは各藩の項を参照してください。
■千葉県の家紋
千葉県の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典』によると、千葉県の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 鷹の羽 2位 柏 3位 片喰 4位 藤 5位 木瓜
6位 蔦 7位 桐 8位 梅鉢 9位 茗荷 10位 星
日本の十大家紋と比べると、橘紋がランク外となり、かわりに月星紋がランク入りしています。
千葉県は桓武平氏千葉氏族の発祥地であり、その代表紋が月星紋です。
月星紋は北辰(北斗七星)を崇拝する妙見菩薩信仰に基づいて用いられた家紋です。
千葉氏の伝承では、先祖平良文が戦地で窮地の時、空から星が降り、それに力を得た勝利したことに因むといわれています。 そもそも妙見菩薩は武家の間で軍神として崇められており、平良文も妙見菩薩のご加護と信じて守護神として崇敬していた背景があったとのでは考えられています。 平良文流で月星紋を使用する家は多いようです。
■千葉県の寺院
千葉県の寺院をみてみましょう。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、千葉県の宗派別の割合は以下の通りです。
下総 (市川・千葉) |
上総 (市原・君津) |
安房 (館山) |
|
天台宗 | 12% | 20% | 4% |
真言宗 | 46% | 34% | 48% |
曹洞宗 | 10% | 13% | 21% |
臨済宗 | 3% | 1% | 6% |
浄土宗 | 7% | 3% | 7% |
浄土真宗 | 2% | 1% | 2% |
日蓮宗 | 20% | 28% | 12% |
またそれ以上に真言宗寺院が多くあります。真言宗智山派の大本山成田山新勝寺は、東国鎮護のため寛朝大僧正が天慶3年(940)に開山した寺院です。
一方、浄土真宗寺院が極めて少ないのも特徴的です。
■千葉県の神社
下総国一之宮は香取神宮、主祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)です。
経津主大神は大国主の国譲り神話で活躍する神様です。
社伝では、神武天皇18年創建と伝えますが、詳細は分かっていません。 しかし朝廷は東国平定の神様として篤く崇敬し、歴代の武家政権からも武神として信仰されました。
神宮の大宮司は香取氏です。「香取大宮司系図」によれば、香取氏は経津主大神の子・苗益命(なえますのみこと)の後裔とされています。 その後、香取連五百島が大中臣清暢を養子に迎えてことにより、中臣姓を称しました。
上総国一之宮は玉前(たまさき)神社、主祭神は神武天皇の母親玉依姫命(たまよりひめのみこと)です。 永禄年間の戦火により古記録を焼失し創建年代は分かりません。
安房国一之宮は安房神社、主祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)、相殿神は妃神の天比理刀咩命(アメノヒリトメノミコト)です。
社伝によれば、神武天皇の命を受けた天富命は肥沃な土地を求めて、阿波忌部氏を引き連れ、房総半島に辿り着きました。 天富命は先祖の天太玉命と天比理刀咩命を祭祀されました。
社家は忌部氏です。
■千葉県の紳士録・人名録
国立国会図書館のデジタルコレクションにある紳士録・人名録を一部紹介します。
『日本全国商工人名録[明治25年版]』日本全国商工人名録 明治25年(1892) 職種別と商号
『大日本篤農家名鑑 [第1冊]明治43年5月』大日本篤農家名鑑編纂所 明治43年(1910) 村名
『房総県紳士録 大正3年版』柴田太重郎編 大正4年(1915)
※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。 参考の一つにしてください。
また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。