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滋賀県のご先祖調べ
令制国の近江国に相当します。
古くは「淡海(あはうみ)」と呼ばれていましたが、京に近いことから「近江」の字があてられました。
ちなみに海とは琵琶湖のことです。
滋賀・栗太(くりた)・甲賀(こうが)・野洲・蒲生・神崎(かんざき)・愛智(えち)・犬上(いぬかみ)・坂田(さかた)・浅井(あさい)・伊香(いか)・高島(たかしま)の12郡で構成されていました。
■戦国期以前の滋賀県
鎌倉時代になると宇多源氏佐々木一族が近江国を支配し、戦国末期まで約400年君臨します。
近江国を湖北、湖南、湖西の三地域に分けてみると、湖北では佐々木一族の京極氏が支配し後に家臣の浅井氏が台頭します。
湖南は守護佐々木六角氏が戦国大名として支配、東南の甲賀地域には国人・土豪の小勢力による地域支配が行われていました。
湖西では佐々木一族の朽木氏が勢力を持ち、比叡山延暦寺も力を持っていました。
戦国期以前より勢力を振るった在地領主の一族をみてみましょう。
ただし名字の出自や由緒には諸説あり、すべては網羅できておりません。参考の一つにしてください。
近江国の中心勢力である佐々木一族をみてみます。
近江の佐々木氏は佐々木信綱の四人の息子(大原重綱・高島高信・六角泰綱・京極 氏信)から広がったといわれています。
ではどのような苗字が分出したかみてみましょう。
大原重綱・・・朝妻・島脇・高山・白井・本江・夫馬・竹谷
高島高信・・・朽木・永田・市原・横山・田中・原・平井・下坂
六角泰綱・・・堀部・森川・唐橋・鳥山・佐々・西条・愛智河・山内・鳥羽・上総・ 駒井・藤島・川島
京極氏信・・・鏡・岩山・松下・長岡・一円・近江・岡田・松田・浜河・高橋・郡馬・ 金吾・尼子・江浪・完道・宇賀野・多田・永谷・高田・倉知・餅田・高屋・岩山・ 鞍智・黒田・大鹿・田中・塩谷・田辺
その他にも、佐々木信綱の弟・馬渕広定・・・長江・堀部・青地
同弟・佐保時綱・・・山中
同弟・伊佐行綱・・・大山
佐々木信綱の叔父・加地盛綱・・・磯部・小島・高浜・倉田・東郷・中村・野村
同叔父・吉田厳秀
同叔父・佐々木義清・・・富田・賀野・山佐・羽田井・高岡・広瀬・別府・塩冶・乙立・ 田原・下山・吉田・福依・高木・阪谷・上郷・坂田・後藤・駒崎・古志・荻原・重栖・ 南浦・湯・佐世・垣・山根
次に佐々木氏以外の一族も見てみましょう。
清和源氏では、浅井郡山本に起こる山本氏、甲賀郡柏木に起こる柏木氏、坂田郡箕浦に起こる箕浦氏、 浅井郡錦織に起こる錦織氏、浅井郡速水に起こる速水(早見)氏があります。これらの氏族は源平合戦の頃には登場しています。
その他に、平井、栗田、小椋、山田、和南(わなみ)、梅林、山上、大町、高岸、御園、岸下、林田、石塔、森、米井(よない)、奥、樋口、柳、河曲(かわわ)の諸氏も清和源氏といわれています。
藤原氏では、神崎郡国領に起こる国領氏、滋賀郡真野に起こる真野氏、愛智郡鯰江に起こる鯰江氏がいます。豪商三井家は鯰江氏と同族といわれています。
紀氏では、織田信長の家臣瀧川一益を出した瀧川氏があります。
古代氏族では、建部(たけべ)君の末裔として建部、日吉氏があり、三上祝の末裔として三上氏、蒲生稲寸の末裔として蒲生氏があります。 戦国大名の蒲生氏郷はこの一族です。
戦国大名でいえば、佐々木一族を押さえ戦国大名に成長した浅井氏がいます。これは三条公綱の末裔ともいわれますが、実ははっきりしていません。
伊勢国津藩の初代藩主藤堂高虎は犬上郡藤堂に起こる一族、藤原姓とも中原姓ともいわれています。
甲賀郡には伴氏の一族として甲賀、平松、大原、山岡があります。甲賀といえば忍者ですが、甲賀衆と呼ばれる党を作っていました。
甲賀衆には次の名字があります。
頓宮(はやみ)、大河原、土山、佐治、大野、神保、隠岐、高峯、和田、上野、竹島、笹山、勝井、山岡、竹林、瀧、飯田、池田、望月、服部、芥川、鵜飼、内記、山中、伴、美濃部、中山、岩根、新城、八田、宇田、儀峨、大原、上野、多喜、池田、鳥居、大久保、大野、土山、平子、鮎川、黒川、饗庭(あえば)、葛城、山上、青木、宮島、針、夏見、杉山、長野、多羅尾、倉地、杉谷、三雲、牧村
滋賀県の苗字ベスト20位は以下の通りです。
1田中 2山本 3中村 4西村 5山田 6北川 7中川 8木村 9林 10清水
11井上 12小林 13北村 14吉田 15辻 16奥村 17西川 18森 19伊藤 20藤田
滋賀県の名字は、典型的な西日本タイプです。「田」の付く名字が多く、稲作文化の先進地域の影響がみらます。 また「山」「木」「林」「川」などの自然地名や、集落をしめす「村」の付く苗字も多くみられます。 これも農耕社会を影響を受けている苗字です。
さらに「北」や「西」の方角が付く苗字が目立ちます。
■江戸時代の滋賀県
江戸時代の近江国は西国の抑えの彦根藩が北部の大部分を占め、その他は膳所藩、水口藩、大溝藩、西大路藩、宮川藩、山上藩、三上藩といった小藩、 交代寄合の最上家の大森陣屋、交代寄合の朽木家の朽木陣屋、さらに他国の諸藩領や天領なども入り交じり、複雑な領地区分となっていました。
廃藩置県時に滋賀県に存在した藩は以下の通りです。
藩名 | 城下町 | 主な藩主の変遷 |
彦根藩 | 彦根市 | 井伊氏 |
膳所藩 | 大津市 | 石川氏→本多氏 |
水口藩 | 甲賀市 | 鳥居氏→加藤氏 |
大溝藩 | 高島市 | 分部氏 |
仁正寺藩 | 日野町 | 市橋氏 |
山上藩 | 東近江市 | 安藤氏→稲垣氏 |
近江宮川藩 | 長浜市 | 堀田氏 |
三上藩 | 野洲市 | 遠藤氏 |
庶民は「世襲名」をもっている場合が多く、屋号のように使われています。
あるいは同じ文字を名前に使う通字がみられます。たとえば久兵衛や久右衛門など「久」の文字を代々使うようにです。
■滋賀県の家紋
滋賀県の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典』によると、滋賀県の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 片喰 2位 鷹の羽 3位 柏 4位 木瓜 5位 梅鉢
6位 桐 7位 目結 8位 藤 9位 橘 10位 蔦
日本の十大家紋と比べると、茗荷紋と沢潟紋がランク外となり、かわりに目結紋と梅鉢紋がランク入りしています。
このなかで滋賀県の代表する家紋は佐々木氏の定紋目結紋です。
実際、近江を発祥とする佐々木一族の多くは「目結紋」を使用しています。
そのため目結紋使用家はその出自を佐々木氏と判断してしまうほど認知されています。 ちなみに佐々木氏の氏神沙々貴神社の神紋は「平四つ目」といいます。
■滋賀県の寺院
滋賀県の寺院をみてみましょう。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、滋賀県の宗派別の割合は以下の通りです。
湖北・湖東 (彦根・近江八幡) |
湖西 (高島) |
湖南 (大津・草津) |
|
天台宗 | 7% | 12% | 22% |
真言宗 | 4% | 4% | 2% |
曹洞宗 | 5% | 34% | 4% |
臨済宗 | 6% | 3% | 4% |
浄土宗 | 10% | 7% | 26% |
浄土真宗 | 63% | 40% | 36% |
日蓮宗 | 1% | 1% | 2% |
黄檗宗 | 2% | 0% | 1% |
その他 | 2% | 0% | 3% |
湖南地域は天台宗の本山比叡山の麓、寺門派三井寺もあり、天台宗の寺院が多くあります。 これに対して真言宗寺院が少ないのが特徴的です。
真宗寺院が多いこともあり、古い墓石は多くありません。
■滋賀県の神社
近江国一之宮は建部大社です。
主祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。
日本武尊は熊襲・東夷を平定された武勇の皇子で、32才の若さで伊勢国において崩御されました。 その後、妃の布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が神崎郡建部に尊の神霊を奉斎されたのが始まりとされます。
とくに源頼朝が伊豆に流される途次、建部大社で源氏再興を祈願し、ついに平氏討伐・源氏再興の宿願が成ってから、武運来運の神として信仰を集めました。
建部大社の祭祀は、建部氏(祭神・日本武尊の後裔)があたっています。
■滋賀県の人名録
国立国会図書館のデジタルコレクションにある人名録を一部紹介します。
『日本全国商工人名録[明治25年版]』日本全国商工人名録 明治25年(1892) 職種別と商号
『大日本篤農家名鑑 [第1冊]明治43年5月』大日本篤農家名鑑編纂所 明治43年(1910) 村名
『滋賀県京都府商工人名録』共益社 大正5年(1916) 職種別と所在地
『彦根案内 : 附・商工人名録』 彦根実業同志会 大正6年(1917) 職種別と所在地
※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。 参考の一つにしてください。
また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。