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高知県のご先祖調べ
令制国では土佐国と呼ばれていました。
黒潮が流れる太平洋に面して「海」のイメージが強い高知ですが、実際は山に囲まれ平地に乏しく、その山地率は89%の山国といえます。
古くは、僻地のゆえに流刑地となっていました。
室町時代になると、幕府管領細川家が守護職となり、戦国時代には長宗我部元親が土佐を統一し、やがて四国の大半を支配下に治めています。
■戦国期以前の高知県
南北朝時代の土佐国では、足利一門である細川氏が土佐国守護となります。後には室町幕府管領を輩出した細川京兆家が守護を兼ねる国となります。
「応仁の乱」がおこると細川勝元は東軍の中心人物となります。乱の余波は土佐にも及び、安芸・山田・本山・長宗我部・吉良・大平・津野ら諸豪が台頭する一因となります。
次の守護細川政元には嫡子がなく、澄之・澄元・高国の三人を養子していました。この三人の家督争いは細川一族家中分裂をまねき、のちの細川氏衰亡の遠因となります。
永正4年(1507)、管領を勤め細川京兆家の全盛期を築いた細川政元が暗殺される事件が起こります。
その後の後継者争い(両細川氏の乱)で管領細川氏の権威は失墜し、これにかわって阿波細川氏有力被官の三好氏が台頭してきます。
守護細川氏衰退後の土佐国は、盟主的存在となった土佐一条氏と、土佐七雄と呼ばれる国人衆が割拠し抗争を繰り広げることとなります。
一条氏(土佐国司) 幡多郡
本山氏 長岡郡本山城
吉良氏 吾川郡吉良城
安芸氏 安芸郡安芸城
津野氏 高岡郡姫野々城
香宗我部氏 香美郡香宗城
大平氏 高岡郡蓮池城
長宗我部氏 長岡郡岡豊城
永正15年(1508)土佐一条氏の支援により岡豊城に復帰した長宗我部国親は周辺諸豪を滅ぼし、さらに本山氏を敗走させ勢力を拡大していきます。
次の長宗我部元親の代には他の土佐六雄を次々服属させていきます。
盟主的存在であった土佐一条氏に対しては家中分裂に乗じて、一条内政を擁立して傀儡化しています。
土佐国平定を成し遂げた長宗我部氏は織田信長と同盟を結び、四国制圧にむけて進撃を始めます。
天正6年(1578)、元親は阿波への入口である白地城を制圧、ここを拠点に讃岐国・阿波国の諸豪を攻めて降伏させ、天正8年には讃岐・阿波を掌握します。
伊予国は毛利氏の援助もあり長期化しますが、天正13年(1585)には四国制圧をほぼ成功させます。
しかし豊臣秀吉に10万を超える大軍で侵攻され、長宗我部方の諸氏は次々降伏し、元親も家臣の言を受け入れて降伏、土佐国のみを安堵されることになります。
戦国期以前より勢力を振るった在地領主の一族をみてみましょう。
以下は高知県に発祥、もしくは由来がある名字です。この名字であれば比較的ルーツを探しやすいと思われます。
安芸郡には、蘇我氏流ともいう有力国人安芸氏が起こり、畑山・中川・黒岩・奈比賀・有沢・並川の諸氏を分出します。 その他、惟宗氏流の野根氏・室津氏・別府氏・安田氏、明神氏、大野家氏、安岡氏、一円氏、北川氏、有井氏、岩崎氏、和食氏、千頭氏があります。
香美郡には、清和源氏とも中原氏流ともいう有力国人香宗我部氏が起こり、中山田・西山の諸氏を分出します。 その他、大中臣氏流の山田氏、専当氏、小松氏、橘氏流の山内氏、清遠氏、村上氏、平氏の久保氏・門脇氏、夜須氏、須留田氏、大石氏があります。 また守護代細川氏関係では角田氏、島村氏、入交氏がいました。
長岡郡からは、秦氏流という戦国大名長宗我部氏が起こり、江村・久礼田・広井・中島・野田・上村・中野・大黒・久富・宍崎・光冨・馬場・西和田・蒲原・益田・国沢の諸氏を分出します。 有力国人本山氏は平氏ともいい、土佐中央部に勢力を持ち長宗我部氏と対抗しています。 その他、吉田氏、福富氏、公文氏、横山氏、武市氏、改田氏、十市氏、池氏、水口氏、土居氏があります。
土佐郡には、佐々木氏流の森氏、波越氏、和田氏、筒井氏、山之内氏、伊藤氏、中内氏、大高坂氏、金子氏、藤岡氏、仁尾氏、今井氏、秦泉寺氏、北代氏があります。
吾川郡には、清和源氏の有力国人吉良氏が勢力を張り、その他に木塚氏、森山氏、勝賀氏、安部氏がいました。
高岡郡からは、藤原氏流の有力国人大平氏と津野氏が勢力を張ります。 その他に久武氏、近沢氏、古味氏、片岡氏、中村氏、堅田氏、細木氏、河田氏、三本氏、川渕氏、福良氏、窪川氏、佐竹氏があります。
幡多郡には、応仁の乱を避けて土着した摂家藤原氏族の一条氏が戦国大名として勢力を張ります。 ともに京より下向したものに東小路・西小路・飛鳥井・白川・入江の諸氏があり、譜代の家臣としては土居・羽生・安並・為松の諸氏があります。 その他に佐賀氏、光冨氏、安岡氏、間崎氏、宮崎氏、岡村氏、加久見氏、田那部氏、上山氏、小島氏、伊賀氏、岩村氏、和田氏があります。
高知県の苗字ベスト20位は以下の通りです。
1山本 2小松 3山崎 4高橋 5浜田 6井上 7西村 8岡林 9山中 10片岡
11川村 12坂本 13松本 14和田 15田村 16前田 17田中 18山下 19岡本 20西森
高知県の名字は、西日本の代表格である山本氏が第1位ではありますが、四国他県とは異なるランキングになっています。 流刑地とされたほど、山に囲まれた僻地であったため、他地域から人の流入が少ないことが関係していると思われます。
「山」が付く名字の多さは山国のゆえであり、「田」が付く名字は稲作先進地域の西日本型傾向が伺えます。
第2位の小松氏は安芸市を中心に県中西部に多い名字です。「屋島合戦」で敗れた平重盛の子が土佐国安芸郡に土着したことに始まるとされています。
■江戸時代の高知県
「関ヶ原合戦」で西軍に与した長宗我部盛親が改易となり、土佐一国は外様大名山内氏が治めることになります。 藩主山内家は藤原秀郷流の首藤山内氏といわれますが、史上明らかとなるのは山内一豊の祖父からといい、父盛豊の代には尾張織田氏に仕えています。
藩祖山内一豊は豊臣秀吉に仕えて近世大名に上り詰めます。しかし「関ヶ原合戦」前の小山会議では、諸大名を徳川方に導く発言で徳川方結束の功績を立てます。それにより土佐一国を与えられ近世大名として明治維新を迎えています。
入国当初は長宗我部氏旧臣らの反乱に苦労しますが、藩内要衝に重臣を配し、有益な長宗我部旧臣は登用し、さらに在郷武士(郷士)として土佐藩の正式な体制に組み込んでいきました。
城下町は高知市です。
■高知県の家紋
高知県の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典』によると、高知県の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 片喰 2位 桐 3位 橘 4位 藤 5位 鷹の羽
6位 巴 7位 桔梗 8位 茗荷 9位 菱・花菱 10位梅鉢
日本の十大家紋と比べると、蔦紋と木瓜紋と柏紋がランク外となり、かわりに巴紋と茗荷紋と桔梗紋がランク入りしています。
土佐の戦国大名長宗我部氏は七つ片喰紋です。その影響からか片喰紋が比較的多くみられます。土佐中部の本山氏は檜扇紋・香宗我部氏は割菱紋、 東部の安芸氏は三つ割剣花菱紋、西部の一条氏は下り藤紋です。
ちなみに藩主山内家は三つ柏紋です。
■高知県の寺院
高知県の寺院をみてみましょう。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、高知県の宗派別の割合は以下の通りです。
東部地方 (高知・安芸など) |
西部地方 (四万十・須崎など) |
|
天台宗 | 1%以下 | 1%以下 |
真言宗 | 39% | 27% |
曹洞宗 | 4% | 8% |
臨済宗 | 6% | 12% |
浄土宗 | 3% | 10% |
浄土真宗 | 28% | 23% |
日蓮宗 | 8% | 4% |
その他 | 11% | 15% |
■高知県の神社
土佐国一之宮は高知市にある土佐神社です。
礫石を磐座として祭祀し、その創祀は古代に遡るともいいます。 しかし『釈日本紀』には、第21代雄略天皇が大和国葛城山にて狩りの最中、一言主神と出会い、その不遜な言動に怒り土佐国に配流してしまいます。 一言主神は「土佐高賀茂大社」(現・土佐神社)に祀られ、のちに賀茂氏の奏言により大和国葛城山に遷されたとあります。
主祭神は大国主神の子であり、国土の開拓、農工商あらゆる産業の繁栄の神様味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)と、 和合協調の神様である一言主神(ひとことぬしのかみ)です。
社家には大神姓谷氏や、執行氏があります。
■高知県の紳士録・人名録
国立国会図書館のデジタルコレクションにある紳士録・人名録を一部紹介します。
『日本全国商工人名録[明治25年版]』日本全国商工人名録 明治25年(1892) 職種別と商号
『大日本篤農家名鑑 [第1冊]明治43年5月』大日本篤農家名鑑編纂所 明治43年(1910) 村名
『かうち : 附・商工人名録』高知商業会議所 大正4年(1915) 職種別と所在地
『土佐紳士録』海南社 大正8年(1919) 職業
※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。 参考の一つにしてください。
また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。