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先祖の暮らしと貨幣制度
当時の貨幣が現在の価値でいくらになるかを考えてみましょう。
■江戸時代の貨幣制度
江戸時代の貨幣は、金(小判)、銀(丁銀・豆板銀)、銭(寛永通宝)の三つの基本通貨が併行して流通しました。
これらの三貨(金・銀・銭)の間には幕府が定めた御定相場がありましたが、市場経済活動が活発化するにつれて相場は変動し、御定相場の方が改定を余儀なくされていました。
金貨は尾張名古屋と加賀金沢を結ぶ線より東側の「東日本」を中心として流通し、「江戸の金遣い」と呼ばれます。
「東日本」には陸奥・佐渡・甲斐・伊豆など金山が多く、徳川家康は武田信玄の甲州金の通貨制度を江戸幕府に取り入れたといわれています。
一方銀貨は大坂を中心とする「西日本」で広く流通しました。「上方の銀遣い」と呼ばれるように、上方商人は銀貨が大口取引に用い、商品相場は銀建で表されるのが常でした。
「西日本」には生野銀山や石見銀山など銀山が多くありますが、それ以上に戦国時代以前から大陸との交易で銀貨で取り引きしていたことが関係しているといいます。
しかし日常生活において、庶民が金貨や銀貨を使うことはほとんどありませんでした。普段使用するのは少額の貨幣銭貨でした。
江戸時代には、金・銀・銭とは別に各藩が独自に領内で流通させた藩札がありました。 藩札発行の表向きは貨幣不足を補うためでしたが、実際は藩財政難再建のために藩庫に金・銀の実通貨を蓄えるためであったといいます。
■金・銀・銭
金貨の通貨単位には両(りょう)、1/4両にあたる分(ぶ 「歩」とも書く)、1/4分にあたる朱(しゅ 「銖」とも書く)があり、4進法になっています。
金1両=4分=16朱
銀貨の通貨単位には貫(かん)、匁(もんめ 「目」とも書く)、分(ふん「歩」とも書く)、厘(りん)、毛(もう)があります。
丁銀および豆板銀を天秤にかけて重さを計り、その質量が価値となります。よって通貨単位が重さの単位です。
銀1貫=1,000匁=10,000分=100,000厘=1,000,000毛
銀1匁=10分=100厘=1,000毛
銀貨は500匁毎に和紙で包む包銀(つつみぎん)として用いることが多くありました。
銭貨の通貨単位は貫(かん)と文(もん)です。「文」以下がない場合は貫文と記します。
銭1貫=1,000文
江戸時代の貨幣の複雑さは、単位が異なる金・銀・銭の通貨単位があり、その換算率が一定ではなくたえず変動することにあります。
慶長14年(1609)に幕府は金1両=銀50匁=銭4000文と定めますが、元禄13年(1700)には金1両=銀60匁=銭4000文と改訂します。そして天保13年(1842)には金1両=銀60匁=銭6500文となります。
上納金など公的なものはこの御定相場が守られましたが、江戸や大坂の市場取引では両替商らが日々の相場に基づいた商取引を行ったといいます。
実際の金銀両替相場の変遷をみると、幕末期から変動が大きく1860年頃には金1両=銀70匁、幕末には金1両=銀120匁となります。銭貨も同様でした。
■現在の貨幣価値は?
江戸時代の貨幣価値が現在のいくらに当たるのか。経済の仕組みや人々の生活が現在とは全く異なるので、例え同じ名称の商品やサービスでも内容に違いがあります。よって〇〇円と答えることが出来ません。
目安としてお米の値段で換算します。2016年末の総務省統計で米5㎏=約2100円です。18世紀、米1石(約150㎏)=1両ですので、1両=約6万3000円となります。
金1両=銀60匁=銭4000文=約6万3000円となるので、
金1両=約6万3000円
銀1匁=約1050円
銭1文=約15円
つぎに労働(大工)に対する賃金で換算します。2016年の厚生労働省統計で大工の平均日当1万5000円です。18世紀後半、1両で1日23人の大工を雇えたいいます。
つまり金1両=銀60匁=銭4000文=約34万5000円(1万5000円×23人分)となるので、
金1両=約34万5000円
銀1匁=約5750円
銭1文=約86円
収入面では労働(大工)に対する賃金で換算で貨幣価値を考える方が多いようです。
最後にそばの値段で換算します。かけそばの値段を税込300円とします。江戸後期のそばの値段は16文といいます。
つまり銭16文=300円となので、1文は約19円となります。金1両=銀60匁=銭6500文=約12万3500円となり、
金1両=約12万3500円
銀1匁=約2058円
銭1文=約19円
このように何を目安にするかで、金1両=約6万3000円~約34万5000円というように大きく異なります。(以上「日本銀行金融研究所貨幣博物館資料」参照)
これが現在のいくらに当たるかをいえない理由です。
■様々な物の値段
試みとして1石=金1両=30万円、銀1匁=5000円、銭1文=約75円として考えて、様々な職種の収入を考えてみましょう。
武家は家禄から収入が分かります。
300石知行取の武士は四つ物成(40%が年貢、60%が農民の所得)として120石が実収入。つまり年収3600万円となります。なかなかの高給取りです。
20俵1人扶持の蔵米取武士は8石8斗が実収入となり、年収264万円です。
庶民をみてみます。
一人前大工の手間賃は銀5匁4分(飯代含む)、年収約800万円。
木挽の手間賃は銀2匁(飯代含む)、日給は1万円となり、年収約300万円。
畳職人や石切の手間賃は銀3匁(飯代含む)、日給は1万5000円となり、
年収約450万円。
髪結職人の手間賃は一人銭32文で約2400円、1ケ月200人で
月収約48万円。
歌舞伎役者の寛政期最高額は尾上菊五郎500両とあり、
年収約1億5000万円。
人気相撲力士の寛政期頃の一回の興行収入50両~80両とあり、
興行収入1500万円~2400万円。
通常の宿である平旅籠は一汁二菜の朝夕飯付で1泊60文~200文とあり、
1泊4500円~1万5000円。
素泊まりの木賃宿は1泊30文~40文とあり、1泊2250円~4500円。
表長屋10畳以上の家賃は90文とあり、6750円。
裏長屋9畳以上の家賃は65文とあり、4875円。家賃は安いです。
次に食品や雑貨の値段をみてみます。ここでは蕎麦の値段を目安に考えてます。
蕎麦1杯16文=約300円として1文=18円とします。
てんぷら1串4~6文=72~108円。玉子まき1杯16文=288円。
鮨1貫8文=144円。ドジョウ汁1杯16文=288円。
茶飯1膳50文=900円。
ウナギの蒲焼1皿172文=3096円。白玉1椀4文=72円。
ところてん1椀20文=360円。桜餅1個4文=72円。
わらじ12~16文=216~288円。番傘250文程度=4500円程度。
下駄紙緒50~100文=900~1800円。
煙草5匁8文程度=144円程度。
江戸の新聞である瓦版1枚8~18文=144~288円。
(以上「江戸の家計簿」参照)
■明治時代の貨幣制度
明治新政府は明治4年(1872)新しい貨幣制度を導入します。(新貨条例)
貨幣の基準単位を両から円に切り替え、旧1両=新1円とする。
補助単位として銭と厘を導入する。1円=100銭=1000厘とする。
本位貨幣を金貨とし、1円金貨を原貨とする。
翌年には国立銀行(名前は国立だが民営である)が設立され、紙幣の発行を担うことになりました。
それでは時代の貨幣価値が現在のいくらに当たるのかも考えてみましょう。
明治38年の東京銀座・木村屋総本店の「あんパン」は1個1銭。
明治37年の「うどん・そば」は1杯2銭。
明治35年の「カレーライス」は1皿5~7銭。
明治30年頃の小学校の教員や警察官の初任給は月8~9円。
大工やベテラン技術者で月20円。
以上のことから、明治30年代はおおよそ1銭=200円、1円=2万円といえそうです。
(「値段の風俗史 明治・大正・昭和」参照)