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家紋の由来
よく使われる人気家紋の由来と使用する苗字を紹介します。
■蔦紋の由来と使用苗字「蔦紋」は、家紋ベスト10に入る人気の家紋です。その図柄の種類は500以上あるといいます。
「蔦紋」は蔓科の植物の“蔦”を象ったものです。 岩石に絡まる風趣と紅葉する葉の美しさが早くより文人歌人に愛され、文様として衣服や家具類に施されていました。 「万葉集」や「枕草子」などにはその風情が描かれています。 やがて家紋に使われますが、他の樹木や建物に絡まり成長する生命力の強さが、家紋に採用された要因とも考えられています。 また、「蔦」の字には地上に繁殖する「草」と空を翔ける「鳥」を合わせた意味があるともいいます。
室町期の『見聞諸家紋』には、越中の戦国大名椎名氏や富田氏などの家紋として記されています。
武家において「蔦紋」は、徳川氏の一族松平氏の家紋として知られています。 もとは「葵紋」が松平氏の定紋でしたが、「葵紋」が将軍徳川家の定紋になったことから、 「蔦紋」にかえたといわれています。一説には徳川家に絡まって繁栄するという意味があったともいいます。
さらに、八代将軍徳川吉宗は「蔦紋」を好んだといわれ、「葵紋」に次ぐ権威のある家紋として定着していきます。
戦国期から近世期にかけて「蔦紋」を家紋とした武家には、
大名藤堂氏(藤堂蔦)、薩摩東郷氏、美濃青山氏、丹波青山氏、陸奥磐城荒川氏、播磨有田氏、 越智氏流石尾氏、伊勢稲生氏、近江垣見氏、甲斐小菅氏、近江志賀氏、甲斐蔦木氏、 下総戸張氏、大和細井戸氏、近江吉川氏、豊後若林氏、などがあります。
「蔦紋」は権威がある家紋でしたが、一般使用を禁止しなかったため、庶民の間にも広まります。
花柳界の女性からは、“客に蔦のようにからまって離さない”という 縁起かつぎから好まれ、また商家においても暖簾や屋号に使われました。
また「蔦紋」は、「揚羽蝶紋」や「桐紋」とともにおんな紋として人気があります。 おんな紋とは女性専用の家紋のことをいい、一般的には母から娘へ受け継がれます。 江戸時代、武家が娘を嫁がせる際に実家の家紋を持って行かせたのがその始まりとされています。 おんな紋の慣習は西日本、特に関西地方にみられ、東日本では一般的ではありません
■柏紋の由来と使用苗字
「柏紋」は柏の葉を図案化したものです。
古代には柏の葉を神前にお供え物をする食器として用いていました。 古代人は葉っぱを食器がわりに使っていましたが、その中で柏の葉は特別なものと見られていたようです。
また、樹木の葉を守護する「葉守の神(御饌津神(ミケツカミ)」は柏の木に宿るとされ、 神社に参拝したとき神意を呼び覚ますため「柏手を打つ」が、これも柏と神との関係からきたものです。
これらのことから、柏は「神聖な木」と見られるようになり、神官の間で紋章として用いられました。
伊勢皇大神宮に奉仕する久志本氏、尾張熱田大宮司の千秋氏、 備前吉備津神社宮司の大守氏、筑前宗像大社の宗像氏、吉田神社の卜部氏なども柏紋を使っています。
現在、柏を神紋としている神社は各県に一社はあるといわれています。
一方、武士の間でも「柏紋」は広がりました。
2006年NHK大河ドラマ「功名が辻」の主人公山内一豊の定紋は「三つ柏紋」です。
「土佐山内氏家譜」によれば先祖の武功譚にちなむと記されていますが、それ以前から「三つ柏紋」を使用していたことが知られており、 熱田神宮の千秋氏との関係から「柏紋」を用いるようになったとの説が有力視されています。
山内氏は奥州・安芸・丹波地方に一族が広まりますが、いずれも「三つ柏紋」を使っています。
奥州の名族葛西氏も「三つ柏紋」を定紋としています。
葛西氏は奥州征伐の軍功により、源頼朝から宮城県北部から岩手県南部にわたる広大な領地を賜ります。 奥州の新領地に下向した葛西三郎清重は石巻で祝宴を開いたとき、 「空より三葉の柏が舞い下り、清重の盃に映った」 これを家門繁栄の瑞祥として「三つ柏紋」を家紋にしたと伝えられています。
葛西氏からは江刺氏・薄衣氏・岩淵氏・柏山氏などが分れますが、いずれも「三つ柏紋」を使っています。
その他、清和源氏では今井氏・神尾氏・井上氏、 藤原氏では中御門氏・萩原氏・藤井氏・高橋氏・加納氏、 桓武平氏では長田氏などが知られています。
また庶民では、護符的な意味から漁師の間に広がったといいます。
■茗荷紋の由来と使用苗字
「茗荷紋」は日本十大紋の一つで人気がある家紋です。
茗荷はショウガ科の植物で、その独特な香りと味が好まれ、食用としても栽培されています。 古くは「物忘れの妙薬」といわれ、また「ミョーガ」の発音が神仏の加護を受ける「冥加」に通じ、 このことから縁起の良いものと考えられていました。
さらに最澄や円仁が請来した異国の神「摩陀羅神」のシンボルが茗荷だという説があります。 このことから「摩陀羅神」の神紋に「茗荷紋」が定着し、 摩陀羅神の信者が「茗荷紋」を用いるようになりました。
伯耆の大山寺、出雲の鰐淵寺、出雲大社、日光東照宮などではこの神様を祀っています。
日光東照宮では、「摩陀羅神」が祀られたことから祭礼の御輿には「茗荷紋」が付いています。 日光東照宮の影響もあり、「茗荷紋」を用いる家が広まったといわれています。
京都では、秦氏の総鎮守・大酒神社の祭神に「摩陀羅神」があり、 その関係で藤原氏系統にもの「茗荷紋」が多いといわれています。
室町時代の紋帳『見聞諸家紋』をみると、室町幕臣二宮氏が「茗荷紋」を用いています。 江戸時代の大名では志摩の鳥羽氏・近江の稲垣氏が使用しています。 旗本で「茗荷紋」の家は70家をこえ、武家の間では人気の家紋であったようです。
その他、源氏系では、小沢・羽田・水谷・永田の諸氏、藤原氏系では中村・大沢・増田・堀・野間・松村の諸氏が用いています。
■片喰紋の由来と使用苗字
「片喰紋」は木瓜紋・藤紋・鷹羽紋・桐紋と並んで日本五大紋の一つに数えられている人気の家紋です。
「カタバミ」はハート型の三枚の葉に、黄色い花を咲かせる可憐な植物ですが、 噛むと酸っぱいことから「酢漿草」ともいいます。 たんぼのあぜ道や野原などどこにでも繁殖し、一度根付くとなかなか駆除できない雑草でもあります。 しかし、この繁殖力が「家が絶えない」に通じるとして家紋に用いられたといわれています。
文様としては平安・鎌倉の時代に、車の紋様などに用いられており、 紋章としては公家の大炊御門氏らが、 武家では清和源氏新田氏流の大館氏が用いています。
室町時代に成立した『見聞諸家紋』には、長曽我部氏の「七つ酢漿草紋」、 中沢氏の「酢漿草紋に二つ引両」をはじめ、肥田・多賀・小田・赤田・平尾氏らの 「片喰紋」が収録されています。
また関東諸将の幕紋が記された『関東幕注文』には上泉・大胡・妹尾・田山・河田の諸氏が「片喰紋」を使用したとあります。
このなかで、土佐の戦国大名長曽我部氏はその先祖泰能俊が土佐に下向するとき、 別れの盃に「酢漿草」の葉が七枚浮いていたことから、 それを瑞祥として「七つ酢漿草」を紋としたと伝えています。
中世期、「片喰紋」は日本全国に分布していたこと知られていますが、 特に山陰・北陸・丹波地方に多くみられるようです。
武家の間では「剣」を加えた「剣片喰紋」が多くみられます。
また昔話に、酢漿草の葉をすりつぶして鏡を磨くと、 想う人の顔が鏡のなかにあらわれるという話があり、 そのハート形の可愛らしい三つ葉から女性に好まれ、女紋としても人気があります。
■桔梗紋の由来と使用苗字
桔梗は「秋の七草」の一つで、藍色の五弁の花をつける実に優美な花です。 その優美な姿はいかにも女性的であり、おんな紋として用いられることもあります。
昔は桔梗の花を一輪、神や仏に捧げて吉凶を占ったとされ、桔梗は運命を暗示する花でもあります。
「桔梗紋」といえば、美濃国土岐氏の代表紋として知られています。
土岐氏族である明智光秀も「桔梗紋」を使用しています。
室町時代の家紋帳『見聞諸家紋』には、土岐氏の紋として「桔梗紋」が記され、 注して「先陣で桔梗の花を胄にさし、敵を大いに打ち破った」とあります。 つまり、「路傍に咲いた桔梗の一輪を、甲冑につけ出陣したところ大勝したので、家紋となった」というわけです。 室町前期の軍記物『太平記』には、「桔梗紋」の土岐氏が活躍する様が描かれています。
その後、美濃国(岐阜県)守護として勢力を持った土岐氏は、 揖斐氏・明智氏・石谷氏・本庄氏・鷲巣氏・船木氏・池田氏・浅野氏・植村氏などの庶族を分出し、 いずれも「桔梗紋」を用いています。
関東では、太田道灌の太田氏が「桔梗紋」を用いています。 「土岐桔梗」に対して「太田桔梗」といい、花弁が細いのが特徴的です。
「桔梗紋」は、桔梗が「更に吉」という文字の組み合わせから、“縁起が良い”として諸家にも広がります。
ちなみに明智氏流と伝えられる坂本竜馬の坂本家も「桔梗紋」を用いています。