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鳥取藩家臣のご先祖調べ
鳥取藩は慶長5年(1600)「関ヶ原合戦」の勲功により池田恒興の三男池田長吉が6万石で入封し立藩しました。
元和元年(1615)池田長幸の代に備中国松山藩に転封となると、播磨国姫路藩より池田光政が32万石を与えられて入封しました。
寛永9年(1632)備前国岡山藩主池田忠雄が死去し池田光仲が家督を継ぎますが、
幼少であることを理由に鳥取藩主池田光政が岡山藩へ入り、池田光仲が鳥取藩を就封しました。
鳥取藩池田家は池田輝政と徳川家康の二女督姫の間に生まれた忠雄の家系であることから、
外様大名でありながら松平姓と葵紋が下賜され親藩に準ずる家格を与えられました。
鳥取藩は因幡国と伯耆国の2か国を領したため、伯耆国米子に支城が築かれ、城代家老荒尾氏による委任統治が行われいました。
支藩には鹿奴藩(鳥取市鹿野)と若桜藩(八頭郡若桜町)があります。
最後の藩主池田慶徳は将軍徳川慶喜の兄であったため、親幕・尊王という微妙な立場をとることになります。
藩内では尊王派と親幕派のが激しく対立し、文久3年(1863)には尊王派による親幕派重臣の暗殺事件(本圀寺事件)が発生しています。
文久4年「禁門の変」友好関係にあった長州藩と距離を置きますが、戊辰戦争では官軍方についています。
藩庁 | 鳥取城(鳥取市) | |
江戸屋敷 | 上屋敷(千代田区丸の内3丁目 帝国劇場の辺り) 下屋敷(芝金杉 港区芝一丁目) |
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石高(表高) | 32万5000石 | |
江戸城控間 | 大広間 | |
格付け | 国主 | |
爵位 | 侯爵 |
■鳥取藩の歴代藩主
池田氏 | 家紋:丸に揚羽蝶 本姓:称・清和源氏 |
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菩提寺:黄檗宗興禅寺 (鳥取市) |
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代数 | 氏名 | 官位 | 在職 |
1 | 池田光仲 (みつなか) |
従四位下・ 左近衛少将 |
寛永9年(1632) ~ 貞享2年(1685) |
2 | 池田綱清 (つなきよ) |
従四位下・伯耆守 左少将 |
貞享2年(1685) ~ 元禄13年(1700) |
3 | 池田吉泰 (よしやす) |
従四位下・相模守 侍従 |
元禄13年(1700) ~ 元文4年(1739) |
4 | 池田宗泰 (むねやす) |
従四位下・相模守 侍従 |
元文4年(1739) ~ 延享4年(1747) |
5 | 池田重寛 (しげのぶ) |
従四位下・相模守 左少将 |
延享4年(1747) ~ 天明3年(1783) |
6 | 池田治道 (はるみち) |
従四位下・相模守 侍従 |
天明3年(1783) ~ 寛政10年(1798) |
7 | 池田斉邦 (なりくに) |
従四位下・相模守 侍従 |
寛政10年(1798) ~ 文化4年(1807) |
8 | 池田斉稷 (なりとし) |
従四位上・因幡守 左近衛中将 |
文化4年(1807) ~ 天保元年(1830) |
9 | 池田斉訓 (なりみち) |
従四位上・因幡守 左近衛少将 |
天保元年(1830) ~ 天保12年(1841) |
10 | 池田慶行 (よしゆき) |
従四位下・因幡守 左近衛少将 |
天保12年(1841) ~ 嘉永元年(1848) |
11 | 池田慶栄 (よしたか) |
従四位下・因幡守 侍従 |
嘉永元年(1848) ~ 嘉永3年(1850) |
12 | 池田慶徳 (よしのり) |
従四位下・因幡守 左近衛中将 |
嘉永3年(1850) ~ 明治4年(1871) |
■鳥取藩の家臣団
鳥取藩家臣団は家格により大きく二つの格式に分けられます。
一つめは士分以上の着座・大寄合・番頭(組頭)・物頭・羽織幌・寄合・諸奉行・馬廻(平士)です。格式の名称は軍式上の地位に由来しています。 つまり「士分」というのは騎馬の武士のことで、普通100石以上の禄高が与えられます。
これに対して士分以下は軽輩の武士で、徒士・弓徒・掃除坊主・苗字付・無苗で、いわゆる歩兵・足軽以下になります。
着座 鳥取藩最高の格式。家老職・御留守居役に補任される。
荒尾氏・和田氏・津田氏・鵜殿氏・乾氏・池田氏
大寄合 着座に次ぐ格式。
荒尾氏・津田氏・鵜殿氏
番頭 組士を支配する組頭。江戸留守居役も勤める。
福田氏・菅氏・安養寺氏・矢野氏が筆頭。
物頭 弓・鉄砲・旗・長柄槍を扱う足軽を配下に置き、戦時には足軽大将となる。 その他、城中勤務の者や忍者も支配した。
羽織幌 御使番ともいい、軍使や伝令役・奏者役についた。
寄合 役職をもたない高禄者、隠居や高禄者の子弟など。
諸奉行 行政職を担当する。
馬廻(平士) 番頭などの支配を受ける組士。 平時には常職はなく江戸勤番や鳥取城番を勤める。
以上が「士分」と呼ばれ、以下は軽輩の身分になります。
徒(徒士) 歩卒のこと。取次替ともいう。
弓徒(歩行弓・徒弓・陸弓) 弓卒のこと。
御掃除坊主
苗字付 士分以下のうち、苗学を許された最下位の格式。
無苗 最下位の格式。苗字を名乗ることを許されない。
⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)
■鳥取藩の家臣
『元禄七年 組帳』より藩士家名
あ) | 荒尾・浅田・青木・赤座・荒木・秋田・愛淵・安養寺・足立・天野・有沢・
安藤・安部・尼子・青山・秋里・明石 |
い) | 伊木・入江・伊丹・井上・伊吹・今井・岩越・乾・池田・飯沼・石黒・飯田・
伊庭・伊藤・依藤・岩田・岩本・石川・石井・井関・井尻・石原・石上・
石多羅尾・井村・飯嶋・生田・石崎 |
う) | 臼井・内海・上田・鵜殿・上嶋・植村・植木・内田・内野・上原 |
え) | 遠藤・円城寺 |
お) | 大西・隠岐・小原・尾関・大嶋・小川・奥野・岡嶋・落合・小栗・岡・荻田・
奥田・大橋・大野・大塩・岡田・岡野・岡村・大津・大森・小倉・奥・大崎・
大八木・大野戸・大口・沖 |
か) | 加須屋・鹿野・加賀・加藤・加納・河端・河辺・河泉・河崎・金井・河田・
梶浦・河毛・梶川・片山・神戸・柏木・河合・笠井・上山・柏原・神・各務・
角田・河瀬・河尻・上村・川口・香川・影山 |
き) | 金萬・木村・木部・絹笠・絹川・北村・木戸・喜多村 |
く) | 栗木・国田・熊沢・黒部・栗田・黒田・紅林・黒川・熊倉 |
け) | 見坊 |
こ) | 小谷・小泉・小山・高坂・国府・近藤 |
さ) | 佐分利・佐治・佐々・坂川・沢住・沢・斉木・佐野・佐久利・佐久間・佐藤・
笹尾・斉藤・佐橋 |
し) | 芝山・芝崎・塩川・諏訪・白井・四宮・清水・渋谷・鈴置・杉・杉山 |
す) | 鷲見・杉山・鈴木・菅・須知・鱸・菅沼 |
せ) | 関・仙石 |
た) | 高木・田淵・多田・武田・大与・瀧川・宅間・田中・竹田・竹腰・谷・瀧・
高橋・高浜・団・田村・竹村・建部・高原・滝山・武宮・多羅尾・竹井・竹屋・田辺 |
ち) | 竹間 |
つ) | 柘植・筒江・津田・佃・塚本・坪内・辻 |
て) | 寺西・寺嶋・寺尾 |
と) | 戸田・伴・戸山・百々・土肥・富山・豊田・富嶋・鳥飼・土佐・留山 |
な) | 中村・中島・南部・那須・野々村・永田・名倉・長倉・中野・中山・南条・
中井・永原・中川・中西・半井・中原・中・ |
に) | 丹羽・西村・西野 |
の) | 野村・野崎・能勢・野口・野田・野間 |
は) | 原田・番・長谷川・波田・橋尾・馬場・林・花房・早川・服部・橋本・八田・
羽原・初鹿野・羽田・羽生・破田・塙 |
ひ) | 平野・広沢・日比・平井・平尾・日笠 |
ふ) | 藤井・福田・深田・不破・福山・福原・藤懸・福住 |
へ) | 別所 |
ほ) | 星野・堀田・堀・堀庭・堀江・保坂 |
ま) | 牧野・前田・益田・馬淵・槙・真野・松岡・毎野・松沢・円山・松井・蒔田・
松尾・松浦・松下 |
み) | 三村・水野・美田・宮嶋・宮崎・三宅・三沢・三浦・箕浦・湊・宮脇・宮本・
宮田・三品・溝口 |
む) | 向・村上・村岡・村瀬・村山・村田・村木 |
も) | 森川・森・本内・本木・毛利・本江 |
や) | 山本・山部・山内・安見・安富・矢木・山田・山根・山口・矢部・山下・
矢野・山川・安田・矢嶋・山住・矢城・山岡・山崎・山脇・山根・簗田・安場 |
ゆ) | 唯・由宇・湯浅 |
よ) | 吉岡・吉田・米村・吉村・横野・横川・嘉村 |
わ) | 渡辺・渡瀬・和田 |