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盛岡藩(南部藩)家臣のご先祖調べ

 陸奥国の北部、現在の岩手県北中部・青森県東部・秋田県北東部を領国として外様大名南部家を藩主とします。
 藩主南部氏は甲斐源氏南部光行を始祖とします。南部光行は源頼朝に与して奥州合戦で戦功を挙げ、陸奥国糠部五郡に領地を与えられたといいます。 奥州に赴き、現在の青森県三戸町に平良崎城を築いたとされますが、自身はほどんどを鎌倉で過ごしています。
光行には6人の男子がおり、長男行朝から一戸氏、次男実光は宗家である三戸南部氏、三男実長から波木井南部氏根城南部氏、四男朝清から七戸氏、五男宗清から四戸氏、六男行連から九戸氏が起こります。
 以来、南部一族は明治維新まで700年近く同一の国・地域を治め続けました。
 第24代南部晴政(三戸南部氏)は、反抗する勢力を制して陸奥国北部を掌握し、室町幕府12代将軍足利義晴より「晴」の一字を拝領し、名実ともに陸奥南部氏惣領の地位を固め、積極的に勢力拡大を図ります。 その領地は、北が青森県下北半島、南が岩手県北上川中央部までに広がり、「三日月の丸くなるまで南部領」(三日月が満月になるまで領地を歩くのに日数がかかるほどの意味)と謳われました。 南部晴政の代が南部氏の最盛期とされます。
ところが南部晴政と養嗣子の石川信直が対立、その間に南部一族の大浦為信が勢力を拡大させ、領内の抗争が激化していきます。
 天正18年(1590)第26代当主となった南部信直は、小田原の豊臣秀吉に謁見し、奥州仕置の軍に加わり、南部氏所領のうち7郡が安堵され、その後2郡が加増され、南部氏領10万石が確定します。
 南部信直は九戸城(現・岩手県二戸市)を居城としていましたが、北寄りにあることから文禄元年(1592)盛岡に城下町の建設を始めます。盛岡城の築城は慶長年間とされます。

 「関ヶ原の合戦」が起こると、東軍徳川家康に与した第26代当主南部利直は会津上杉景勝征伐のため、最上義光軍に兵を送ります。 すると領土拡大の野心を持つ伊達政宗が和賀氏を煽動し、領内で一揆が起こりました。帰国を許された南部利直は一揆を鎮圧しました。
 徳川家康が江戸に幕府を開き、徳川政権が樹立すると、南部利直は所領がそのなな安堵され、表高10万石の大名として認められました。
 盛岡藩は鉱山開発による産金や、紫紺・良馬の産地であることから、財政的には恵まれ、経済活動は活発でした。藩も近江商人ら領外商人を招聘し、盛岡城下には大店が建ち並び、石巻港と北上川舟運を使って多くの取引が行われました。 そのため城下町人の生活が華美になり、過度に山車の壮麗さを競う風潮も生まれ、奢移品を禁ずる法令もが出されたといいます。
 文化5年(1808)11代藩主南部利敬は蝦夷地警備の功績により、20万石への高直し行われ、これ以降藩主は従四位下「盛岡侍従」の官位を名乗ることとなりました。
 しかしこの20万石への高直しは、藩財政の圧迫を引き起こすことなります。格式に見合った参勤交代や蝦夷地警衛による出費の増大、それまでの放漫な藩財政の運営もあり、盛岡藩は破綻寸前まで追い詰められます。
 「戊辰戦争」では、幕府方の「奥羽越列藩同盟」に加わり、敗戦後その責任を問われ陸奥白石藩13万石に減封となります。その半年後70万両を支払う約束で盛岡に復帰しましたが、 明治3年(1870)5月財政破綻を理由に、他藩に先駆けて「廃藩置県」を願い出て、盛岡藩は廃止されました。

盛岡藩(南部藩)
  藩庁 盛岡城  
  江戸屋敷 上屋敷 外桜田(千代田区内幸町一丁目)
下屋敷 麻布(有栖川宮記念公園)
 
  石高(表高) 20石石
  江戸城控間 大広間
  格付け 国主
  爵位 伯爵

盛岡藩(南部藩)の歴代藩主
南部氏 家紋:南部鶴
本姓:清和源氏義光流
菩提寺:臨済宗聖寿寺(盛岡市)
代数 氏名 官位 在職
南部利直
(としなお)
従四位下・信濃守 慶長5年(1600) ~
寛永9年(1632)
南部重直
(しげなお)
従四位下・山城守 寛永9年(1632) ~
寛文4年(1664)
南部重信
(しげのぶ)
従四位下・大膳大夫 寛文4年(1664) ~
元禄5年(1692)
南部行信
(ゆきのぶ)
従四位下・信濃守 元禄5年(1692) ~
元禄15年(1702)
南部信恩
(のぶおき)
従五位下・備後守 元禄15年(1702) ~
宝永4年(1707)
南部利幹
(としもと)
従五位下・信濃守 宝永4年(1707) ~
享保10年(1725)
南部利視
(としみ)
従四位下・修理大夫 享保10年(1725) ~
宝暦2年(1752)
南部利勝
(としかつ)
従四位下・大膳大夫 宝暦2年(1752) ~
安永8年(1779)
南部利正
(としまさ)
従五位下・修理大夫 安永9年(1780) ~
天明4年(1784)
10 南部利敬
(としたか)
従四位下・侍従 天明4年(1784) ~
文政3年(1820)
11 南部利用 (吉次郎)
(としもち)
文政3年(1820) ~
文政4年(1821)
11 南部利用 (大膳大夫)
(としもち)
従四位下・大膳大夫 文政4年(1821) ~
文政8年(1825)
12 南部利済
(としただ)
従四位下・左少将 文政8年(1825) ~
嘉永元年(1848)
13 南部利義
(としとも)
正四位・甲斐守 嘉永元年(1848) ~
嘉永2年(1849)
14 南部利剛
(としひさ)
従四位下・侍従 嘉永2年(1849) ~
慶応4年(1868)
15 南部利恭
(としゆき)
従五位下・甲斐守 慶応4年(1868) ~
明治2年(1869)

盛岡藩(南部藩)の家臣団
 盛岡藩家臣の家格には、以下のものがあります。
 高知(たかち)…御家門の3家と高知の28家が含まれます。明治は上士となります。ここから家老・加判役など要職が選ばれます。
 高家…20家ほどあり、加番組御番頭・御側御用人・花巻城代・寺社奉行・御勘定所元締・新番組御番頭などに就任しました。明治は中士となります。
 本番組…御境奉行・代官・御船手頭・町奉行・郡奉行などに就任しました。天保15年時は家禄100石の平士以上が該当しました。明治は中士となります。
 加番組…御金奉行・御銅山吟味役・御作事奉行・万所奉行・御勝手方などに就任しました。家禄50石の平士以上が該当、明治は下士となります。
 新番組…諸御山奉行・大納戸奉行・新田奉行・御国産方などに就任しました。家禄50石の平士以下が該当、明治は下士となります。
 この下に一生御給人勤中御給人の家格があり、明治は下士となりました。
 盛岡藩には郷士が数多くいました。これを在郷給人といいます。
 諸士とは区別され、町や村に居住し、その多くは盛岡以北の12の代官所に所属し、給地も所属代官所内の村にある場合がほとんどでした。 普段は農業や商業を営みつつ、代官所の職務を補佐しました。士分に準ずる待遇を受けたので、苗字帯刀が許されました。

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盛岡藩(南部藩)の家臣
『南部氏諸士由緒』(慶安2年成立)より藩士家名
あ) 阿野・阿部・赤前・赤石・浅石・浅水・荒木田・穴澤・悪虫・荒川・荒屋・新屋敷・秋田
い) 一方井・一戸・一条・泉山・石橋・石亀・石川・石原・石井・五日市・今淵・飯豊・飯岡・ 池内・池田・伊藤・伊澤・岩清水・岩間・岩根・岩崎・岩館・猪去
う) 梅木・梅野・梅内・内堀・内野・内山・漆戸・鵜飼・上田・上野・氏家・厩小者
え) 江刺・江刺家・遠藤・江釣子
お) 大萱生・太田・奥瀬・鬼柳・織笠・大屋・大町・大湯・重茂・大釜・大向・大田代・乙部・ 大崎・大内・大川・大関・奥寺・大澤・大坂・大石・小野寺・小田・小笠原・岡・長内・小山田・ 小本・小川・折居・岡井・及川

か) 笠間・川村・鎌田・鶏冠井・桂・帷子・欠端・川守田・川口・川井・釜石・角館・片岸・ 柏葉・神山・鴨沢・金矢・金矢・亀ヶ森・川原木・川嶋・上斗米・河嶋・上崎・葛西・勝又・河野
き) 儀俄・切田・北村・北川・北向・金田一・菊池・木村
く) 葛巻・葛・葛岡・黒澤・久慈・櫛引・工藤・熊谷・栗谷川
け) 煙山
こ) 高屋・高屋・小平・小向・小枝指・駒木・小田島・小泉・小軽米・小西・小屋敷・昆・駒ケ嶺

さ) 佐藤・佐々木・澤田・澤里・西海・桜庭・猿賀・坂牛・坂本・齊藤・坂水・佐越・佐羽内
し) 下田・四戸・下河原・志水・志賀・蛇沼・十二丁目・十二ヶ村・下斗米・神・七戸・ 鹿討・志田・渋民・白石・雫石・嶋森・柴内
す) 菅野・杉々・鈴木・煤孫・須藤・杉宮
せ) 瀬川・摂待・関

た) 足沢・種子・竹林・田中・田代・田鎖・玉山・玉懸・高橋・高杉・平舘・高田・大光寺・ 鷹巣・達曽部・男・立花・臺・田名部・滝澤・高浜
ち) 千種・千波・千葉・近内
つ) 津村・津島・津軽石・津田・妻籠・辻・土川
て) 照井・手代森
と) 鳥谷部・苫米地・杤内・斗内・斗ヶ沢・豊間根・豊巻・富沢・戸田・戸川・鳥谷・豊川・冨野

な) 長牛・長嶺・長沼・長瀬・長坂・長澤・波岡・成田・楢山・夏井・中野・中原・中里・中川原・ 中村・中嶋・永井・中館・名久井
に) 新渡戸・乳井・二ヶ村・似鳥
ぬ) 糠塚・沼宮内・沼田
ね) 根森・根子
の) 野田・野澤・野辺地・野村・野続

は) 伴・原・浜田・蠅田・馬場・配口・羽黒堂・番屋・林・晴山
ひ) 日戸・日ノ澤・平山・平原・平澤・平賀・東・人首
ふ) 船越・藤田・藤根・布施・福田・福士・普代・古田
へ) 戸来・蛇口
ほ) 本堂・袰綿・波々伯部・洞内・穂高・細久保・堀内・堀切・星川

ま) 松井・松原・松岡・松田・松尾・松本・松橋・馬淵・町野・又重・益田・末崎・圓子
み) 美濃部・湊・宮田・宮長・宮野・宮手・宮・三上・三ヶ尻・三田・南・南館・水谷
む) 向井・村木・村瀬
め) 女鹿・目時
も) 望月・森田・本宿・本内・本屋

や) 簗田・山田・安ヶ平・雇地・谷地・八木橋・八木澤・八重畑・山屋・山口・山本・山辺・矢羽々・矢口
ゆ) 遊座
よ) 吉嶋・吉田・吉岡・横浜・横沢・米内・米崎・寄木
わ) 和井内

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