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久保田藩家臣のご先祖調べ
久保田藩は常陸国の戦国大名佐竹義宣が慶長7年(1602)入封したことに始まります。 義宣は同年9月土崎湊城に入城し、その後新たに築城した久保田城に慶長9年(1604)8月移り、本城と定めます。
■久保田藩藩庁 | 久保田城(秋田市) | |
江戸屋敷 | 上屋敷(台東区台東) 中屋敷(千代田区神田・墨田区本所) 下屋敷(台東区鳥越) |
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石高(表高) | 20万5800石 | |
江戸城控間 | 大広間 | |
藩校 | 明徳館 学館:宝暦5年設立 | |
格付け | 国主 | |
爵位 | 侯爵 |
■久保田藩の歴代藩主
佐竹氏 | 家紋:五本骨扇に月丸 本姓:清和源氏義光流 |
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菩提寺:曹洞宗天徳寺 (秋田市) |
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代数 | 氏名 | 官位 | 在職 |
1 | 佐竹義宣 (よしのぶ) |
従四位上・ 左近衛中将 |
慶長7年(1602) ~ 寛永10年(1633) |
2 | 佐竹義隆 (よしたか) |
従四位下・ 左近衛少将 |
寛永10年(1633) ~ 寛文10年(1671) |
3 | 佐竹義処 (よしずみ) |
従四位下・ 侍従 |
寛文10年(1671) ~ 元禄16年(1703) |
4 | 佐竹義格 (よしただ) |
従四位下・ 侍従 |
元禄16年(1703) ~ 正徳5年(1715) |
5 | 佐竹義峯 (よしみね) |
従四位下・ 侍従 |
正徳5年(1715) ~ 寛延2年(1749) |
6 | 佐竹義真 (よしまさ) |
従四位下・ 侍従 |
寛延2年(1749) ~ 宝暦3年(1753) |
7 | 佐竹義明 (よしはる) |
従四位下・ 侍従 |
宝暦3年(1753) ~ 宝暦8年(1758) |
8 | 佐竹義敦 (よしあつ) |
従四位下・ 侍従 |
宝暦8年(1758) ~ 天明5年(1785) |
9 | 佐竹義和 (よしまさ) |
従四位下・ 侍従 |
天明5年(1785) ~ 文化12年(1815) |
10 | 佐竹義厚 (よしひろ) |
従四位下・ 侍従 |
文化12年(1815) ~ 弘化3年(1846) |
11 | 佐竹義睦 (よしちか) |
従四位下・ 侍従 |
弘化3年(1846) ~ 安政4年(1857) |
12 | 佐竹義堯 (よしたか) |
従三位 | 安政4年(1857) ~ 明治4年(1871) |
■久保田城下
久保田城下の原型は、寛永年間までほぼ完成します。 城下は、大きくは武家町(内町)と町人町(外町)、その外縁部の寺町に分類されます。
まず久保田城内の三ノ丸(上中城町・下中城町)には重臣屋敷が配置されました。現在の秋田市立図書館・秋田県立病院辺りです。
そして久保田城周辺に武家町が広がります。
久保田城の南側に掘りを隔てた中通に三ノ廓(くるわ)、さらに南側の掘りを隔てた亀ノ町に四ノ廓があり、ここには中級家臣以上の武家屋敷が配置されました。※廓とは、土塁や石垣・堀で囲んだ地。
久保田城の北東側の手形、旭川の西の保戸野、三ノ廓・四ノ廓以南の楢山・長野下・築地には、主に小禄家臣・扶持取層の武家屋敷や足軽屋敷が置かれました。
保戸野には軽輩武士の屋敷ほか、小人屋敷・中間屋敷・足軽屋敷・が置かれ、楢山は北部・東部が侍町、南東部に足軽屋敷が配置されました。
これらの城を囲むように配置された武家町は、戦時において城郭の一部としての役割がありました。 その意味で、久保田城下へ街道入口にあたる保戸野・楢山・川口に足軽屋敷が配置されています。
■久保田藩の家臣団
事実上の左遷であった佐竹氏は秋田転封により大きく石高を減らされます。
藩主佐竹義宣は、これを機会に一門及び譜代家臣の知行を減らして勢力を削ぎ、家柄や旧例にとらわれない人材登用をすすめます。
この時、関東・奥州の旧大名の遺臣達も能力本位で登用されたといいます。
いまだ一揆が勃発する領内を平定するため、義宣は一門や有力家臣を領内の要所に配置します。
大館城(大館市)には一門の佐竹西家、湯沢城(湯沢市)には佐竹南家、角館城(仙北市)には佐竹北家、横手城(横手市)には戸村氏、 檜山城(能代市)には多賀谷氏、十二所城(大館市十二所)には茂木氏が置かれ、領内統治を行いました。
幕府によって「一国一城令」が発せられたので、表向きは久保田本城と、横手城と大館城が支城として認められていました。
佐竹氏の家臣団は寛永4年(1627)で888人、宝永5年(1708)で1756人、明治元年(1868)で2076人いたとされています。
元禄末期頃に家臣団の座格(家格)が定まり、以下のように区分されました。 一門…苗字衆四家など、藩主佐竹氏と同族の家柄
引渡(一番座・二番座)…門閥首位であり、家老や所預(支城主)
廻座(まわりざ)…譜代重臣・功臣・門閥分家、家老を出す
一騎(いっき)…およそ150石以上の由緒ある家臣
駄輩(だはい)…およそ70石以上の家臣
不肖(ふしょう)…およそ30石以上の家臣
近進(きんしん)…門閥の分家や新規召抱えの駄輩
その後、引渡・廻座は「大身」、一騎は「上士」、それ以下を「平士」(諸士)とも呼ばれるようになります。 その下に歩行(徒士)、徒並、足軽がありました。
※引渡は、正月の宴で引渡膳が配された下段之間に着座し、
藩主のいる上段之間で盃を頂戴する格式。
※廻座は、正月の宴で下段次之間に廻座で着座し、下段之間で盃を頂戴する格式。
⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)
■久保田藩の家臣
『慶長七年当国ヘ御下向九年十年ニ御知行被下置候覚』
(佐竹義宣時代)より藩士家名
あ) | 相澤・赤津・安藤・青柳・浅原・厚木・赤尾・安島・赤石 |
い) | 石塚・伊藤・石井・今井・生沢・泉・磯部・井上・石橋・石野・稲川・石郷・ 岩間・今泉・岩崎 |
う) | 宇都宮・梅津・上曽・牛丸・宇垣・内桶 |
え) | 江田・江戸・江間 |
お) | 小野・岡本・小野崎・岡・小田野・大縄・大山・大沢・大和田・大久保・
大塚・太田・岡見・小曽戸・小栗・小川・小沢・大窪・大内・大野・大森 |
か) | 川井・片岡・鹿子畑・片庭・鴨信太・糟屋・加藤・金沢・神沢・隠井・川尻・川野・川崎 |
き) | 北村・菊池・木内・岸 |
く) | 黒沢・久加谷・厨・国安・鯨岡 |
こ) | 小場・小貫・根田・後藤・小室・近藤・幸丸 |
さ) | 佐藤・斎藤・坂元・酒主・沢畑・佐川・才野 |
し) | 信太・清水・渋江・白土・宍戸・庄・渋沢・椎名 |
す) | 介川・鈴木 |
せ) | 瀬屋・関・瀬田 |
た) | 田中・玉生・田代・高根・高柿・武士・高垣・棚谷・谷貝・高久・高山・丹・立原・田口 |
ち) | 茅野 |
て) | 寺崎・天神林 |
と) | 徳川・富岡・豊間・豊田 |
な) | 中田・中村・長瀬・長山・長井・中淵 |
に) | 西村 |
ぬ) | 沼井 |
ね) | 根元・根岸 |
の) | 野尻 |
は) | 芳賀・萩庭・花作・羽生 |
ひ) | 人見・平野・平沢・平塚・疋田・平元・平井 |
ふ) | 福原・福地・二方・古尾谷・深谷・舟山 |
ほ) | 細谷 |
ま) | 真崎・町田・益子・前沢・真宮・松塚・松川 |
み) | 宮田・御代・水谷 |
む) | 村上 |
も) | 森川・持地 |
や) | 山方・矢槻・館・山口・山崎 |
よ) | 横尾・吉川・横田・吉田・吉成・吉原 |
わ) | 和田・渡部・若林・渡利・和久 |