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小倉藩家臣のご先祖調べ
細川忠興は慶長5年(1600)「関ヶ原の戦い」で東軍徳川方に付き、父細川幽斎は西軍に敵対し丹後国田辺城に籠城、天皇の勅命が下るまで耐え忍びました。
この功により細川忠興は豊前国と豊後国国東郡・速見郡の39万9千石に加増転封となります。
忠興は中津城に入城しましたが、小倉に城郭と城下町の建設を開始し、慶長7年(1602)小倉城に藩庁を移しました。小倉藩の誕生です。
元和6年(1620年)忠興が病気のため隠居すると、三男の細川忠利が2代藩主を就封します。
寛永9年(1632)肥後熊本藩の加藤忠広が改易されると、細川忠利が熊本藩54万石へ加増移封となり、小倉藩には忠利の義兄弟である播磨国明石藩主小笠原忠真が就封しました。
その際、小笠原忠真は小倉城主として豊前国北部15万石を領し、支城の豊前国中津城には甥の小笠原長次が8万石で入部し中津藩が立藩しました。
同じく豊後国杵築城には忠真の弟小笠原忠知が4万石で入部し杵築藩が成立しました。
小倉は九州の玄関口にあたり、小笠原氏には西国譜代大名の筆頭として外様大名の監視にあたる役割がありました。
2代藩主小笠原忠雄は寛文11年(1671)弟の小笠原真方に1万石を分与して支藩である小倉新田藩を立藩させます。
3代藩主小笠原忠基の次男小笠原長逵は、播磨国安志藩主小笠原氏を相続し就封、以後小倉藩・小倉新田藩・安志藩は小笠原一門として姻戚関係を深めていきます。
慶応2年(1866)「第二次長州征伐」では、征長総督の老中小笠原長行の下で幕府方小倉口の先鋒として参戦し、小倉藩領は主戦場となります。
ところが9代藩主小笠原忠幹が慶応元年(1865)に39歳で死去、嫡子の小笠原忠忱(豊千代丸)はわずか4歳という幼年でした。
「長州征伐」で重責を担うことになる小倉藩では藩主忠幹の喪を隠し、家老小宮民部や島村志津摩らが藩政を担うことになります。
小倉口での戦闘は長州軍の猛攻に幕府軍は押し込まれ、門司が制圧されると、小笠原総督は事態を収拾することなく戦線を離脱、他の諸藩も軒並み撤兵に転じました。
孤立した小倉藩は慶応2年(1866)8月1日小倉城に火を放ち田川郡香春に撤退、小笠原忠忱(豊千代丸)を熊本藩へ逃すと、軍を再編して長州軍に挑みました。
しかし孤立無援の小倉藩兵に勝機はなく、増強された長州軍に圧倒され、慶応3年(1867)1月20日ようやく講和に至りました。
講和後、企救郡は長州藩支配下に置かれることになりました。
藩庁 | 小倉城(北九州市小倉北区) | |
江戸屋敷 | 上屋敷(千代田区大手町1丁目) 下屋敷(新宿区若松町) |
|
石高(表高) | 15万石 | |
江戸城控間 | 帝鑑間 | |
藩校 | 思永館 天明9年設立 | |
格付け | 城主 | |
爵位 | 伯爵 |
■小倉藩小笠原家の歴代藩主
小笠原氏 | 家紋:三階菱 本姓:清和源氏義光流 |
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菩提寺:黄檗宗福聚寺 (北九州市小倉北区) |
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代数 | 氏名 | 官位 | 在職 |
1 | 小笠原忠真 (ただざね) |
従四位下・ 侍従 |
寛永9年(1632) ~ 寛文7年(1667) |
2 | 小笠原忠雄 (ただかつ) |
従四位下・ 侍従 |
寛文7年(1667) ~ 享保10年(1725) |
3 | 小笠原忠基 (ただもと) |
従四位下・ 侍従 |
享保10年(1725) ~ 宝暦2年(1752) |
4 | 小笠原忠総 (ただふさ) |
従四位下・ 侍従 |
宝暦2年(1752) ~ 寛政2年(1790) |
5 | 小笠原忠苗 (ただみつ) |
従四位下・ 侍従 |
寛政2年(1790) ~ 文化元年(1804) |
6 | 小笠原忠固 (ただかた) |
従四位下・ 大膳大夫 |
文化元年(1804) ~ 天保14年(1843) |
7 | 小笠原忠徴 (ただあきら) |
従四位下・ 侍従 |
天保14年(1843) ~ 安政3年(1856) |
8 | 小笠原忠嘉 (ただひろ) |
従四位下・ 右近将監 |
安政3年(1856) ~ 万延元年(1860) |
9 | 小笠原忠幹 (ただよし) |
従四位下・ 侍従 |
万延元年(1860) ~ 慶応元年(1865) |
10 | 小笠原忠忱 (ただのぶ) |
従三位 | 慶応元年(1865) ~ 明治4年(1871) |
■小倉藩の家臣団
小倉藩の家臣(士分)は藩主小笠原氏一門の御名字之族と、小笠原氏分流の御名字分流を筆頭に召抱えの時期により、以下の格式・序列があります。
信濃御代々番位… 信濃深志時代(1582〜89)召抱えの家臣
下総国古河…下総古河時代(1590〜99)召抱えの家臣
再信州飯田・松本御取立之家筋…信濃飯田・松本時代(1600〜16)召抱えの家臣
播州明石御取立之家筋…播磨明石時代(1617〜32)召抱えの家臣
豊前小倉御取立之家筋…豊前小倉召抱えの家臣
⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)
■小倉藩の家臣
『慶応二丙寅歳知行帳』より藩士家名
あ) | 青木・秋山・赤澤・鮎川・秋元・相川・天野・朝比奈・青柳・荒木・有川・明石 |
い) | 伊藤・生駒・入江・岩垂・犬甘・稲田・市岡・市川・猪飼・岩岡・岩田・飯森・今澤・家原・井狩・石川・岩附・石地 |
う) | 海野・漆戸・上野・内村・上田・内山・浦野・宇佐美 |
え) | 遠藤 |
お) | 小笠原・大羽・大池・岡・岡田・岡庭・小澤・岡本・奥・大日方・大輪大石・大塚・岡野・大森・大塩・大堀・小関・
大八木・小畑・岡村・大脇・小原・麻績・小野・小河原 |
か) | 鹿島・柏木・春日・葛西・上条・筧・海津・河野・加賀美・加藤・勝野・川口・河合・鎌田・神田 |
き) | 喜田村・木村・北野・絹川・北村・北澤・桐原 |
く) | 黒部・栗屋 |
こ) | 小宮・香坂・後藤・小池・小林・小森・小室・巨知 |
さ) | 佐脇・澤田・佐藤・三溝・佐野・澤渡・佐々木 |
し) | 島村・渋田・島立・清水・志津野・塩三・杉生・下條・宿久・陣・篠原・下村・渋田見・島・進 |
す) | 鈴木・鷲見・杉村・菅野 |
せ) | 関・妹尾 |
そ) | 征矢野 |
た) | 高橋・田中・高田・田辺・田代・武中 |
つ) | 塚田・土屋・筒井・津田 |
と) | 常盤・友松・富永・徳永・豊田・遠山 |
な) | 中野・那須・長坂・中西・中川・内藤・鍋山・並河 |
に) | 二木・西・二本・西田・仁科・丹羽 |
ぬ) | 沼田 | の) | 野口・野島 |
は) | 原・花房・馬場・葉山・番月・八田・早川・林・花見 |
ひ) | 平井・土方・平林・平瀬・平松・平塚・広木・日置・平澤・光 |
ふ) | 福原・藤江・福与・古市・深谷・藤田 |
ほ) | 保高・本多・堀田・細野・堀 |
ま) | 丸田・松下・松井・松崎・牧野・丸山・鱒淵・増田・松生・松室 |
み) | 宮本・源・三宅・宮・三村・水野・宮原・宮城・三澤 |
む) | 村岡 |
も) | 森戸・茂呂・百束 |
や) | 矢島・山下・山内・山崎・薮・山路・安井・山口・山田・山本・山室 |
ゆ) | 湯川 |
よ) | 依田・吉澤・横山・横川・吉田・余悟・米田 |
わ) | 渡辺・和田 |