お問い合わせをお待ちしております
TEL. 075-922-3041
営業時間 AM10:00 ~ PM21:00
広島藩家臣のご先祖調べ
慶長5年(1600)「関ヶ原合戦」の勲功により、福島正則が安芸・備後2ケ国49万8千石を領有していましたが、
元和5年(1619)洪水で損壊した広島城を無断改修したとして改易になります。
代わって紀州藩より浅野長晟が安芸国と備後国8郡の42万6000石で入封し、備後国南東部には水野氏が入封することになりました。浅野広島藩の誕生です。
2代藩主浅野光晟は徳川家康の外孫であったこともあり、庶兄浅野長治は許されて支藩三次藩を立藩しています。
元禄14年(1701)分家の赤穂藩主浅野長矩が刃傷事件を起こした際には、連座を恐れた広島藩は赤穂藩に「穏便に開城するよう」に迫り、
開城後も赤穂浅野家遺臣らによる吉良家への討ち入りを阻止するために、大石一党の切り崩しを図っています。しかし翌年12月15日に赤穂事件が発生することになります。
幕末期の長州征伐で広島藩は最前線基地となります。長州征伐に消極的であった広島藩は、長州藩との仲介を務め、幕府が命じた長征の先鋒役を辞退しています。
慶応3年(1867)には討幕に動く長州藩・薩摩藩と同盟を結びつつ、一方で幕府の大政奉還を推進しています。
戊辰戦争では新政府軍に加わっています。
藩庁 | 広島城(広島市) | |
江戸屋敷 | 上屋敷(千代田区霞が関:国土交通省庁舎辺り) 中屋敷(港区赤坂:赤坂サカス辺り) 下屋敷(渋谷区神宮前:表参道ヒルズ辺り) |
|
石高(表高) | 42万6千石 | |
江戸城控間 | 大広間 | |
格付け | 国主 | |
爵位 | 侯爵 |
■広島藩浅野氏の歴代藩主
浅野氏 | 家紋:浅野違い鷹の羽 出自:清和源氏土岐氏流 |
||
菩提寺:曹洞宗国泰寺 (広島市西区) |
|||
代数 | 氏名 | 官位 | 在職 |
1 | 浅野長晟 (ながあきら) |
従四位下・ 侍従 |
元和5年(1619) ~ 寛永9年(1632) |
2 | 浅野光晟 (みつあきら) |
従四位下・ 紀伊守 |
寛永9年(1632) ~ 寛文12年(1672) |
3 | 浅野綱晟 (つなあきら) |
従四位下・ 侍従 |
寛文12年(1672) ~ 寛文13年(1673) |
4 | 浅野綱長 (つななが) |
従四位下・ 安芸守 |
寛文13年(1673) ~ 宝永5年(1708) |
5 | 浅野吉長 (よしなが) |
従四位下・ 左少将 |
宝永5年(1708) ~ 宝暦2年(1752) |
6 | 浅野宗恒 (むねつね) |
従五位下・ 但馬守 |
宝暦2年(1752) ~ 宝暦13年(1763) |
7 | 浅野重晟 (しげあきら) |
従四位下・ 備後守 |
宝暦13年(1763) ~ 寛政11年(1799) |
8 | 浅野斉賢 (なりたか) |
従四位下・ 安芸守 |
寛政11年(1799) ~ 文政13年(1830) |
9 | 浅野斉粛 (なりたか) |
従四位上・ 備後守 |
文政13年(1830) ~ 安政5年(1858) |
10 | 浅野慶熾 (よしてる) |
従四位上・ 安芸守 |
安政5年(1858) |
11 | 浅野長訓 (ながみち) |
従四位下・ 安芸守 |
安政5年(1858) ~ 明治2年(1869) |
12 | 浅野長勲 (ながこと) |
従一位 | 明治2年(1869) ~ 明治4年(1871) |
■広島藩の家臣団
広島藩家臣団の家格は侍士・歩行・足軽に分けられます。
侍士の格式は藩主に謁見する際に直接応答が許されます。侍士はさらに以下の6つに分けられます。
●長柄以上は家老・年寄・番頭・寄合・旗奉行・用人・大小姓組頭・騎馬弓筒頭・ 中小姓頭・大目付間などで、行装として長柄傘の使用が許されます。
●布衣以上は留守居・先手者頭・町奉行・舟奉行・勘定奉行・普請奉行・ 持弓筒頭・歩行頭などで、礼式時の布衣着用、藩外での長柄傘使用が許されます。
●馬持以上(知行300石以上)は馬を飼い、槍奴を従えました。
●御直支配(御前御用)は御側詰などで、藩主が口頭で任命する格式です。
●御序の御前御用は蔵奉行・銀奉行・武具奉行などで、御前御用に準ずる格式です。
●それ以下の格式。
慶応4年の役人帳では 侍士が1179人いました。
歩行(徒士)の格式は藩主に謁見する際直接応答が許されず、御言葉を賜わるだけ。
慶応4年の役人帳では 歩行(徒士)が780人いました。
足軽(小人)の格式は原則として一代限りとされました。
慶応4年の役人帳では 足軽(小人)が2000人以上いました。
藩の職制をみてみます。
最高職の家老は、当初浅野知近・浅野忠吉・上田重安・亀田高綱の4人でした。
寛永18年(1641)以後は三原浅野家(3万石)・上田家(1万7千石)・東城浅野家(1万石)の3家老の世襲となり、明治維新を迎えています。
家老の次ぐ重職が 年寄になります。4人から5人で原則として毎日登城し、御用達所(総理府)に詰めました。
家老・年寄を補佐する要職が用人です。5人から10人で原則として毎日登城し、御用達所第三の間に詰めました。うち2人から3人は江戸詰となります。
その下は軍務を担当する番方と、財政・民政そして奥向きを担当する役方に分れます。
⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)
■広島藩の家臣
『元和五年侍帳』(浅野長晟御代)より藩士家名
あ) | 浅野・安宅・青木・芦田・相木・天野・穴生 |
い) | 石井・石本・井上・伊藤・井口・稲葉・飯島・飯田・岩崎・石田・礒谷・ 稲垣・今中・石寺・井岡・岩村・稲生・生駒・市川・今村 |
う) | 上田・上坂・上原・植木・宇治 |
え) | 江田・愛智 |
お) | 大田・大橋・岡田・小野・小河・尾関・太駄・岡村・大西・大島・長田・
大津・沖・奥・小畠・大久保・大橋・大桑・岡本・岡島・岡野 |
か) | 亀田・河添・瓦林・河原・甲斐・門川・勝浦・片岡・河北・川崎・波田 |
き) | 木村・岸・木全・木野・木本・貴志 |
く) | 熊谷・九里・熊沢・日下・厨 |
こ) | 近藤・後藤・小池・小出・小鷹狩・小島・郡・小堺・小足・小林 |
さ) | 斎藤・佐藤・坂井・寒川・沢・佐々・沢井・坂口・佐武・佐野・桜井 |
し) | 白幡・進藤・清水・庄田・新保・篠田 |
す) | 杉谷・菅野・須田・鈴木・菅・周防・杉山 |
せ) | 関・瀬田・仙石 |
た) | 多胡・田中・高野・淡輪・竹中・多喜・高田・滝・谷・田宮・竹本・多羅尾・ 高岡・竹田・玉置・滝川・竹腰・武井・畳屋・田原 |
ち) | 千屋 |
つ) | 津田・土橋・土屋・鶴見・筒井・柘植・恒川・辻 |
て) | 寺西・寺本・寺井 |
と) | 戸田・伴・遠山・鳥居・徳永・戸嶋・道家・百々・鳥養・富永 |
な) | 長岡・長井・内藤・中島・中村・鯰江・永原 |
に) | 西脇・丹羽・西村・西山・西川・蜷川 |
の) | 野々村・野田・野尻・野一色・野上・野口 |
は) | 長谷川・服部・林・原・浜崎・早川・原田 |
ひ) | 平尾・日比・平野・広瀬・土方・平井・日置 |
ふ) | 藤江・藤巻・不破・古屋・古川・福井・古高・福原・福地 |
ほ) | 堀・堀池・祝・堀田 |
ま) | 正木・松本・松野・松島・松浦・松村・松原・前田・牧村・牧野・真野・ 松尾・松田・松井・松下 |
み) | 三浦・湊・溝口・箕浦・三雲・皆川 |
む) | 村尾・村井・村田 |
も) | 森・毛利・森嶋 |
や) | 安井・山岡・安丸・安江・山中・山路・矢野・八島・安岡・山田・山肩・ 安見・保田・山香 |
ゆ) | 由井・湯川・弓削 |
よ) | 米田・吉益・吉田 |
り) | 龍神 |
わ) | 渡辺・若林 |
■支藩三原浅野家の家臣
明治維新時、明治2年の藩士家名
あ) | 安西・荒木 |
い) | 井上・乾・板原・伊藤・岩本・今井・石田・今田・生駒 |
う) | 宇津宮・宇都宮・宇高・上原・内田 |
お) | 沖・太田・小野・岡野・岡田 |
か) | 河村・香川・金丸・片岡・亀山・笠間・加藤 |
き) | 喜田村・木野内・桐原・喜多村・木本・木戸 |
く) | 熊谷・久野・久留・久場・桑原・倉橋・久保 |
こ) | 近藤・小池・河野・小島 |
さ) | 崎田・佐分利・佐野 |
し) | 清水・宍戸・島津・城 |
す) | 鈴木・杉野・杉江 |
せ) | 関浦 |
そ) | 曽谷 |
た) | 武田・高田・竹村・田中 |
つ) | 都築・筑紫・辻・佃 |
と) | 戸田・戸川・戸村 |
な) | 並河・長尾・仲野 |
に) | 丹羽・西尾・西川・西原 |
ぬ) | 糠塚・沼田 |
の) | 野崎 |
は) | 早川・林・波多野・長谷川 |
ひ) | 比山 |
ふ) | 深町 |
ほ) | 本庄・堀・堀江・堀田 |
ま) | 松本・牧村・松木・松田・松谷 |
み) | 三宅 |
や) | 山田 |
ゆ) | 湯浅 |
よ) | 吉村・吉田・横山・好川 |
わ) | 脇本・渡辺・脇 |