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福山藩家臣のご先祖調べ

 慶長5年(1600)「関ヶ原合戦」の勲功により、福島正則が安芸・備後2ケ国を領有していました。 元和5年(1619)福島正則が改易になると、安芸国と備後国西部は浅野氏に与えられ、備後国南東部には水野勝成が入封することになり、「西国の鎮衛」として譜代大名福山藩が立藩します。
 元禄11年(1698)福山藩主水野家が無嗣断絶になると、一時期幕府領となり、元禄13年(1700)には出羽国山形藩より松平忠雅が転封となります。
 宝永7年(1710)松平氏が伊勢国桑名藩に転封となり、下野国宇都宮藩から阿部正邦が10万石で入封します。以後、廃藩置県まで阿部氏が在封することになります。
 阿部氏老中大坂城代を輩出し、幕閣の中枢にありました。そのため藩主はほとんど江戸定府で、領内に戻ることは稀でした。 江戸定府は多くの経費を必要とし、歴代を通じて財政状況は極めて悪く、度々の一揆を招くことになりました。
 ペリー来航の国難時の老中首座が7代藩主阿部正弘です。日米和親条約を締結し開国に踏み切ったことで知られています。
 戊辰戦争では、長州軍により福山城が砲撃されますが、恭順の意を示して、新政府軍の隊列に加わり、箱館戦争にまで藩兵を出陣させています。

福山藩
  藩庁 福山城(福山市)  
  江戸屋敷 上屋敷(千代田区神田淡路町:JR御茶ノ水駅近く) 
中屋敷(文京区西片:誠之小学校近く) 
下屋敷(墨田区本所:ライオン本社)
 
  石高(表高) 11万石
  江戸城控間 帝鑑間
  格付け 城主
  爵位 伯爵

福山藩阿部氏の歴代藩主
阿部氏 家紋:丸に違い鷹の羽
出自:孝元天皇の第一皇子  阿部大彦命の後裔
菩提寺:浄土宗西福寺
 (台東区浅草)
代数 氏名 官位 在職
阿部正邦
(まさくに)
従四位下・
備中守
宝永7年(1710) ~
正徳5年(1715)
阿部正福
(まさよし)
従四位下・
伊勢守
正徳5年(1715) ~
寛延元年(1748)
阿部正右
(まさすけ)
従四位下・
侍従
寛延元年(1748) ~
明和6年(1769)
阿部正倫
(まさとも)
従四位下・
伊勢守
明和6年(1769) ~
享和3年(1803)
阿部正精
(まさきよ)
従四位下・
侍従
享和3年(1803) ~
文政9年(1826)
阿部正寧
(まさやす)
従五位下・
伊予守
文政9年(1826) ~
天保7年(1836)
阿部正弘
(まさひろ)
従四位下・
侍従
天保7年(1836) ~
安政4年(1857)
阿部正教
(まさのり)
従五位下・
伊予守
安政4年(1857) ~
文久元年(1861)
阿部正方
(まさかた)
従四位下・
主計頭
文久元年(1861) ~
慶応4年(1868)
10 阿部正桓
(まさたけ)
従二位 慶応4年(1868) ~
明治4年(1871)

福山藩の家臣団
 福山藩の家臣団は家格により大きく二つの格式に分けられます。
まず「給人」と呼ばれる上級武士の格式があります。寛保3年(1743)以来、家禄50俵以上の者をさします。 「給人」のなかで年寄から給人格まで23の席順(各式)が定まっていました。藩主との対面が許され(御御目見)、家禄を世襲します。
 「給人」以下は下級武士になります。給人格・無足・御通り掛・小児・並勘定方・小役人・足軽・中間の序列が定められていました。 御通り掛は藩主との正式な対面が許されず、お通り掛に御目見する格式です。小児は成年前で家禄を継いだものに与えられます。
 給人格から並勘定方までが「徒士」と呼ばれます。
 小役人は特定の役方に属するもので、足軽は鉄砲・弓・槍の部隊に配属されたものです。一般的に「足軽」といわれる身分で、家禄の世襲はありません。 中間は武家奉公人で、御家中に含まれません。

 福山藩は明治2年(1869)の藩政改革により、格式は以下のように定まります。
 上士  家老および3代以上年寄を勤めた家
 中士  以外の給人の家
 下士・准士  徒士の家
    足軽の家

 藩の職制をみてみます。
最高職の家老は、佐原家・内藤家・下宮家が世襲します。
家老の次ぐ重職が 年寄になります。家老とともに閣議を構成し、藩政の中枢を担いました。3代以上年寄を勤めた家は19家あります。
 家老・年寄を補佐する要職が用人側用人といいました。
その下は軍務を担当する番方と、財政・民政そして奥向きを担当する役方に分れます。
 番方の重職としては、城番(留守居役)をはじめ番頭・御旗奉行・者頭・長柄奉行・船奉行・軍師・使番・御供番頭・徒士頭などかおり、これに次いで番頭の配下の坂上御番・御広間がありました。
 一方、役方のトップは元締役です。用人が兼務することも多く、藩の内政の総括責任者です。勘定奉行にあたります。 その配下に取締役をはじめ勘定組頭・吟味役・御金奉行・元方奉行・畳奉行・運上改め役・山奉行・蔵奉行・普請奉行・細工方纒いがあります。
 役方は、取締役・勘定組頭・吟味役の各列と、元方奉行の系列が中軸となり、収納・経理関係と営繕関係の諸役方が属していました。
      ⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)

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福山藩の家臣
『阿部御家分限記録帳』(宝暦末期から明和初年頃)より藩士家名(国元分)
あ) 安藤・青木・天野・秋庭・新井・浅倉・荒木・浅井
い) 伊藤・石黒・井上・磯・一色・斎木・今村・石田・石川・井口・糸川・池田・井神・ 稲賀・今井・猪山・市川・磯嶋・石塚・岩崎・稲垣・稲野・池西・猪原・井坂
う) 宇津野・上田・梅田・内田・上迫・馬屋原・上坂
え) 江坂・遠藤・江木
お) 小曽戸・大瀬・小倉・小野・大橋・奥村・大野・小高・大平・大林・大田・小川・刑部・ 小幡・大室・岡本・岡田・岡崎・大塚・落合・小堀・大類・奥山

か) 川田・川崎・亀川・垣田・軽部・河中・川越・加藤・柏原・笠岡・掛川・叶・笠原・ 河本・川村・垣本・河相・門田・金谷・柏原・梶山・掛谷・神原
き) 喜多村・木村・衣川・北村・木造
く) 倉井・倉品・倉(蔵)田・熊田・粂川・桑田・栗原
こ) 近藤・甲田・小森・後藤・小林・小嶋・小泉・幸田・

さ) 佐原・座間・坂・斎田・斎藤・佐藤・佐々田・坂本・沢木・佐竹・桜井・佐伯・佐川・ 佐崎・佐々木
し) 下宮・柴崎・嶋田・進藤・下・清水・塩出・神藤
す) 須田・角尾・鈴木・菅谷・杉原・杉沼・杉浦
せ) 関・瀬尾・関根・世良
そ) 園部

た) 高滝・高久・田中・竹嶋・高鉄・田村・高橋・田上・武永・高田・高嶋・高垣・滝口・ 高松・高取・高見沢・高谷
ち) 知久
つ) 鶴岡・津川・綱川・辻村・鼓
て) 寺戸・寺地
と) 戸川・戸石・豊田・

な) 内藤・永峰・中山・楢崎・波町・中嶋・中沢・永沢・中嶋・中居・中西・中前
に) 西内・西井・西村
ぬ) 布川
の) 野村・野嶋

は) 羽田・馬場・橋山・浜安・早間・半田・波多野・浜野・橋本
ひ) 日野・広江・広田・平川・比名・樋口・檜木
ふ) 藤江・藤井・福田・船橋・藤嶋・藤村・藤野・古川・福羽
ほ) 本間・堀・堀内

ま) 真野・真杉・正岡・正木・松山・松本・松村・間川・牧・前田・松尾・松田・松井・ 松崎・前原
み) 三浦・宮寺・三上・三好・三迫・三吉・宮原・満田・宮村・宮崎・三俣
む) 村上・村井
も) 森嶋・持間・本持・毛呂・森・守屋

や) 山本・山室・矢島・山脇・山手・矢守・山名・山田・山勝・山下・山崎・柳井・安井
よ) 吉田・吉岡・吉村・吉川・横井・吉見・吉永・横山
わ) 渡部・渡辺・若林・渡地

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