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福井藩家臣のご先祖調べ

 慶長5年(1600)「関ヶ原合戦」の勲功により、徳川家康の次男 結城秀康が越前一国67万石を与えられ、翌1601年北ノ庄城を大改修し居城とします。慶長9年(1604)秀康は松平氏に復して越前松平家を興します。
 秀康の嫡男松平忠直は「大坂の陣」で戦功を立てましたが、論功行賞に不満を抱き、次第に幕府に反抗的態度を取るようになります。そのため元和9年(1923)乱行を理由に豊後国大分に配流されました。
 翌寛永元年(1624)忠直の弟である越後高田藩主松平忠昌が福井藩50万石の藩主となります。
 その際幕府に選ばれた前藩主忠直家臣百余名を与えられ、高田からの随従家臣300余名と併せて新たに福井藩の家臣団を形成し、藩領を継承しました。そして北ノ荘は福居(後に福井)と改められました。
 第6代藩主松平綱昌は理由無く側近を殺害するなど奇怪な行動を取り始め、領内の飢饉に対応できず多数の餓死者を出し、江戸城登城も怠ってしまいます。 貞享3年(1686)幕府は綱昌の狂気を理由に強制隠居させ、前藩主松平昌親が領地半減の上で、第7代藩主松平吉品として再度藩主になりました。
 この再就封の際して様々なペナルティが与えられました。
   ●25万石への藩領削減。
   ●領地宛行状が国名の「越前少将」から都市名の「福井侍従」に。
   ●松平忠昌が「大坂の陣」で使った片鎌槍の大名行列での使用禁止。
   ●江戸城の詰間が将軍家の親族が詰める「大廊下」から、外様の国持大名と
    同じ「大広間」へ異動。
 藩の規模縮小により2000人以上の家臣(奥女中含む)がリストラされ、家老から下級武士に至るまで俸禄は半減しています。
 その後次第に家格は回復し、10代藩主松平宗矩からは「左近衛権少将」の官位に戻っています。

 幕末期、田安徳川家から松平慶永(春嶽)が入り第16代藩主となります。 慶永は橋本左内由利公正らを登用し、また熊本藩から横井小楠を招いて藩政改革を行います。
 しかし将軍継嗣問題で、一橋慶喜を推す「一橋派」の松平春嶽(慶永)は、紀州徳川慶福(家茂)を推す彦根藩主井伊直弼らの「南紀派」に敗れ、「一橋派」は弾圧され、強制隠居の謹慎処罰を受けることになりました。 そして腹心の橋本左内は投獄処刑されています。
 「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺されると、春嶽は幕政に参与することになります。 「文久の幕政改革」では政事総裁職に就任し、会津藩主松平容保京都守護職就任、 将軍徳川家茂の上洛など公武合体政策を推進していきます。春嶽は幕末四賢侯の一人と謳われています。
 明治新政府に加わった福井藩は、「戊辰戦争」で上野寛永寺に立てこもった彰義隊の討伐に参戦しています。

福井藩
  藩庁 福井城(福井市)  
  江戸屋敷 上屋敷(千代田区大手町:大手町プレイス) 
中屋敷(中央区新川:霊岸島) 
下屋敷(墨田区本所)
 
  石高(表高) 32万石
  江戸城控間 大廊下
  格付け 国主
  爵位 伯爵

福井藩越前松平家の歴代藩主
越前松平家 家紋:丸に三つ葉葵
出自:清和源氏
菩提寺:臨済宗大安禅寺 (福井市田ノ谷町)
代数 氏名 官位 在職
結城秀康
(ひでやす)
正三位 慶長5年(1600) ~
慶長12年(1607)
松平忠直
(ただなお)
従三位・
越前守
慶長12年(1607) ~
元和9年(1623)
松平忠昌
(ただまさ)
正四位下・
伊予守
寛永元年(1624) ~
正保2年(1645)
松平光通
(みつみち)
従四位下・
左近衛権少将
正保2年(1645) ~
延宝2年(1674)
松平昌親
(まさちか)
従四位下・
左近衛権少将
延宝2年(1674) ~
延宝4年(1676)
松平綱昌
(つなまさ)
従四位下・
左近衛権少将
延宝4年(1676) ~
貞享3年(1686)
松平吉品
(よしのり)
従四位下・
左近衛権少将
貞享3年(1686) ~
宝永7年(1710)
松平吉邦
(よしくに)
従四位下・
左近衛権少将
宝永7年(1710) ~
享保6年(1721)
松平宗昌
(まさかた)
従四位下・
侍従
享保6年(1721) ~
享保9年(1724)
10 松平宗矩
(むねのり)
従四位下・
左近衛権少将
享保9年(1724) ~
寛延2年(1749)
11 松平重昌
(しげまさ)
従四位上・
越前守
寛延2年(1749) ~
宝暦8年(1758)
12 松平重富
(しげとみ)
正四位下・
左近衛権中将
宝暦8年(1758) ~
寛政11年(1799)
13 松平治好
(はるよし)
正四位下・
左近衛権中将
寛政11年(1799) ~
文政8年(1825)
14 松平斉承
(なりつぐ)
従四位上・
左近衛権少将
文政9年(1826) ~
天保6年(1835)
15 松平斉善
(なりさわ)
正四位下・
越前守
天保6年(1835) ~
天保9年(1838)
16 松平慶永
(よしなが)
正四位下・
越前守
天保9年(1838) ~
安政5年(1858)
17 松平茂昭
(もちあき)
正四位下・
越前守
安政5年(1858) ~
明治4年(1871)

福井藩の家臣団
 松平秀康は武功ある武士を高禄で召し抱え、大名給の家禄1万石以上の家臣が11人もいました。家臣は徳川氏縁故の三河・遠江や美濃・尾張の出身者が多く、ついで結城氏関係の下野・常陸が続きます。
 ところが寛永元年(1624)秀康の子松平忠直が改易となり、代わって越後高田藩主の弟松平忠昌が福井藩へ入封し、忠直の子松平光長が越後高田藩へ移ることになります。 忠昌は忠直旧臣に「福井に留まるも越後へ随従するも望み次第」とし、結果家臣団の再編が行われることになります。
 松平忠昌の2000石以上の重臣23家をみてみると、秀康以来の家臣は11家、忠昌召抱えは12家とバランスをとっています。

 幕末期を例にすると、福井藩の家臣団は士分の上士中士、士分ではない下士(卒)の3つの格式に分けられます。
 上士には高知席高家寄合席定座番外席の家格があり、16家の高知席から家老城代が選ばれました。
 上士のなかでも本多家は別格で江戸に屋敷を拝領し、幕府から大名並の待遇を受けていました。江戸屋敷を拝領した大名家臣(陪臣)は御三家の付家老と萩藩の吉川家くらいです。
 高家は結城家親類の水戸家山川家寄合席からは側用人や番頭が選ばれました。定座番外席は寄合席の分家や、功績により上士になった家で構成されています。

 中士にあたる番士の最上席に役番外があります。役方の御奉行・目付・広敷用人・郡奉行や、番方の先物頭など諸物頭に就きました。 なかには定座番外席の要職である金津奉行・寺社町奉行に就任する者がおり、在任中には上士の待遇を受けました。
 家臣の俸禄には、給知を与えられる「知行取」と藩庫から支給される「切米取」があります。 役番外に昇進できたのは「知行取」の給人に限られていました。「切米取」の番士は書院番・大番・留守番に就きました。
中士の末席である新番下士から取り立てられ年数の浅い家で、勝手役・蔵奉行などに就きました。
 下士目見以上目見以下に分けられます。
 目見以上は跡目相続が認められたが、目見以下は「一代抱え」が原則で、その身分が株として売買されることもありました。
 目見以上は勝手役など行政実務の要職や藩主の身辺警護の役職に、目見以下は藩運営の事務職や技術職などに就きました。
 嘉永5年(1852)の福井藩家臣団構成は以下のようになります。
   上士  71家
   中士  718家
   下士・目見以上  223家
   下士・目見以下  1688家

 藩の職制には役方(政務)番方(軍務)の2系統があります。
 役方には藩の政庁である表方と、 中奥大奥があります。中奥は藩主の日常生活に近侍役職、大奥は藩主夫人以下の日常生活に近侍役職です。
 表方の中核は家老が執務する御用部屋になります。月番の家老が政務を総括し、 評定には家老・側用人(藩主の輔弼)・金津奉行・寺社町奉行・御奉行(財政担当)・目付(監察官)などが参加しました。
 民政においては、福井城下町方と領内寺社を所管する寺社町奉行、それ以外の全領域が金津奉行と3人の郡奉行が分担支配しました。

 福井藩の番方は、本陣馬廻諸手四頭留守居で構成されていました。
 本陣馬廻は書院番頭・新番頭・諸物頭・徒頭が指揮にあたる総兵力約3000人の本隊です。
 諸手四頭(先鋒四隊)は、家老が3隊を指揮し、残りの1隊は家臣筆頭の本多家家臣で編成されました。総兵力は約4800人に及びました。
 留守居は城代が指揮する国元の守備隊です。総兵力約700人です。
      ⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)

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福井藩の家臣
『源秀康公御家中給帳』より藩士家名
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