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会津藩家臣のご先祖調べ
戦国時代の会津は戦国大名蘆名氏、そして伊達氏の領国でした。
その後、天正18年(1590)豊臣秀吉の奥州仕置により蒲生氏郷が会津に入国します。
蒲生氏郷は地名を黒川から若松と改め、若松城を築城し城下を整備して、現在の会津若松の基盤を築きます。
蒲生氏の次に越後の上杉景勝が入部しますが、関ヶ原合戦で西軍石田方に与したことから出羽米沢へ減封され、代わって蒲生氏、そして加藤氏が入部します。
加藤氏が改易されると、寛永20年(1643)出羽山形藩より保科正之が入部、以後親藩大名会津松平家として明治維新まで存続します。
藩祖保科正之は2代将軍徳川秀忠の御落胤で、3代将軍徳川家光の異母弟です。家光の信頼を受けて幕政では大老として重きをなし、会津に帰国できたのは数年間であったとされています。
3代藩主保科正容の代に、松平姓と「三つ葉葵」の紋の永代使用を許され、名実ともに徳川一門(御家門)として遇されることになりました。
9代藩主松平容保の代に、京の治安維持のため京都守護職に任じられ、幕府と朝廷の親和に尽力しましたが、
戊辰戦争が勃発すると朝敵とされ、会津若松城下での会津戦争では新政府軍により壊滅的な被害を受けています。
藩庁 | 会津若松城(会津若松市) | |
江戸屋敷 | 上屋敷(千代田区皇居外苑 和田蔵御門内) 中屋敷(港区東新橋1丁目) 下屋敷(港区三田2丁目~松坂町~豊岡町附近) |
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石高(表高) | 18万石 | |
江戸城控間 | 溜間 | |
格付け | 城主 | |
爵位 | 子爵 |
■会津藩の歴代藩主
会津松平氏 | 家紋:丸に会津三葵 本姓:称・清和源氏 |
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墓所:土津(はにつ)神社(福島県猪苗代町) | |||
代数 | 氏名 | 官位 | 在職 |
1 | 保科正之 (まさゆき) |
正四位下・ 左近衛権中将 |
寛永20年(1643) ~ 寛文9年(1669) |
2 | 保科正経 (まさつね) |
従四位下・ 侍従 |
寛文9年(1669) ~ 天和元年(1681) |
3 | 松平正容 (まさかた) |
正四位下・ 左近衛権中将 |
天和元年(1681) ~ 享保16年(1731) |
4 | 松平容貞 (かたさだ) |
従四位下・ 侍従兼肥後守 左近衛権少将 |
享保16年(1731) ~ 寛延3年(1750) |
5 | 松平容頌 (かたのぶ) |
正四位上・ 左近衛権中将 |
寛延3年(1750) ~ 文化2年(1805) |
6 | 松平容住 (かたおき) |
従四位下・ 侍従兼若狭守 肥後守 |
文化2年(1805) |
7 | 松平容衆 (かたひろ) |
従四位下・ 侍従兼肥後守 左近衛権少将 |
文化3年(1806) ~ 文政5年(1822) |
8 | 松平容敬 (かたたか) |
正四位上・ 左近衛権中将 |
文政5年(1822) ~ 嘉永5年(1852) |
9 | 松平容保 (かたもり) |
正四位下・ 参議 |
嘉永5年(1852) ~ 慶応4年(1868) |
10 | 松平喜徳 (のぶのり) |
従四位下・ 侍従兼若狭守 |
慶応4年(1868) ~ 明治4年(1871) |
■会津藩の家臣団
会津藩松平家の家臣団は出自をみると、改易された旧山形藩鳥居家の旧臣、前高遠藩からの隨従家臣、会津召抱え、他藩や浪人の4つに大別されます。
その中で家臣団の主体は高遠以来の家臣です。
幕藩体制が安定してくると、浪人など新参者の召し抱えは減り、家臣団の充実・強化は内部で行われていきます。 つまり親の家禄を分知して二男・三男を新たに召し抱えるケース、重臣の家臣(陪臣)を新たに召し抱えるケースなどです。
限られた家禄を分けることは家臣の零細化につながるため、これらのケースも次第に少なくなり、家臣団は固定化されていきます。
『会津若松市史』によると、家臣の新規召し抱えは初代保科正之公の代でほぼ終わり、3代松平正容公の元禄16年(1703)には家中からの新規召し抱えも制限したとあります。
これは知行取の上・中級家臣に限ってのことと思われ、“一代限り” の扶持米取下級家臣は状況に応じて、入れ替えや新規召抱えがあったと考えられます。
会津藩家臣数…元禄16年(1703)で知行取551人・扶持取3368人(『家世実紀』より)
会津藩の武士階級は、大きく上士(士中)・中士(寄合)・下士(足軽)に分けられます。
上士・中士は羽織紐の色で7階級に区別され、上から納戸紐・黒紐・紺紐・花紐・茶紐・萌黄紐・浅黄紐となります。 花紐以上が上士(士中)で、茶紐以下が中士(寄合)です。茶紐以上は藩主に一人で謁見できる「独礼御目見」資格があります。
俸禄は知行取・切符取で支給されます。
知行取はおよそ家禄100石以上の家臣に相当し、年3回に分けて支給されました。 切符取は50石以下の家臣に相当します。
下士(足軽)は半襟(はんえり)の色で4階級に区別され、上から黒襟・大和柿襟・白鼠襟・浅黄襟となります。
俸禄は扶持米取、最下級は高懸り(物頭から与えられる臨時雇)で支給されました。
⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)
■会津藩の家臣
『会津他藩中分限帳』(保科正之時代)より藩士家名
~寛永二十年癸未八月左中将源正之公 山形より会津江御入部之節 被召連候御家中士分限~
あ) | 赤羽・安達・安部井・在竹・芦野・安西・安藤・秋田・浅井・赤埴・有賀・ 有泉・天野・秋山・明石・鮎川・芦沢・浅岡・荒川・相沢 |
い) | 今村・井深・一瀬・井上・生駒・飯野・石川・石黒・飯田・井深・飯沼・ 伊与田・池上・井口・猪狩・伊波・磯上・飯島・伊東・生田 |
う) | 上島・植木・浮洲・植田・鵜沼 |
え) | 遠藤 |
お) | 小原・大津・大竹・大熊・大村・岡田・大館・大原・大戸・小幡・太田・
小野・大子・小田切・小笠原・大西・小川 |
か) | 神尾・片山・加藤・河手・春日・苅部・狩野・梶原・唐木・唐沢・神谷・ 神戸・河原・片岡・金田・川北・神田 |
き) | 北原・木本・木村・菊地・木俣・木戸・木田 |
く) | 車・熊谷・栗田・黒河内・倉沢・黒原・朽木・黒川・鯨岡 |
け) | 下司 |
こ) | 国府・小松・小島・小平・河野・香坂・小森・小坂 |
さ) | 桜井・坂・佐々・坂部・佐川・酒井・齋藤・佐藤・沢野・坂本・笹沼・笹原・佐瀬 |
し) | 神保・篠田・白井・下条・新谷・柴・志賀・清水・篠原・島田・下平・下川・ 柴田・白土・柴宮 |
す) | 杉浦・鋤柄・諏訪・鈴木 |
せ) | 瀬木・関 |
そ) | 相馬・添島 |
た) | 田中・竹村・高木・竹本・谷・高橋・辰野・竹尻・高津・高見沢・俵田・高北 |
つ) | 津田・常田・塚原・筒井・鶴田・土屋 |
と) | 遠山・豊田・伴・戸狩・戸田・豊間・常盤・富岡 |
な) | 長井・名倉・成瀬・中沢・中山・永坂・中村・夏目・縄田・永見・永田・永岡・苗村・中野・中根・永山・中田 |
に) | 丹羽・西川・新妻 |
ぬ) | 沼沢 |
ね) | 祢津 |
の) | 野村・野中 |
は) | 馬場・林・長谷川・八田・原・畑・祓戸・橋森・間 |
ひ) | 日向・樋口・平尾・広川・桧山・桧原 |
ふ) | 藤沢・藤塚・古川 |
ほ) | 保科・堀田・堀尾 |
ま) | 間瀬・丸山・松沢・町野・松本・松田・牧・町田・真宮・松永 |
み) | 三宅・南摩・宮本・三坂・御子柴・水野・三井・宮下・三浦・宮田 |
む) | 村田・向山・村上 |
も) | 森・守能・籾山・両角 |
や) | 山内・山高・山家・山川・山下・山中・柳田・安武・山寺・矢吹・矢島 |
よ) | 吉川・横山・吉田・横地 |
わ) | 和田・渡部・藁谷 |