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東京都のご先祖調べ

令制国の武蔵国の葛飾郡・足立郡・豊島郡・多摩郡・荏原郡と下総国伊豆国の一部が含まれます。
ここでは島嶼部は取り上げていません。

戦国期以前の東京都
 平安時代後期、秩父氏流江戸重継が荏原郡江戸に城館(のちの江戸城)を築きます。
 江戸氏は鎌倉幕府の御家人、北条得宗家の被官となり、一族を江戸周辺に配置しますが、室町時代には勢力を失います。
 代わって関東管領上杉氏の家老太田道灌が長禄年頃(1456)江戸氏の居館跡に江戸城を築き、南関東一円で勢力を振るいます。
 道灌が歿すると扇谷上杉氏が江戸城に入り武蔵国支配を試みます。 しかし扇谷上杉氏が武蔵国への進出を目指す小田原北条氏に敗れると、江戸城は小田原北条氏の支配下となり、武蔵国支配の拠点となります。
 鎌倉公方に仕えた吉良治家は「鎌倉公方の御一家」の扱いを受け、成高の代に世田谷城(荏原郡世田谷)を構え、小田原北条氏の傘下に入っています。
 この他、荏原郡では紀氏一族が武士団を形成しています。
 同じ秩父氏族で、「保元・平治の乱」に参陣した秩父武常豊島郡を領して豊島氏を名乗り、豊島郡を中心に勢力を広げます。 しかし太田道灌との抗争に敗れ一族は存亡の危機を迎え、小田原北条氏の配下となることで命脈を保ちます。

 多摩郡横山庄(八王子市・日野市)からは、武蔵七党の一つ横山党が起こります。
この武士団は武蔵国大里郡比企郡橘樹郡および相模国北部に広がっていきます。小野篁の後裔とされていますが、異論も多くあります。
 多摩郡村山郷(入間川付近)からは、同じく武蔵七党の一つ村山党が起こります。
桓武平氏村山頼任の子孫とされ、狭山丘陵の北部の武蔵野台地上に広がっています。
 多摩川流域を地盤に武蔵七党の一つ西党が起こります。武蔵国司日奉宗頼の子孫とされています。
 武蔵七党については「埼玉県のご先祖調べ」でも取り上げます。

 戦国時代になると小田原北条氏が進出し、北条氏康の代には武蔵国を制圧します。
 天文15年(1546)「河越夜戦」扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏を越後に追放させた小田原北条氏は、天文22年(1553)に甲斐武田氏駿河今川氏との甲相駿三国同盟を成立させています。
 永禄2年(1559)頃には武蔵国全域が小田原北条氏の支配下となります。
 滝山城(八王子市)・八王子城(八王子市)・江戸城(千代田区)・世田谷城(世田谷区)には重臣を配置し、領国経営の拠点となりました。
 小田原北条氏の家臣団をみると、
 江戸衆には、遠山・太田・富永・小幡・島津・伊丹・中条・会田・河村・小菅・興津・ 本田・朝倉・梶原・森・猿渡などの苗字がみえます。
 八王子には、大石・狩野・近藤・横地・三田・中山・師岡・平山・立川・由木・小田野・ 久下・中沢・宿谷・浅羽・野口・貴志・中嶋などの苗字がみえます。

 豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が没落すると、 武蔵国は徳川家康の支配地となり、徳川配下の将士が入ることになります。
 このように武蔵国では山内上杉氏後北条氏武田氏越後上杉氏の国外の巨大勢力の争奪地となったため、 土着の武士団は戦国大名化することが出来ず、新興戦国大名の家臣として、あるいは帰農していくことになります。

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東京都の名字
 戦国期以前より勢力を振るった在地領主の一族をみてみましょう。
 ただし名字の出自や由緒には諸説あり、すべては網羅できておりません。参考の一つにしてください。

 秩父氏流江戸氏族では、喜田見・丸子・六郷・石浜・柴崎・板倉・渋谷・竹沢・蒲田・金曽木・桜田・国府方などがあります。
 秩父氏流豊島氏族では、宮城・滝野川・志村・板橋・白井・赤塚などがあります。
 荏原郡紀氏一族では、井坂・大井・品河・春日部・潮田・堤などがあります。
 多摩郡におこる横山党は他国へ広がった苗字も含めると以下の諸氏があります。
 横山・椚田(くぬぎた)・海老名・藍原・平子・野部・山崎・鳴瀬・古郡(ふるこおり)・ 小倉・菅生・糟屋・由木(ゆき)・室伏・大串・千与宇(ちよう)・伊平・樫生(かしう)・ 古市・田屋・八国府(やこふ)・山口・愛甲・小子(おこ)・平山・石川・古沢・小野・ 古庄・中村・大貫・田名・小沢・小俣・藤田・続(つづき)・苅田・和金(わかね)・ 中条・大屋・桑原
 多摩郡村山党には、大井・宮寺・金子・山口・仙波・横山・広屋・須黒・久米などの諸氏があります。
 同じく多摩郡西党には、平山・由井・立川・小川・田村・中野・稲毛・川口・上田・平目・高橋・小宮・西宮・田口・駄所・柚木・長沼・信乃(しの)・二宮・狛江などの諸氏があります。

 東京都の苗字ベスト20位は以下の通りです。
1鈴木 2佐藤 3高橋 4田中 5小林 6渡辺 7中村 8伊藤 9加藤 10山本
11吉田 12山田 13清水 14斉藤 15石井 16井上 17佐々木 18木村 19山口 20山崎

 鈴木・佐藤・高橋という東日本を代表する名字が入る一方で、西日本を代表する田中・中村・山本がランクインしています。
 東京は全人口の1割が集まり、日本の苗字の展示場といる地域です。よって特徴的な傾向は見出せません。

江戸時代の東京都
 江戸は徳川将軍家の居城・江戸城を中心に行政都市として発展しました。
 初期の江戸は江戸城外堀の内側、現在の千代田区とその周辺だけであったといいます。 政治的重要性が高まるにつれ、諸大名の屋敷・徳川氏の旗本御家人屋敷・町人屋敷が増加、町は急速に拡大しました。
 主に江戸城の南西地域・北地域の「山の手」に武家屋敷地が、河川や堀が多い東地域の「下町」に町人屋敷地が開かれました。 1657年の「明暦の大火」以後は隅田川を超えて市街地が拡大、18世紀初頭には人口が百万人を超えたといわれています。
<江戸の人口>
 三都市の推定総人口遷移(斎藤誠治)
    1650年  1750年  1850年
 江戸 43万  1,22万  1,15万
 大坂 22万  41万   33万
 京都 43万  37万   29万
 『柳烟雑録』(享保9年)によると、武家人口は大名旗本5469人・御家人1万7004人・与力同心並びに六尺下男3万0909人・その他487人合計5万3865人と伝えています。 これに藩邸駐在(江戸詰)の武士、そして家族も含まれますので、武家関係者だけで数倍の人数になります。
 町人は限られた町屋敷に集住し、そこに地方からの出稼ぎ奉公人が加わるようになります。出稼ぎは男性が多かったため、江戸時代中期には男性が女性の倍近くいたといわれています。
 江戸時代も中期以降は人口増加によって市街地が拡大され、「山の手」に町人町が、「下町」に武家屋敷地が建てられるようになります。
 文政元年(1818)江戸市域を定められ(朱引)、現在の千代田区・中央区・港区・文京区・台東区の全域と、東は江東区亀戸周辺、西は渋谷区代々木・新宿区角筈周辺、南は品川区品川周辺、北は荒川区千住・板橋区板橋周辺となりました。
 江戸市域の周辺は典型的な農村地域で、世田谷区や中野区・豊島区などには豊かな農村風景が広がっていました。

 江戸時代の多摩地域は幕府領や旗本領が占め、八王子には関東直轄領を支配する代官が駐在しました。 また八王子周辺の農村には郷士身分の幕臣八王子千人同心を配して、甲州口(武蔵・甲斐国境)の警備と治安維持にあたらせました。
 このため多摩地域は幕府への忠誠心が強く、幕末期の新選組主要隊士の出身者が多いことにも関係しています。

東京都の家紋
 東京都の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典』によると、東京都の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 片喰 2位 鷹の羽 3位 柏 4位 木瓜 5位 藤
6位 菱・花菱 7位 桐 8位 蔦 9位 橘 10位 巴

 日本の十大家紋と比べると、沢潟紋茗荷紋がランク外となり、かわりに菱・花菱紋巴紋がランク入りしています。
東京都は全国より人が集まって来ているため、苗字と同様に特徴はありません。

東京都の寺院
 東京都の寺院をみてみましょう。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、東京都の宗派別の割合は以下の通りです。
  23区
多摩
天台宗 5% 8%
真言宗 18% 22%
曹洞宗 10% 25%
臨済宗 4% 20%
浄土宗 17% 5%
浄土真宗 15% 7%
日蓮宗 21% 6%
その他 10% 7%
 23区は浄土宗の寺院も多さが目立ちます。徳川将軍家の菩提寺増上寺・伝通院は浄土宗です。もう一つの菩提寺寛永寺は天台宗です。
 日蓮宗寺院は関東で勢力が強いことと関係しているようです。
 多摩地域は、禅宗系や密教系の寺院が多いようです。

東京都の神社
 武蔵国一之宮はさいたま市大宮にある氷川神社です。
 氷川神社は「埼玉県のご先祖調べ」に記します。
 武蔵国総社の大國魂神社は府中市に鎮座しています。ここにはかつて武蔵国国府があり、武蔵国の一之宮から六之宮を合わせ祀ったため「六所宮」とも呼ばれていました。
 主祭神は、大国主命と同神とされる大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)。
 社家は藤原姓という猿渡氏です。相模国足柄郡猿渡におこり、一族は薩摩国に広がっています。

東京都の紳士録・人名録
 国立国会図書館のデジタルコレクションにある紳士録・人名録を一部紹介します。
『日本全国商工人名録[明治25年版]』日本全国商工人名録 明治25年(1892)  職種別と商号
 『大日本篤農家名鑑 [第1冊]明治43年5月』大日本篤農家名鑑編纂所 明治43年(1910)  村名
『日本紳士録 第1版』交詢社 明治22年(1889) 職業と所在地
『東京紳士録』財務協会編 大正1年(1912) 職業と所在地と税額


※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。 参考の一つにしてください。
 また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。


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