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奈良県のご先祖調べ

令制国の大和国に相当します。
「ヤマト王権」誕生の地であり、天皇陵に比定される古墳群が示すように、古くから日本の中心勢力が覇を唱えた地域です。
大和時代から飛鳥時代にかけて、橿原市や高市郡に宮廷が造られ、694年藤原京、710年平城京に都が置かれました。
寺社勢力を分離するため長岡京遷都が行われましたが、以後も寺社は大きな勢力を持っていました。

戦国期以前の奈良県
平安後期、清和源氏源満仲の次男源頼親に始まる系統が大和源氏として広がります。
大和国では奈良時代以降南都寺院が大きな勢力を持ち、鎌倉・室町の武家政権では守護大名が置くことができませんでした。 代りに興福寺が大和国守護職の権限を与えられ、衆徒(末寺坊主)・国民(末社神社)を配置し、国内を統治しました。
やがて一乗院(近衛流)と大乗院(九条流)の両門跡が興福寺の実権をめぐって対立するようになり、 社領荘園の荘官や在地小領主と被官関係を結び、在地領主化していきました。
しかし興福寺の権限が及ばない地域もあり、宇智郡は河内守護畠山氏が分郡守護となり、のち越智氏が勢力を振るいます。
同様に宇陀郡は伊勢北畠氏が、吉野郡は幕府政所執事伊勢氏が分郡守護となっています。

戦国時代になると、筒井氏・越智氏・十市氏・箸尾氏などが北大和地域に割拠し勢力を競いましたが、強力な支配勢力とはなりえず、 細川氏や畠山氏・三好氏が後援する赤沢氏や木沢氏、そして松永久秀らの他国勢力により支配を受けました。
しかし天正8年織田信長に後援された筒井順慶が大和国を概ね支配下に置きました。

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奈良県の名字
 戦国期以前より勢力を振るった在地領主の一族をみてみましょう。
 ただし名字の出自や由緒には諸説あり、すべては網羅できておりません。参考の一つにしてください。

 前述のように大和国は奈良時代以来、寺社勢力が強く、武士団の発達は遅れました。 代りに、春日大社の御神木を奉じて強訴を行った興福寺の僧兵などが一種の武士団ともいえます。
それでもいつかの武家氏族は登場します。
 宇智郡宇野荘におこる宇野氏は、のちに「大和源氏」とよばれるほど、一族は広がります。
源満仲の子頼親が大和守になったことに始まり、 奥・広瀬・入野屋・土方・大森・辛川・愛子・陸奥・太田・大野・朝日・岩井・楊梅(やまもも)・二河・麻生などを分出しています。
興福寺の衆徒の中から武家氏族が台頭してきます。
 その代表格が生駒郡の筒井氏です。藤原姓とも大神姓ともいわれ、興福寺一乗院衆徒から頭角を現し、 戦国時代の筒井順慶には大和国を支配するにいたります。 筒井三家老に松倉・森・島氏があり、島氏から石田三成の片腕島左近が出ています。
 広瀬郡箸尾荘におこる箸尾氏は藤原姓とされ、同族に布施・万財・岡・高田などがあります。
 磯城郡十市氏は十市宿祢の後裔とされ、のちに畠山氏に属し十市城主(橿原市)となっています。
 添上郡古市におこる古市氏は清原氏流とされ、その被官に西村・園波・中・花房・苑田があります。
その他にも、葛城郡には吐田・友田・楢原氏、添上郡柳生荘におこる柳生氏、宇陀郡の沢・秋山・芳野・牧・赤埴氏、 宇智郡の二見氏、十津川郷の戸野・竹原氏があります。

 奈良県の苗字ベスト20位をは以下の通りです。
1山本 2田中 3吉田 4中村 5松本 6上田 7井上 8岡本 9森本 10山口
11山田 12吉川 13中川 14木村 15吉村 16森田 17西川 18岡田 19中西 20松田

奈良県の名字は、典型的な西日本タイプです。「田」の付く名字が多く、稲作文化の先進地域の影響がみらます。 また「山」「木」「川」などの自然地名や、集落をしめす「村」の付く苗字も多くみられます。 これも農耕社会を影響を受けている苗字です。
さらに「中」「西」の方角・位置関係が付く苗字が目立ちます。

 奈良県の庶民苗字の特徴として、添上郡や吉野郡など山間地域に「家名(苗字)が居住地の字名と一致」がみられます。
 『東山村史』には「どの家にも昔から屋敷名(或は屋敷の地名)があって、私的には自他共にこれを称して来た。大字別所の苗字は大部分400年以前の殿様当時にみられた屋敷名(或は屋敷の地名)で、江戸時代にもそれを用いて来た。従って各戸の苗字は大体明治以前から既に屋敷名として存したことが知られる。」とあります。

江戸時代の奈良県
 江戸時代、幕府は南都寺院と門前町(北町・南町)を支配するため奈良奉行を、広大な南部山域には五條代官所を置き天領(幕府直轄地)としました。
 大名としては15万石を領す郡山藩が最大で、2万5千石高取藩がそれに続き、小泉藩・柳生藩・柳本藩・芝村藩などの小藩が配置されました。 また交代寄合旗本の平野家の田原本陣屋がありました。
このうち南部地域は広いため十津川郷士(十津川村)など郷村自治が行われていました。
廃藩置県時に奈良県に存在した藩と幕府領は以下の通りです。
藩名 城下町 主な藩主の変遷
郡山藩 大和郡山市 本多氏→柳沢氏
高取藩 高取町 本多氏→植村氏
柳生藩 奈良市 柳生氏
小泉藩 大和郡山市 片桐氏
柳本藩 天理市 織田氏
芝村藩 桜井市 織田氏
大和新庄藩 葛城市 桑山氏→永井氏
代官・奉行 陣屋地 管轄地
幕府領
奈良奉行
奈良市 添上郡25村・平群郡43村・葛上郡28村・葛下郡27村・式上郡20村・式下郡23村・忍海郡8村・宇陀郡74村・高市郡17村・十市郡19村・山辺郡28村
幕府領
五條代官所
五條市 葛上郡29村・宇智郡35村・宇陀郡35村・吉野郡226村

この他に宇陀松山藩(織田氏)・興留藩(松平氏)・竜田藩(片桐氏)・御所藩(桑山氏)・大和五条藩(松倉氏) がありましたが廃藩となっています。

奈良県の家紋
 奈良県の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典』によると、奈良県の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 片喰 2位 鷹の羽 3位 柏 4位 橘 5位 梅鉢
6位 藤 7位 木瓜 8位 桐 9位 蔦 10位 目結

 日本の十大家紋と比べると、茗荷紋沢潟紋がランク外となり、かわりに目結紋梅鉢紋がランク入りしています。
関西全体の特徴であるが、奈良県でも片喰紋が多いです。
梅鉢紋は天神信仰と関係していると思われ、目結紋は近江国発祥の佐々木一族の関係と思われます。

奈良県の寺院
 奈良県の寺院をみてみましょう。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、奈良県の宗派別の割合は以下の通りです。
  県全体
天台宗 1%以下
真言宗 17%
曹洞宗 4%
臨済宗 1%以下
浄土宗 19%
浄土真宗 34%
日蓮宗 2%
融通念仏宗 12%
黄檗宗 1%
その他 10%
 奈良県全体を通して浄土真宗の寺院が多く、浄土宗・融通念仏宗の浄土教の系統が目立ちます。 また真言宗の本山高野山がひかえる南部地域には真言宗寺院が多くあります。
 これに対して全国的に多い曹洞宗寺院が少なく、南都六宗の律宗・華厳宗・法相宗寺院があることが特徴的です。
 奈良市域に限ってみると、旧奈良町には浄土宗が多く、旧町周辺部の平坦地には浄土真宗が、南部と農村部には融通念仏宗が多くみられ、 山間部地域には真言宗寺院の割合が多くみられます。日蓮宗や禅宗系は少ないようです。

奈良県の神社
 大和国一之宮は大神神社です。
 主祭神は大物主大神 (おおものぬしのおおかみ)
 創祀の伝承が『古事記』『日本書紀』に記され、神代の歴史を持つ古社です。 『古事記』によれば、大物主大神が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、 国造りを成就させるために大和の三輪山に祀られることを望んだとあります。
祭神が鎮まる三輪山をご神体とするため本殿は無く、拝殿から三輪山を拝することになっています。
 大神神社の社家は出雲神族の大神氏で、天武天皇のとき大三輪朝臣姓を賜わっています。 大神氏からは三輪・神山・沢田・林・高宮などが分かれています。
その他、大神神主家には巨勢姓越氏があり、鞆田(ともだ)・柳本・吐田(はんだ)・仁興(にごう)・中井などが分出しています。

藤原氏の氏神春日大社があります。
 祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと) - 藤原氏守護神(常陸国鹿島の神)
 経津主命(ふつぬしのみこと) - 同上(下総国香取の神)
 天児屋根命(あめのこやねのみこと) - 藤原氏の祖神(河内国平岡の神)
 比売神(ひめがみ) - 天児屋根命の妻
 社伝では、768年藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、 枚岡神社の天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓に社殿を造営したことに始まるとされています。
 春日大社の神主家は中臣氏で、鹿島の神が御蓋山に迎えられたとき、お供をしてきた中臣時風・秀行の子孫といいます。 中臣氏からは奥・奥田・中東・正真院・西・向井・中・中西などが分かれています。

奈良県の人名録
 国立国会図書館のデジタルコレクションにある人名録を一部紹介します。
『日本全国商工人名録[明治25年版]』日本全国商工人名録 明治25年(1892)  職種別と商号
 『大日本篤農家名鑑 [第1冊]明治43年5月』大日本篤農家名鑑編纂所 明治43年(1910)  村名


※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。 参考の一つにしてください。
 また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。


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