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苗字の由来

代表的な苗字(名字)の由来と使用家紋を紹介します。

山本氏の由来と使用家紋
「山本氏」は、全国軒数第7位の大姓です。
以下は『都道府県別件数順位』の200位内です。
※電子電話帳「写録宝夢巣 Ver.9.01」(日本ソフト販売)より
 北海道(12位)  青森(18位) 岩手(36位)
 宮城 (75位) 秋田(49位) 山形(145位)
 福島(79位) 茨城(25位) 栃木(31位)
 群馬(47位) 埼玉(23位) 千葉(16位)
 東京(10位) 神奈川(10位) 新潟(23位)
 富山(1位) 石川(1位) 福井(2位)
 山梨(14位) 長野(27位) 岐阜(18位)
 静岡(3位) 愛知(6位) 三重(2位)
 滋賀(2位) 京都(2位) 大阪(2位)
 兵庫(2位) 奈良(1位) 和歌山(1位)
 鳥取(2位) 島根(2位) 岡山(1位)
 広島(1位) 山口(1位)
 徳島(6位)
 香川(5位) 愛媛(4位) 高知(1位)
 福岡(5位) 佐賀(35位) 長崎(9位)
 熊本(6位) 大分(14位) 宮崎(18位)
 鹿児島(71位)
西日本を代表する苗字です。北陸・関西・中国・四国地方に多く、そのほとんどの県でベスト3に入っています。
山本は「山の麓」を意味する地形姓です。山地の多い日本では地名「山本」も多く、様々な出自の山本氏が発祥したと考えられます。

山本氏の由来と家紋
前述のように、地名の「山本」は多く、山本を冠する地名を合せれば50ヶ所を超えます。小字名を含めれば相当な数になると考えられます。
また「山は古代より信仰の対象」であり、山の麓には人々が集まり集落が出来ました。鹿児島では「山元」の漢字を使いますが、意味は同じです。 よって山岳信仰との関係があったようで、山本氏の神官も確認できます。

よく知られた山本氏として武田信玄の軍師山本勘助があります。
山本勘助(菅助)は架空の人物ともいわれていましたが、信濃国高井郡の国衆市河氏の伝来文書『市河家文書』の発見により実在が証明されたといわれています。 しかし勘助の出身は三河国宝飯郡牛窪(『甲陽軍鑑』)説や駿河国富士郡山本村(『甲斐国志』)説があります。
『甲斐国志』によると、山本勘助は清和源氏源満政の末裔木田氏(吉野氏)流とあり、富士郡山本村に居住した木田貞久は駿河今川家家臣として武功を挙げ山本氏を名乗っています。
その子山本弾正の第四子源助貞幸は三河国牛窪の牧野氏の家臣大林勘左衛門の養子となり山本勘助と改めています。

帝国海軍連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将は越後長岡藩士高野家から養嗣子として同藩士山本家を継いでいます。
長岡藩士山本家は家老をつとめる家筋で、戦国時代の三河牛窪城主牧野氏を支えた牛久保六騎の一つとされています。

その他、各地に勢力をはった山本氏が誕生しています。 列挙すると、
●近江国浅井郡山本(滋賀県長浜市)におこる清和源氏義光流の山本氏
新羅三郎源義光の孫遠江守源義定に始まります。その子義経は『吾妻鏡』に見える武将で、源氏方に参陣し、琵琶湖の水運を押えるなど活躍しました。 しかし後に源義仲軍に呼応し、義仲が没落した後は消息不明となっています。
この系統は「応仁の乱」前後の山本尚親の代に京都岩倉一帯に進出し、足利将軍家に仕えています。家紋は「巴橘紋」。
また河内国・摂津国・尾張国・甲斐国にも広がっています。
●京都上賀茂社若宮祝・下鴨社氏人の賀茂県主姓の山本氏
●伊勢内宮権禰宜家の荒木田姓の山本氏度会姓の山本氏
●公家羽林家の藤原北家閑院流の山本氏
滋野井氏庶流の羽林家阿野実顕(~1645)の四男勝忠が一家を興して山本氏を名乗っています。
●大和国山辺郡の豪族山本氏
●紀伊国熊野の豪族山本氏
●美濃国大野郡におこる後醍醐天皇の随臣藤原氏流の山本氏
藤原貞興は美濃国大野郡に配流され、子孫は山本氏を名乗りました。
菅原姓室氏流の山本氏
室弥三郎茂成が山本氏を名乗り、徳川家康に仕えています。
●幕臣の清和源氏吉見氏族の山本氏
●安房国安房郡山本邑におこる清和源氏里見氏流の山本氏
里見五郎義胤の子左近将監義宣(義行)が山本氏を名乗りました。
●常陸国那珂郡山本荘におこる桓武平氏大掾氏族の山本氏
石川家幹の子武幹が山本五郎を名乗りました。
●越前国今立郡山本郷におこる藤原氏利仁流の山本氏
●但馬国朝来郡山本におこる日下部姓の山本氏
磯部貫主奉任の子家貞が山本を領し、軽部大夫俊宗の子俊直が山本新大夫を名乗りました。
●美作国の菅家族の山本氏
尾房城主有元佐吉の子志摩介佐壽が山本氏を名乗りました。
●阿波国那西郡の三枝姓の山本氏
●豊前国企救郡の桓武平氏長野氏族の山本氏
長野兵部少輔義富の子義親が山本八郎を名乗りました。
●肥後国の菊池氏族の山本氏
菊池政則の次男政隆が山本二郎を名乗りました。
●大隅国大隅郡の彌寝氏族の山本氏
小松孫二郎清治の子清高が山本氏を名乗りました。
これ以外にも様々な出自を持つ山本氏があると考えられます。

このように山本氏は出自が多彩なだけに、家紋も多様です。
主な使用家紋としては、「梶葉紋」「対い鳩」「五七桐紋」「違鷹羽紋」「巴紋」「七曜紋」「石畳紋」「四目結紋」「二引両紋」「梅鉢紋」「釘貫紋」などがあります。

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中村氏の由来と使用家紋
「中村氏」は、全国軒数第8位の大姓です。
以下は『都道府県別件数順位』の200位内です。
※電子電話帳「写録宝夢巣 Ver.9.01」(日本ソフト販売)より
 北海道(9位)  青森(6位) 岩手(14位)
 宮城 (48位) 秋田(39位) 山形(55位)
 福島(57位) 茨城(8位) 栃木(21位)
 群馬(19位) 埼玉(8位) 千葉(8位)
 東京(7位) 神奈川(9位) 新潟(15位)
 富山(4位) 石川(2位) 福井(6位)
 山梨(12位) 長野(3位) 岐阜(19位)
 静岡(11位) 愛知(11位) 三重(3位)
 滋賀(3位) 京都(3位) 大阪(3位)

 兵庫(7位) 奈良(4位) 和歌山(3位)
 鳥取(7位) 島根(14位) 岡山(17位)
 広島(8位) 山口(3位) 徳島(28位)
 香川(10位) 愛媛(38位) 高知(22位)
 福岡(2位) 佐賀(7位) 長崎(3位)
 熊本(2位)
 大分(27位) 宮崎(8位)
 鹿児島(1位) 沖縄(34)
西日本を代表する苗字です。北陸・関西・九州地方に多く、そのほとんどの県でベスト3に入っています。
「中村」は「地域の中心的集落(本村)」「村落の中心」を意味し、「北村」「西村」と同様に地理的関係や屋敷地の位置関係を示す場合と、 もしくは村の中心的な権威者を示す意味があったと推測されます。


中村氏の由来と家紋
田中氏と同様、稲作文化の発展と関係している苗字です。 稲作により集落に人々が定住し、さらなる耕地の開発は分村(枝村)を促すこととなります。 親村や中心的な集落は「中村」や「本村」と呼ばれ、対する分村はその位置関係によって「上村・下村・北村・西村」と呼ばれ、それが地名として定着し名字化したと考えられます。
中村を冠するものも含めれば「中村」の地名は110ヶ所を超えます。小字名を含めれば相当な数になると考えられます。
それらから発祥した中村氏があり、田中氏や山本氏と同じく出自は多岐にわたります。

近世大名として知られる伯耆米子藩主中村氏中村一氏が豊臣秀吉の重臣として活躍、その子一忠が米子藩主となります。 しかし一忠が20歳の若さで急逝したため改易となっています。この中村氏の出自ははっきりしていません。

とにかく中村氏の出自は様々であり、田中氏と同様に出自不詳の家系も多く感じられます。
以下に主な中村氏を紹介します。
●大和国忍海郡中村郷(奈良県新庄町)におこる中臣氏族中村連の中村氏
子孫は大和国唐院城主という。
●陸奥国新田郡仲村郷(宮崎県田尻町)におこる上毛野中村公の中村氏
●山城国綴喜郡中村郷におこる藤原南家巨勢麿流の中村氏
●山城国松尾神社の社家源姓伊木氏流の中村氏
祠官伊木重次の子重興が中村氏を名乗りました。
●下野国芳賀郡中村荘(栃木県真岡市)におこる藤原北家山蔭流の中村氏
常陸介に任じられた藤原実宗が中村氏を名乗りました。 平安時代末期には中村城を築き居城とします。
●常陸国鹿島郡中村郷(茨城県土浦市中)におこる桓武平氏大掾流の中村氏
林頼幹の子重頼が中村氏を名乗りました。
●武蔵国秩父郡中村郷(埼玉県秩父市)におこる桓武平氏村岡流の中村氏丹党の中村氏
村岡忠頼の子将恒が中村氏を名乗ります。多くの庶家を輩出し源平合戦では秩父党として行動しています。 末裔は徳川家康に仕え幕臣となっています。
一方、武蔵七党の一つ丹党の丹生時房の子時重が中村氏を名乗っています。
●相模国余綾郡中村荘(小田原市中村原・中井町中村)に起こる桓武平氏良文流の中村氏
平宗平が中村荘司を称し、嫡子重平は中村氏、次男実平は土肥氏、三男宗遠は土屋氏を名乗っています。
●遠江国池田荘中村(静岡県浜松市白鳥町)におこる紀姓の中村氏
紀守澄の子遠定が中村氏を名乗りました。
●甲斐国八代郡中村荘におこる清和源氏武田氏流の中村氏
南北朝期、武田信貞は八代郡中村荘を領し、その子兼邦が中村氏を名乗りました。この系統から安芸国高田郡に移った中村氏を輩出しています。
●伊勢国中村谷におこる清和源氏土岐氏流の中村氏
舟木光経の子光長が中村氏を名乗りました。子孫は国司北畠氏に仕えています。
●伯耆国におこる宇多源氏南条氏流の中村氏
南条信澄が中村氏を名乗ったといいます。
●肥前国長島荘中村(佐賀県武雄市)におこる橘姓の中村氏
小鹿島公業の孫公光が中村氏を名乗りました。
●肥後国玉名郡中村におこる紀姓の中村氏
大野別府の地頭紀国隆の子時隆から始まります。

その他にも村上源氏赤松氏流の播磨中村氏、武蔵丹党氏族の美作中村氏、藤原利仁流斎藤氏族の加賀中村氏、 信濃源氏の中村氏、諏訪氏流の中村氏、菅原姓の長門中村氏、惟宗姓の土佐中村氏、佐々木氏族の日向中村氏、藤原姓山田氏流や肝付氏族の薩摩中村氏などがあり、 また幕府や各藩の家臣には様々出自をもつ中村氏があります。

このように多様な出自を持つだけ、家紋も様々です。
主な使用家紋としては、「花菱紋」「沢潟紋」「桐紋」「蔦紋」「橘紋」「稲丸紋」「梅鉢紋」「二引両紋」「梅鉢紋」「釘貫紋」など多数あります。

※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。
 参考の一つにしてください。
 また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。

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