head_img

お問い合わせをお待ちしております
TEL. 075-922-3041
営業時間 AM10:00 ~ PM21:00

高松藩家臣のご先祖調べ

 寛永17年(1640)生駒騒動により讃岐一国を領知していた生駒氏は改易されると、一時期隣国伊予の西条藩大洲藩今治藩の分割統治となります。
 寛永19年(1642)、常陸国下館藩より水戸徳川家徳川頼房の長男松平頼重が12万石で東讃地域に入封し高松藩が立藩します。 高松松平家は水戸徳川家の分家、徳川一門の親藩大名です。瀬戸内地域の外様大名の動静を監察する役目もありました。
 また譜代筆頭の彦根井伊家と並ぶ最高の格式待遇を受け、松平頼重は寛文2年(1662)に老中と同席して幕政に参画するように命じられています。
 水戸徳川家を相続した徳川頼房の三男徳川光圀は、兄頼重の子である綱條に譲り、自身の子である頼常を2代高松藩主に据えています。

 5代藩主松平頼恭平賀源内を起用して薬草園を作らせ、向山周慶に製糖技術を学ばせ白糖製造を研究させています。 さらに塩田を切り開いて塩の増産に努力しています。8代藩主松平頼恕の代には、久米通賢を登用し、坂出に国内最大級の塩田を開発していま。 この砂糖は綿とともに「讃岐三白」と呼ばれ、高松藩財政を支える特産品に成長します。

 8代藩主松平頼恕は水戸藩徳川斉昭の兄であり、尊皇攘夷に傾く水戸藩の影響は少なからず受けました。 しかし幕末期の藩主松平頼聰は徳川慶喜とも縁戚関係にあり、難しい立場に立たされていました。結局「鳥羽・伏見の戦い」では旧幕府方として参戦したため、朝敵となります。
 朝廷は高松藩の追討を命じますが、丸亀藩などが高松藩赦免を取り次ぎ、高松藩は恭順し高松城は無血開城となりました。

高松藩
  藩庁 高松城(高松市)  
  江戸屋敷 上屋敷(文京区小石川) 
下屋敷(港区白金台5丁目)
 
  石高(表高) 12万石
  江戸城控間 溜間
  藩校 講道館 安永8年設立
  格付け 城主
  爵位 伯爵

高松藩の歴代藩主
高松松平氏 家紋:葵紋
本姓:称清和源氏
菩提寺:浄土宗法然寺
代数 氏名 官位 在職
松平頼重
(よりしげ)
従四位上・
讃岐守
寛永19年(1642) ~
延宝元年(1673)
松平頼常
(よりつね)
従四位上・
讃岐守
延宝元年(1673) ~
宝永元年(1704)
松平頼豊
(よりとよ)
従四位上・
讃岐守
宝永元年(1704) ~
享保20年(1735)
松平頼桓
(よりたけ)
従四位上・
讃岐守
享保20年(1735) ~
元文4年(1739)
松平頼恭
(よりたか)
従四位上・
讃岐守
元文4年(1739) ~
明和8年(1771)
松平頼真
(よりざね)
従四位下・
讃岐守
明和8年(1771) ~
安永9年(1780)
松平頼起
(よりおき)
従四位下・
讃岐守
安永9年(1780) ~
寛政4年(1792)
松平頼儀
(よりのり)
従四位上・
讃岐守
寛政4年(1792) ~
文政4年(1821)
松平頼恕
(よりひろ)
従四位下・
讃岐守
文政4年(1821) ~
天保13年(1842)
10 松平頼胤
(よりたね)
正四位・
讃岐守
天保13年(1842) ~
文久元年(1861)
11 松平頼聰
(よりとし)
従二位・
讃岐守
文久元年(1861) ~
明治4年(1871)

高松藩の家臣団
 松平頼重は21歳の若さで入封したこともあり、後見役の大老肥田和泉ら重臣たちが政務を補佐していました。 この時の主要な重臣は、大老彦坂織部、年寄本多三右衛門・石井仁右衛門・大須賀久兵衛、番頭佐野八兵衛・大森八左衛門・間島半右衛門・松平半左衛門です。
 入封以来の重臣が隠居死去などで、表舞台から姿を消すことで、頼重が主導権を握って高松藩体制の確立していくことになります。

 行政組織(役方)と軍事組織(番方)とに大別されます。行政の主な役職は以下の通りです。
 大老を筆頭に、実際の政務を主導する年寄(家老を選ぶ)、具体的な政務をおこなう奉行、 政務を監察する大目付・奥目付、藩主に近侍する側用達などが藩政の中枢に位置します。
 政務に付かない家臣たちは、大番組(2)・書院番組(4)・馬廻番組(3)・留守居番組(2)・惣領組(4)・新組(1)に属し、藩の軍事力を構成しました。

      ⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)

お問い合わせ

高松藩松平家の家臣
『高松分限録 嘉永年間』より藩士家名
あ) 芦沢・阿賀・赤木・浅田・秋山・安達・青木・青葉・荒木・雨宮・綾田・揚・荒川・安積・明石・ 安芸・赤沢・青山・綾野・朝倉・雨森・安堵・安藤・渥津・安西・阿部・浅見・朝比奈・安部・蘆沢
い) 石井・入谷・今滝・岩嶋・井戸・岩瀬・池田・岩佐・石丸・石野・今泉・伊藤・伊沢・石垣・市村・井上・稲毛・ 飯野・伊丹・飯沼・池内・石川・飯嶋・岩田・今村・岩部・石田・猪熊・市原・伊奈・飯塚・生田・伊庭・板倉・ 一条・今木・稲井・岩崎・石河・岩浜・稲田・生駒・稲沢・泉川
う) 鵜殿・上遠・牛窪・宇佐美・上原・上野・漆原・植松・梅枝・上枝・内海・梅島・内木・宇野・内田・鶯谷・鶯岡・兎玉
え) 江川・榎本・江崎・江口・遠藤
お) 大久保・小河・大森・緒方・小夫・小笠原・大須賀・苧坂・尾崎・大高・太田・小野・岡・岡内・小原・小川・ 大西・大石・小倉・岡田・岡野・大河原・岡見・奥津・大塚・萩谷・奥村・萩・小田・大熊・大藪・大西・大嶋・ 岡坂・小野崎・尾形・大野・大庭・大口・岡井・岡木・岡部・岡嶋・岡谷・大内

か) 笠井・筧・兼康・葛西・梶原・香川・片岡・河田・川田・勝橋・河西・川南・加次・河合・梶・笠川・川崎・河地・ 河部・鎌田・狩野・片山・柏原・香西・加藤・河添・川村・金沢・金子・亀山・勝浦・額田
き) 木村・菊池・北村・菊川・北原・岸・木内・喜田・紀・菊地・喜多・岸本・北嶋・北泉・清野
く) 久保・工藤・国方・窪川・日下・栗田・倉知・栗原・桑田・楠・黒田・熊岡・久家・窪田・桑名・栗生・櫛橋・ 久保田・草薙・国宗・窪村・久米・ 熊田
こ) 近藤・小泉・幸田・国分・小滝・小島・駒井・後藤・小山・小早川・児玉・小島・古関・河野・光宗

さ) 雑賀・斎藤・佐久間・笹山・佐野・笹島・佐々木・沢井・佐伯・佐立・佐藤・坂入・三枝・酒井・斎加
し) 下津・白井・塩田・新庄・嶋・庄野・渋江・柴野・篠原・重田・塩谷・嶋田・渋谷・嶋村・正田・ 信沢・島村・柴本・塩入・七条
す) 諏訪・杉野・数越・杉原・鈴木・菅原・杉山・杉本・杉上・末沢・陶山・住谷・角野・菅納
せ) 関尾・瀬川・千・瀬尾・関野・千野・関
そ) 十河

た) 玉井・高島・谷・多田・谷本・竹田・竹垣・竹井・竹内・田山・高畑・田所・滝・谷口・田中・俵田・高橋・ 武井・高尾・玉木・滝井・田岡・高畠・田村・谷村・滝川・橘・高見・高島・高井・高原・武田・高輪・旅田・武村・玉越・竹村
ち) 千葉・親安
つ) 辻・築地・土屋・壷井・柘植・津田・角田・堤・角木
て) 寺井・寺島・寺尾・手塚
と) 戸祭・富永・戸田・富岡・東条・友部・遠山・友安・富田・富野・鳥塚・友沢・富塚・戸塚・徳永・徳田

な) 中条・中山・中村・中井・永滝・長曽根・中西・中川・那須・中野・中沢・永井・長尾・成松・永原・ 永島・中神・成沢・内木・成田
に) 西岡・西川・丹羽・二宮・西山・西本・仁口
ぬ) 沼田
ね) 根本
の) 野原・野溝・野勢・野村・野沢・乃村・野萱・野島・野津・野上・野口

は) 林・長谷川・早川・伴・羽原・八田・坂東・蓮井
ひ) 肥田・彦坂・平塚・平井・久本・平尾・平田・平野・広瀬・東原・平山
ふ) 深井・藤井・古川・福家・藤本・藤村・藤田・藤川・船橋・藤懸・古郡・藤掛・古岡・福原・福西・藤尾・古市・ 福田・二川
ほ) 堀・堀池・堀井・細谷・星・星野・発知・北条・堀田

ま) 間宮・増田・間島・松平・松田・松尾・松村・松原・松井・松本・牧野・松崎・松沢・真辺・益子・松見・丸岡・ 町川・真鍋・松野・蒔田・松浦・前田
み) 三宅・水野・三木・宮武・三井・三好・三守・三村・宮本・水原・美野・宮内・宮井・宮村・宮脇・宮坂・溝淵・ 溝緑・宮地・三崎・宮崎・三笠・三浦・三上・三輪・宮部・水谷・宮都
む) 向山・村上・向井・武藤・牟礼・村田・村山・村尾・村垣・村川・村瀬・六車
も) 森・守屋・師岡・森田・森川・望月・元木・森崎

や) 矢野・山下・山室・八木・矢島・山田・山本・山県・山口・矢田・矢部・矢代・山内・安松・山崎
ゆ) 湯本
よ) 吉田・吉川・横井・吉原・横倉・米谷・余悟・吉本・横田・横関・吉村・米田・吉坂
り) 力丸
わ) 渡辺・脇・和木・渡部・和田・和泉・渡理 天爾察

<< トップページ全国ご先祖調査 マップ >>

お問い合わせ

 

ページトップに戻る