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駿府藩家臣のご先祖調べ

 駿府は戦国大名今川氏の今川館が置かれ、領国支配の中心地でした。 永禄11年(1568)武田信玄による駿河侵攻で今川氏が没落し、その武田氏が滅亡すると、徳川家康の支配地となりました。 家康は天正14年(1586)浜松城から駿府城に拠点を移し、天正18年(1590)の関東移封まで政務を行ないました。
 慶長5年の「関ヶ原の戦い」後、駿府は内藤信成が治めていましたが、徳川秀忠に将軍職を譲った家康は駿府に隠居。駿府城を大修築し、ここで政治的な影響力をお持ちました。「大御所政治」と呼ばれました。

 慶長14年(1609)、家康の10男徳川頼宣が駿河国・遠江国と東三河の駿府藩50万石に入封します。この時頼宣はわずか8歳、大御所家康が実権を持っていました。 家康の命で、頼宣には多くの家臣が附属され、この駿府時代に頼宣の家臣団の原型が出来上がります。 元和5年(1619)頼宣が和歌山藩への転封になると、駿府藩は廃藩となりました。

 寛永2年(1625)、3代将軍徳川家光の弟徳川忠長が駿河・遠江・甲斐などに55石を封じられ、駿府藩が再び立藩します。 ところが寛永8年(1631)家臣や領民への乱行が目立ったことから、上野高崎藩に蟄居、翌寛永9年改易されました。 これにより駿府藩となり、幕府直轄領として駿府城代が支配しました。
 駿府城代は老中支配で大身旗本が任じられ、駿府城代の補佐役として駿府定番(慶安2年設置)が置かれました。 警固を支える軍事力として駿府在番・駿府加番が置かれ、駿府の町政や駿河国内の幕府領の司法は駿府町奉行が務めました。

駿府藩
  藩庁 駿府城(静岡市)  
  石高(表高) 徳川忠長:55万石

駿府藩の歴代藩主
代数 氏名 官位 在職
徳川頼宣
(よりのぶ)
慶長14年(1609) ~
元和5年(1619)
幕府領
元和5年(1619) ~
寛永2年(1625)
徳川忠長
(ただなが)
従二位・
権大納言
寛永2年(1625) ~
寛永9年(1632)
幕府領
駿府城代支配
寛永9年(1632) ~
慶応4年(1868)
徳川家達
(いえさと)
従三位・
左近衛権中将
慶応4年(1868) ~
明治4年(1871)

      ⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)

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