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松本藩家臣のご先祖調べ

 戦国時代、松本は信濃国守護小笠原氏が支配していました。しかし小笠原長時武田晴信に敗れ、以後は甲斐武田氏の支配地となります。
 武田氏が滅亡し、豊臣秀吉が天下を取ると、石川数正が安曇・筑摩郡8万石の領主として松本へ入りました。 慶長18年(1613)、石川氏に代わって小笠原秀政が松本城主となり、安曇・筑摩郡8万石の領主となりました。23年ぶりの旧領松本への復帰です。 ところが元和元年(1615)5月の「大坂夏の陣」で、秀政は長子忠脩(ただなが)とともに戦死、跡を継いだ二男忠真(ただざね)は元和3年(1617)播磨国明石藩へ移封となります。小笠原氏の在城はわずか5年でした。
 これ以降、短期間に藩主が代わります。
 小笠原氏に代わって上野国高崎藩より戸田康長が入り、次の戸田康直が寛永10年(1633)播磨国明石藩へ移封となります。
 越前国大野藩より松平直政が入り、寛永15年(1638)出雲国松江藩へ移封となります。
 代わって武蔵国川越藩より堀田正盛が入り、寛永19年(1642)下総国佐倉藩へ移封となります。
 代わって三河国吉田藩から水野忠清が入り、享保10年(1725)江戸城内で刃傷事件を起こした水野忠恒が改易となり、一時幕府領となります。
 享保11年(1726)志摩国鳥羽藩から戸田光慈(みつちか)が入ります。戸田康直の子孫です。以来、明治維新まで戸田家が藩主と勤めます。 戸田氏は、三河国渥美郡に根拠をもち、徳川氏譜代の家臣として「松平姓」と「葵紋」を許され、江戸十八松平のひとつとして厚遇されました。一族から近世大名・旗本、大藩重臣が多数出ています。
 慶応4年(1868)「戊辰戦争」が起こると、藩論がまとまらず、東征軍の松本到着直前に勤王を決し、3万両を献上して帰順しています。 その後は新政府軍に藩兵を送り、北越戦争・会津戦争に参戦しています。

松本藩
  藩庁 松本城(松本市)  
  江戸屋敷 上屋敷 呉服橋(千代田区丸の内)
中屋敷 愛宕下(港区虎ノ門)
下屋敷 二本榎(港区白金台)
 
  石高(表高) 6万石
  江戸城控間 帝鑑間
  格付け 城主
  爵位 子爵

松本藩の歴代藩主
    ※歴代藩主の中で戸田氏(第2期)を記します。
戸田氏 家紋:六星紋
本姓:称・藤原北家正親町三条家庶流
菩提寺:松本市 曹洞宗全久院
代数 氏名 官位 在職
戸田光慈
(みつちか)
従五位下・
丹波守
享保10年(1725) ~
享保17年(1732)
戸田光雄
(みつお)
従五位下・
丹波守
享保17年(1732) ~
宝暦6年(1756)
戸田光徳
(みつやす)
従五位下・
丹波守
宝暦6年(1756) ~
宝暦9年(1759)
戸田光和
(みつまさ)
従五位下・
丹波守
宝暦9年(1759) ~
安永3年(1774)
戸田光悌
(みつよし)
従五位下・
丹波守
安永3年(1774) ~
天明6年(1786)
戸田光行
(みつゆき)
従五位下・
丹波守
天明6年(1786) ~
寛政12年(1800)
戸田光年
(みつつら)
従四位下・
丹波守
寛政12年(1800) ~
天保8年(1837)
戸田光庸
(みつつね)
従五位下・
丹波守
天保8年(1837) ~
弘化2年(1845)
戸田光則
(みつひさ)
従五位下・
丹波守
弘化2年(1845) ~
明治2年(1869)

松本藩の家臣団
 家臣団の身分には、家禄1500石(家老)〜50石知行取の諸士、家禄18石〜3石切米取の徒士、 金5両〜3両1分給金取の足軽があり、主要な構成員でした。
 一般的に藩の職制には、軍事組織の番方、官僚組織の役方、家政のからなっています。
 松本藩の番方は5組(2番で構成)が編成され、10人の番頭(士大将)が統率します。組士の平時は、役方の職務をもち、無役のものを外様役と称し、重要品の守護のため二之丸書院大広間に宿衛しました。 足軽は12組に分けられ、者頭(足軽大将)が統率しました。
 役方を取り仕切るのは、家老(野々山氏)と年寄(6〜7人)が中心とな、用人(5〜12人)や大目付(2〜3人)が補佐しました。 は、小姓頭・中小姓頭・勝手方司役らが取り仕切りました。
 民政にあたる役職をいくつか紹介します。
 町奉行は警察、刑事・民事訴訟の裁判、藩庁への公報など、主に町方の支配。2人。町所には取次・町廻方・同心が置かれました。
 勘定奉行は年貢など租税徴収、藩の財務、普請など。3人
 郡奉行郷村の支配。配下に4人の代官がおり、それぞれ大町組・池田組・岡田組・庄内組を担当しました。代官所には郷目付・手代・同心が附属しました。
 預奉行幕府領の預地の行政。4人。

      ⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)

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松本藩戸田家の家臣
『明和年間 戸田光和家中分限帳』より藩士家名
あ) 畔田・安藤・安保・青沼・相沢・新井・鮎貝・尼子・浅野・浅川・浅井・新家・青木・阿尾・荒川・有賀・ 朝比奈・浅河・赤堀・秋田
い) 稲村・飯沼・岩根・板橋・稲垣・市橋・井上・井田・板本・岩崎・伊藤・飯田・市川・今井・石榑・岩田・ 一柳・岩本・石黒・伊荒・飯尾・石伝・磯野・石田・岩付・岩井・磯部・池田・井筒・斎木
う) 内田・宇野・上原・浦野・上田・鵜飼・内山・海野・上村・馬島
え) 遠藤・枝谷・江崎
お) 岡・大橋・岡部・豊島・大久保・尾崎・小里・越知・大沢・大原・多木・大田・尾花・大川・岡村・小川・ 及部・岡田・大岩・折竹・小沢・大出・小野・隠田・尾島・大杉・奥村・大村・大山・奥田

か) 笠井・神方・加藤・川井・金丸・神尾・勝田・河田・神谷・角内・梶原・川原・勝井・角田・加納・河辺・ 河原・川舟・貝谷・川口・神銀・神田・川島・勝山・上条・川瀬・上良・神尾・川江・河合・河村・春日・数野・河崎・ 唐沢・加々崎
き) 木村・木沢・木戸・喜多村・北川・木下
く) 黒田・公保・倉光・栗田・草間・久野・窪宮・組田・倉田・熊田・汲田・桑原・倉品・草間
こ) 近藤・小柳津・小林・駒井・小松・権田・後藤・小寺・小森・小塩・小出・小岑

さ) 西郷・坂・斎藤・佐野・坂本・坂井・鷺沢・沢柳・坂井田・佐藤・三条・沢木・桜木
し) 柴田・塩田・下条・下平・篠田・白川・品川・志賀・島田・下田
す) 菅沼・鈴木・角南・鷲見・杉山・杉田・菅谷
せ) 関口・関・関谷・仙石
そ) 外山

た) 竹中・玉生・田口・多湖・田辺・武本・垂井・竹内・高橋・高木・高島・谷川・高山・高井・棚橋・玉川
ち) 千野
つ) 都築・鶴見・津島・土本・津村・辻田・辻
て) 寺島・寺沢・寺松
と) 友成・戸田・土岐・富田・殿村・鳥羽・戸崎・戸沢

な) 中柴・中村・中川・名越・長崎・中野・中根・中島・成田・成瀬・成相・中井・中西・中垣
に) 二宮・西山・西村・西川・二木・蜷川・西田
ぬ) 沼田・布
ね) 根席
の) 野々山・能勢・野間・野末

は) 長谷川・林・間・波田野・浜島・服部・橋詰・橋本・羽賀・浜・八田
ひ) 平山・日比野・平野・樋口・尾藤・広瀬・平岡
ふ) 藤田・古橋・藤井・古田・藤原・福島・福田・深尾・藤沼・古島・藤本
へ) 兵村・別所
ほ) 星合・星山・細井・堀・堀江・堀内・堀口・堀井田・本庄・保科・細見

ま) 槇・牧・増田・正木・間中・松原・松村・松沼・松野・間宮・松本・真鍋・丸山・松井・松田・真崎
み) 三田村・水崎・三上・水野・宮川・三宅・宮崎・安江・宮本・三輪・箕浦・三原
む) 武藤・村瀬・村山
も) 茂木・森島・本谷・森・森曽・百瀬・森川

や) 山田・大和・山中・山口・柳沢・山本・柳野・山吉・安田・矢口
よ) 吉武・吉沢・吉江・寄藤・吉田・吉野・横田・横山・横瀬・米山・横内・依田
わ) 渡辺・脇部・綿貫・和田

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