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松江藩家臣のご先祖調べ

 松江藩は慶長5年(1600)「関ヶ原合戦」の勲功により堀尾忠氏が出雲に入国したことに始まります。 無嗣改易となった堀尾氏に代り、寛永11年(1634)若狭小浜藩より京極忠高が入部、その京極氏も無嗣改易となります。
 京極氏改易をうけて、寛永15年(1638)2月結城秀康(家康の二男)の三男松平直政が18万6,000石で信濃松本藩より転封しました。
 藩祖松平直政が寛文6年(1666)に卒去すると、長男松平綱隆公が本藩松江藩を継承し、二男松平近栄(ちかよし)には広瀬藩3万石、三男松平隆政には母里藩1万石が分封されることになりました。
 以後、松平家は3藩体制では出雲一国を領す親藩大名として明治維新まで存続します。

松江藩
  藩庁 松江城(松江市)  輪郭連郭複合式平山城:天守は国宝  
  江戸屋敷 上屋敷(千代田区永田町 議長公邸辺り) 
下屋敷(北品川5丁目)
 
  石高(表高) 18万6000石
  江戸城控間 大広間
  格付け 国主
  爵位 伯爵

松江藩の歴代藩主
越前松平氏 家紋:丸に三葵
本姓:称・清和源氏
菩提寺:浄土宗月照寺
 (松江市)
代数 氏名 官位 在職
松平直政
(なおまさ)
従四位上・
左近衛権少将
寛永15年(1638) ~
寛文6年(1666)
松平綱隆
(つなたか)
従四位下・
侍従
寛文6年(1666) ~
延宝3年(1675)
松平綱近
(つなちか)
従四位下・
侍従
延宝3年(1675) ~
宝永元年(1704)
松平吉透
(よしとお)
従四位下・
侍従
宝永元年(1704) ~
宝永2年(1705)
松平宣維
(のぶすみ)
従四位下・
左近衛権少将
宝永2年(1705) ~
享保16年(1731)
松平宗衍
(むねのぶ)
従四位下・
左近衛権少将
享保16年(1731) ~
明和4年(1767)
松平治郷
(はるさと)
従四位下・
左近衛権少将
明和4年(1767) ~
文化3年(1806)
松平斉恒
(なりつね)
従四位下・
侍従
文化3年(1806) ~
文政5年(1822)
松平斉斎
(なりとき)
従四位下・
左近衛権少将
文政5年(1822) ~
嘉永6年(1853)
10 松平定安
(さだやす)
従四位上・
左近衛権少将
嘉永6年(1853) ~
明治4年(1871)

松江城下
 堀尾忠氏は戦国大名尼子氏の居城月山富田城に入城しましたが、近世城下町の形成には不便であったため、 舟運などに有利な宍道湖北側湖畔の亀田山を城地に決めました。
 松江城は慶長12年(1607)に築城が開始され、慶長16年(1611)に完成します。
 城を囲む堀川は宍道湖へ流れ、南を流れる京橋川が外堀の役割を果たしました。
 天守が築かれた本丸の南側に二の丸上段、東側に二の丸下段が造られ、二の丸上段の南に三の丸が配置されています。 三の丸に藩主の御殿が建てられ、現在は島根県庁があります。
 京橋川(南側)・北田川(北側)・米子川(東側)・四十間川(西側)の内側に上中級クラスの武家屋敷が建てられ、 大橋川と天神川の間に、町人町寺町が設定され、天神川以南の津田街道(山陰道)沿いに足軽町が配置されました。
 城下の東端に設定され寺町には月山富田城下の寺院を含めて21カ寺が移設され、城下防衛の陣地を想定していたことが分かります。


松江藩の家臣団
 徳川氏一門として出雲へ入国した松平直政は前領地信濃松本藩より大きく知行を増やします。
 直政が功臣として重用したのが、乙部氏・三谷氏・神谷氏・柳多氏・朝日氏・大橋氏です。のちに代々家老と呼ばれます。
 大幅な加増により松平直政は前藩主京極氏の遺臣を多数召抱えます。 その他に直政の生国近江、前領地の越前・信濃、そして徳川氏縁故の三河・尾張の出身者が多くみえます。

 松江藩家臣団は家格により以下のように分れています。
 家老 5000石~1000石 6~7家 国政にあたる
 中老 1000石~600石
 番頭 700石~200石 16家 戦時の侍大将  番頭格12人
 奥列 100石以上 26家 旗奉行・槍奉行・寺社奉行など
 者頭 100石以上 43家 戦時の部隊長(足軽大将)
 使番 200石前後 18家 側役勝手方・江戸留守居役など
 組外 700石~100石 66家 藩主の直属で宗門奉行・郡奉行など
 役組外 100石前後 78家 
 組士新番組御徒御目見・小算用・万役人があり、以上は士分です。
  以下は足軽身分になります。
 御譜代組・浮組・新組 諸役所の下役人
 城代組 城内の樹木の手入れや掃除
 御旗組 旗奉行に属し旗持ち
 同心組 寺社奉行に属し市中の取締り
 先手組 戦時は先鋒をつとめる雑兵。平時は番所勤務
  などがあります。
      ⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)

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松江藩の家臣
『松平直政公御代御給帳』(寛永15年~明暦元年)より藩士家名
  太字は京極氏旧臣
あ) 荒木・有沢・秋元・秋田・安部・秋庭・天野・綾部・浅井・相川・明弥・ 赤林・安藤・明石・雨森・朝日・安食・雨山・朝野
い) 雪吹・岩崎・稲原・石川・生田・飯尾・市原・池田・岩田・一色・石原・ 石田・一瀬・生駒・稲垣・伊藤・一川・今井・岩堀・猪子・今村・五十川・ 今中・石丸・伊東・井上・井山・糸屋・印数・一条・板倉
う) 魚住・上原・梅士・梅原・氏家・植田
お) 小川・太田・小倉・大津・岡田・大森・落合・大塚・岡谷・奥田・尾崎・ 大郡・大野岡本・岡島・岡村・乙部・大橋・大河原・岡・大島・奥山・小畑

か) 上井・加藤・川瀬・片山・片岡・河井・神谷・梶田・蒲生・河野・桂田・ 河崎・河上・柏木・笠間・葛西
き) 北村・木代・木村
く) 国友・黒田・久島・熊谷・草和・熊野・栗田・楠田
こ) 木造・近藤・駒井・後藤・小泉・香西・小池・小島・小出・古志・小崎

さ) 佐藤・坂根・雀部・桜井・定方・佐川・酒井・猿木・坂田・斎藤・・佐原・ 佐乙女・鮫島・佐々・榊・西郷・幸・坂部・坂井
し) 信太・下柳・下村・柴山志谷・島田・篠原・志立・塩見・清水
す) 諏訪・杉間・杉原・鈴木・杉本・杉田
せ) 千田・瀬尾・関・妹尾・瀬田・仙石・関川

た) ・棚橋・竹内・高橋・田中・高田・滝川・高畑・館・高木・滝波・ 竹原・滝野・武地・武熊・高松・高尾・谷口・端・高村・滝田・玉木・立野・高矢
ち) 千歳
つ) 津田・柘植・津川・栂・坪坂・筒井・土屋・常川
て) 寺田・寺西
と) 伴・徳永・豊島

な) 並川・中山・楢崎・成田・南部・永井・奈倉・内藤・中川・難波・奈良・ 中野・長崎・中村・永田
に) 西尾・丹羽・西山
ぬ) 沼江
ね) 根岸
の) 野村・野田・野間

は) 林・原田・・橋本・長谷川・羽山・・原・早草・弭頭・羽賀
ひ) 比良・樋口・平野・平井・日置・疋田・樋野・土方・平山
ふ) 福島・藤懸・深津・船越・福永・福見・布施・藤田・福留
ほ) 本郷・堀江・本間・細江・・本多・星野・堀尾

ま) 松村・松井・増田・松本・松原・松田・増渕・松浦・松山・前田・間瀬・ 間淵・松原・松林・間宮・松下・牧内
み) 三上・宮島・皆川・水野・宮脇・宮崎・宮川・三浦・溝江・三谷・水谷・< 南久・水沢・三宅・三島・三田村
む) 村田・村瀬・村上・村松・武藤・向坂
も) 森・森本・森部・望月

や) 山口・山尾・山崎・山岡・安井・山田・柳沢・山本・山瀬・矢野・柳多・ 矢島・安田・矢木
ゆ) 湯・由良・湯本
よ) 横田・横井・吉田・吉城・余語・吉川・吉竹・吉原・吉沢
わ) 渡部・脇坂・和田

『広瀬藩御給帳』(延宝2年)より藩士家名
あ) 天野・朝比奈・有沢・浅山・阿部・安藤
い) 岩崎・市川・石井・市原・石田・伊藤・磯部・岩田・磯野
う)
お) 小倉・奥田・岡村・小川・岡野・小沢・大庭・大須賀・岡
か) 片山・加藤・神谷・川井・河合・川瀬・数見・勝見・神尾
き) 喜多川・木原
く) 栗原
こ) 小泉・香西・越・児玉・小池
さ) 桜井・佐川・沢田・佐々・左乙女
し) 信太・下間・島名・白倉
す) 鈴木・鈴村・杉本
せ) 関口
た) 竹垣・田中・高木・高橋・田畑・種・谷・種村・滝
つ) 栂・恒川・都築
て) 寺尾
と) 冨山
な) 長尾・中根・内藤・永井・楢村
に) 錦織
ね) 根崎
の) 野沢・野田
は) 長谷川・早水・原田・早田・波多野
ふ) 藤田・古川
ほ) 堀江・星野
ま) 牧・松原・松本・前田・松山・松井
み) 水野・三上・三田村・溝口
む) 村松
も) 森島・森脇
や) 矢野・山路・矢部・安井・山田
よ) 横田・吉沢・吉田・吉原
わ) 和田・渡部

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