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丸亀藩家臣のご先祖調べ

 寛永17年(1640)生駒騒動により讃岐一国を領知していた生駒氏は改易されると、一時期隣国伊予の西条藩大洲藩今治藩の分割統治となります。 寛永18年(1641)、肥後国富岡城主山崎家治が西讃に入封し、丸亀城を本城とし丸亀藩が立藩します。ところが3代藩主山崎治頼がわずか8歳で亡くなり、山崎氏は無嗣断絶で改易となります。
 万治元年(1658)、代わって播磨国龍野城主京極高和が入封します。以来廃藩置県までの7代212年間、京極氏が丸亀藩主として在封しました。

 京極氏は北近江守護の名門、戦国大名浅井氏の主筋に当たる家柄です。高和の祖父京極高次は臣下浅井氏の庇護のもと成長し、妹を豊臣秀吉の側室へ送り、自身も淀殿の妹(浅井三姉妹の一人)を正室としました。 妹や妻のお陰で出世した“蛍大名”とも揶揄されますが、豊臣政権下で頭角を現した高次は近江大津城6万石の大名に上り詰めます。
 「関ヶ原の合戦」が起こると、大津城に籠城し1万人を超える西軍の軍勢を足止めさせ、東軍徳川方の勝利に貢献します。その功績が認められた京極高次は若狭一国の国持大名となり、近世大名としての礎を固めて京極家を再興を果たします。
 次の京極忠高の代には出雲・隠岐2ヶ国26万石へ加増転封となり、西国の大大名毛利氏への押さえとしての配置されます。 忠高は嗣子無く死去したため、無嗣断絶で改易されかけましたが、それまでの功績を考慮されて、甥の京極高和が播磨国龍野城主として存続を許されていました。

 元禄7年(1694)3代藩主を京極高或が就封するに際して、庶兄京極高通が1万石を分知され、多度津藩が立藩します。
 5代藩主京極高中の代には、銀札を発行し藩財政改革を行い、福島甚浦の建設や窮民救済のため備蓄米を制定し、学問所正明館を拡大して学問を奨励しています。
 6代藩主京極高朗の代には、文教政策に力を注ぎ、倹約と風紀を徹底します。また家臣の副業に“うちわ作り”を推奨し、金比羅宮参詣者の土産として人気になります。のちに丸亀の名産品(丸亀うちわ)となっています。 うちわ作りは、江戸家老が隣の大村藩邸から技法を教わったともいいます。
 最後の藩主となる7代藩主京極朗徹はいち早く尊王派として行動し、佐幕派高松藩の追討を命じられますが、高松藩の赦免のため新政府に取り次ぎ、高松城の無血開城に協力しています。

丸亀藩
  藩庁 丸亀城(丸亀市)  
  江戸屋敷 上屋敷 虎ノ門外(港区虎ノ門1丁目) 
中屋敷 芝新堀端(港区東麻布2丁目) 
下屋敷 今里屋敷・白金屋敷(港区白金台4丁目)
 
  石高(表高) 5万1千石
  江戸城控間 栁間
  格付け 城主
  爵位 子爵

丸亀藩の歴代藩主
    ※歴代藩主の中で山崎氏と京極氏を記します。
山崎氏 家紋:檜扇に四つ目結紋
本姓:宇多源氏佐々木氏流
菩提寺:
代数 氏名 官位 在職
山崎家治
(いえはる)
従五位下・
甲斐守
寛永18年(1641) ~
慶安元年(1648)
山崎俊家
(としいえ)
従五位下・
志摩守
慶安元年(1648) ~
慶安4年(1651)
山崎治頼
(はるより)
慶安4年(1651) ~
明暦3年(1657)

京極氏 家紋:平四つ目結
本姓:宇多源氏佐々木氏流
菩提寺:臨済宗玄要寺
 (丸亀市南條町)
代数 氏名 官位 在職
京極高和
(たかかず)
従五位下・
刑部大輔
万治元年(1658) ~
寛文2年(1662)
京極高豊
(たかとよ)
従五位下・
備中守
寛文2年(1662) ~
元禄7年(1694)
京極高或
(たかもち)
従五位下・
越中守
元禄7年(1694) ~
享保9年(1724)
京極高矩
(たかのり)
従五位下・
佐渡守
享保9年(1724) ~
宝暦13年(1763)
京極高中
(たかなか)
従五位下・
若狭守
宝暦13年(1763) ~
文化8年(1811)
京極高朗
(たかあきら)
従五位下・
長門守
文化8年(1811) ~
嘉永3年(1850)
京極朗徹
(あきゆき)
従五位上・
佐渡守
嘉永3年(1850) ~
明治2年(1871)

丸亀藩の家臣団
 丸亀藩の格式(席)に対応する役職は以下の通りです。
格式(席) 役職
家老
番頭 表用人・中小姓頭・側用人・新番頭
長袴 寺社奉行兼公事方・二ノ丸番頭・近習頭兼伝役
独礼 旗奉行・網干郡代・長柄奉行・勘定奉行・郡奉行・町奉行・
江戸留守居・側目付・大目付・江州郡代・大坂留守居・
京都留守居・船奉行・小納戸・番医者・祐筆・代官
御目見 地方・蔵奉行・作事目付・海面目付・茶道・賄方・
武具目付・料理方・大工頭・山奉行・大船頭・作事元締・
割役・勘定場物書・買物方

      ⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)

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丸亀藩京極家の家臣
『丸亀藩分限帳1、2 嘉永年間』より藩士家名
あ) 浅岡・浅見・新居・安達・浅香・青木・赤尾・浅田・安藤・秋山・朝岡・ 浅秋田・赤羽・井・阿部・青・鮎川・明石
い) 磯野・石川・伊藤・池田・生田・池口・今井・石橋・入江・市村・今西・ 石田・磯崎・石垣・岩谷・石井・岩井・石原・入谷・岩本・井上・伊場・岩崎・岩村
う) 上田・浦野・内池・瓜生・内海・打田・上邨・内山・上原・上山・内波・臼杵・牛尾
お) 岡・小川・大塚・尾崎・大平・大野・小野・小崎・尾崎・大熊・尾池・ 大西・岡田・尾岡・岡部・太田・奥田・大平・岡本・沖・大河内・大岡・大崎・ 織田・落合・奥原・大須賀

か) 加藤・笠原・香川・勝田・河本・河田・亀井・各務・桂川・片山・加治・ 河村・梶・勝村・香山・景山・筧・勝村・川口・河合・香崎・片岡・亀野・ 唐津・金丸・川崎・神原・加納・柏原・河江・川波・神谷
き) 木村・北村・北山・北川・北池・北岡・木瀬
く) 栗栖・楠井・倉石・葛原・久保田・栗田・熊岡・組橋・熊谷・久米内
こ) 児玉・越川・近藤・小谷・合田・小林・幸田・小堀・小塚・小山

さ) 佐々・佐脇・佐藤・斉田・桜井・坂本・佐柳・斉藤・沢田・佐名木・笹原・ 佐野・佐久間・佐川・佐長
し) 島田・清水・渋谷・塩津・重野・篠原・塩瀬・庄野・新庄・島・塩見・式村・ 柴田・下村・白川・白木・志村・庄
す) 図子・杉村・杉本・須藤・杉山・杉田・資延・鈴木・杉谷・洲戸
せ) 妹尾・関・瀬山・千田
そ) 曽根

た) 多賀・田村・田中・竹田・高木・谷・田岡・玉置・高谷・田辺・高田・谷田・ 田附・高橋・田川・竹本・詫間・高林・谷川・高口・竹内・田渕・高宮・達村
つ) 辻・津坂・露木・津田・土屋・塚本・土田・筒井・堤・辻本
て) 出渕・寺津・寺井
と) 土岐・伴・戸祭・土肥・豊岡・豊原・冨田・豊島・徳田・土井・百々・戸田

な) 中山・中村・中・永田・中野・中川・中津海・永井・長井・中田・中尾・ 長沢・内藤・中島
に) 新名・西山・新原・西山・西村・西岡・庭村・西川・西脇・西田
ぬ) 沼田
の) 野原・野田

は) 林・原田・長谷川・梯・長谷・原・早水・萩原・早馬・原村・橋野・馬場
ひ) 尾藤・碑山・平田・平竹・平岡・平井
ふ) 船江・古沢・藤瀬・渕戸・藤田・藤村・藤井・福田・藤本・福崎・藤・藤森・ 船口・福本・古川・深井
ほ) 本庄・堀江・堀田・本間・堀

ま) 間宮・松岡・松沢・松村・馬淵・松原・真鍋・増田・松本・丸岡・松浦・ 前田・政田・円尾・馬淵・増井・牧・松井
み) 宮沢・三田・宮武・水間・水島・三好・宮内・宮脇・水谷・宮崎・三崎・ 光谷・宮本・宮川・三野・三宅・湊・三輪・水野・三木・三橋・三川
む) 村瀬・村松・村山・村尾・村上・邨井・武藤
め) 妻鹿
も) 守能・森崎・森・本木・毛利

や) 薮内・山本・山村・山下・山路・安木・矢野・山脇・山地・山田・八木
よ) 吉田・横川・横井・吉岡・横田・横山・米谷・吉村・横井川
わ) 渡辺・若林

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