戸籍情報と系図が違うのは何故!

明治期に作られた戸籍に見受けられる事例に、実際の内容と異なることが度々あります。戸籍以前のご先祖を調べたい方には、重要になる内容です。

現地調査で、もっとも多いのが名前と命日の食い違いです。
墓石・位牌・過去帳を調べると、戸籍の名前と異なることが度々あります。
とくに女性の名前に多くみられます。
日常的に使っている「通称名」が墓石・位牌・過去帳に書かれており、戸籍にある名前ではありません。
戸籍には「せい」とありましたが、位牌には通称名の「さや」と書かれていました。

その理由として、嫁いだ際に、姑に名前を変えるよういわれた。
運気が悪いので、名前を変えたなど、の理由があるようです。

男性の場合でも墓石や位牌と名前が違う場合があります。

明治3年11月「国名・官名の通称名」が禁止となります。つまり「〇〇守」「〇左衛門」「〇兵衛」という名前は使用できなくなりました。
そこである者は、「吉左衛門」を「吉郎」、「清兵衛」を「清吉」のように、元の字を使ったり、これを機会に全く違う名前に替えたりしました。
しかし「左衞門」「兵衞」の名前は、屋号や襲名に使うほど定着しており、徹底されなかったようです。

また先祖伝来の家伝系図には、戸籍とは違う通称名や諱(実名)が
書かれてありました。

注意しないと、別人と思い込んで、系図が繋がらない
場合さえあります。